ヨハネスの事情
みんなに非難の眼差しを向けられたエルダは、ため息をついてからテーブルに並べられたお菓子に手を伸ばした。
「みんな、過保護なのよ。友人だったら他の人が注意しないことも言った方がいいんじゃないの? カーラが成人するまでもう二年ちょっとよ。侯爵家令嬢に生まれた以上、自領の貴族くらいは味方につけられないと、嫁ぎ先や社交界で苦労するでしょう」
「それは、私も同感よ。お妃教育のために皇宮に行くようになって、最初はとっても苦労したもの。精霊の森でお茶会が出来なかったら、まだ中央のご令嬢達と仲良くなれていないと思うわ」
私は、この件ではカーラに何も言えない。
だって私もベリサリオ領内に、親しい子なんていないもの。
私が知っているのは大人達ばかり。
話をするのも、お茶会の相手も、大人達ばかりだ。
商会の商品開発にルフタネンのお店の開店準備。戴冠式の話に精霊の森の整備。
すっかり大人に混じって仕事をするのが当たり前になっていて、子供の相手までしていられなかった。
寮内のこともお兄様達に任せっきりよ。
「今回、寮で問題が起こってしまったでしょう? 学園内で問題が起こったら、それはその生徒がいる寮の寮長の責任になるのよ。ハミルトンは今年入学したばかりだから、カーラの責任になるのはわかってる?」
「……寮長は私だけど、名前だけで……実際は最高学年の子に任せていて」
「その生徒がちゃんと寮をまとめているかチェックしていないの?」
「……」
モニカと話すうちにカーラの声はだんだん小さくなって、最後には黙って俯いてしまった。
「待って。ほら。うちはお兄様がふたりもいるし、モニカのところはジュードがいるでしょ?」
言うのは簡単だけどやるのは大変なんだから、あんまり責めては可哀そうよ。
カーラはまだ十二歳。学園には十八の子もいるのよ。
「初等教育課程の生徒に寮長は荷が重いと思うの。この中で寮長なのはカーラ以外だとエセルだけ?」
「そうね。うちはがさつだけどまっすぐなやつばかりで貴族らしくないし、軍が出来る前から協力して海賊退治をしていたから、領内の貴族の仲間意識が強いのよ。だからカーラが一番大変だと思うわ」
つまり体育会系なのよね。
「男の子だって大変なのは同じでしょ? クリスは……まあいいとして、ジュードだってダグラスだって入学と同時に寮長よ」
「嫡男には側近がいるじゃない。その辺を考えて年上の側近を親がつけるんでしょ?」
カーラの代わりに私が答えるのに、エルダは少し不満げな表情で目を細めた。
エルダの言い方は責めているみたいに聞こえちゃうわよ。
今のままではまずいのは確かだけど、エルダが焦っても仕方ないでしょう。
「だから、側近がいない代わりに実務をしている子がいるんでしょ? その子達と話をしなくちゃ。その子達が駄目なら、寮に相談出来る子はいないの? 出来れば高等教育課程の子がいいんだけど」
「以前はお母様がお茶会を開催してくれたんだけど、領地に帰って来なくなっちゃったし、お父様と仲違いしてから、私は部屋に籠っていることが多くて……」
「自分でお友達を招待しないと駄目よ。いつまでも親がしてくれるわけないわ。あなた、外国に嫁ぐ気だったんでしょう?」
「エルダ、落ち着いて」
どうどうとエルダの肩を叩いた。
「ディアこそ、私に言うみたいにはっきり言いなさいよ。言葉の壁のある異国にひとりで嫁いで、どうするつもりだったの? まさか部屋に閉じこもる気だったの?」
「それは……旦那様が手伝ってくれるから……」
「旦那はお父様じゃないのよ」
「言い方はきついけどエルダの言う通りよ。仕事で疲れている彼を支えて、屋敷内のことを取り仕切るのが奥さんの役目でしょ? もう私達は親に頼れる年齢じゃなくなってきているのよ」
モニカも加わってしまったか。
婚約者候補のお茶会ドタキャン事件から、ずっとわだかまりが尾を引いていて、もどかしかったんだろうな。
「なんで私ばかりそんな風に言われるの?」
「え?」
俯いていたカーラが不意に顔をあげ、膝の上で両手を握り合わせてモニカを睨みつけた。
「モニカだって精霊の森に屋敷をもらえたから、精霊を欲しい貴族が御機嫌を取るようになったんでしょ? 皇太子殿下とディアに手伝ってもらったくせに偉そうに言わないで!」
「カーラ?」
「なにもかもノーランドが正しくて、うちが悪いみたいに言わないでよ。あんな噂が広まったのは、ノーランドに不満を持つ人が多かったからよ。全部、お母様のせいじゃない」
エルダとモニカはカーラの勢いに驚いて、口を少し開いたまま目を瞬いている。
パティは私の腕に手を添えて、心配そうにみんなを見ていた。
私達、そういえばあまり喧嘩らしい喧嘩をしてこなかったのよね。
仲のいい友人で大切な子達だけど、互いの立場や領地の人達の期待もあるから、仲違いするわけにいかなくて、いつのまにか本音を言い合わなくなっていた。
「お母様が私のためにお茶会を開いてくれたのは、五歳の時が最後よ。ノーランドでお姫様扱いされて、それが当たり前になっていて、ヨハネスでも好き勝手していたの。それで周囲に冷ややかな対応をされるようになって、皇都に行ったきり帰って来なくなっちゃったのよ。私はお母様に放置されて、お父様は娘の教育がよくわからなくて、礼儀作法も社交界のしきたりも誰も教えてくれなかった。領地内の子供に会う機会なんてなくて、唯一友人と呼べたのはあなた達だけだったわ。お茶会の作法も、あなた達の様子を見て覚えたのよ」
マジか。そんなひどい環境だったの?
友人だとか言っておいて、私は何も気付かなかった。
そりゃ月に一度か二度会うだけの関係だから、気付けないのも仕方ないかもしれないけど、困った時に相談も出来ないなんて友人だと言えるの?
「ヨハネスの貴族達はお母様が大嫌いなのに、避暑に来るノーランドの貴族達はお母様がいるから来てやっているんだって態度だったわ。観光地だからお客さんが来ないと成り立たなくて、みんな我慢していたのよ」
「叔母様……なんてこと」
「ヨハネスのお爺様とお父様が、何もなかった領地を観光地に変えたの。領民も豊かになったの。だからみんな、お父様が我儘なお母様のせいで苦労していて気の毒だと思ってたの。だからあの噂に喜んだのよ!」
なるほど、そういうことか。
それで、例の恋の話がもてはやされたのか。
「ノーランドのお爺様だってひどいわ! 自分のところの領主が引退しろって言われて、それがどんな理由でも、不満に思わないわけないじゃない! 領主になれてもハミルトンは苦労するだけよ」
興奮して、カーラの声がどんどん大きくなるから、防音の結界を張って外に声が漏れないようにした。
これはもう吐き出してもらった方がいいわ。
全部一人で抱え込んでいたら、その重さに潰されてしまいそうだ。
それにこの感じ、懐かしいわ。学級会みたい。
こういうのも青春よ。今しか出来ないわよ。
「エルダだって、ベリサリオに任せて自分は何もしなくていいくせに偉そうに言わないで。小説を書いていても、きついことを言っても、ベリサリオと親しいから許してもらえてるだけでしょう。一番楽な立場じゃない」
「冗談じゃないわよ。子供の頃からベリサリオの三兄妹は大人みたいな会話をしていたのよ? 普通の子供だった私には訳がわからないわよ。でも仲良くしろ役に立てと言われて、毎年何か月もベリサリオにいなくちゃいけない気持ちがわかる? ミーアやネリーと比較されて、クリスに存在を無視されて、ディアの才能を見せつけられる気持ちがわかる?」
エルダがそう思っていたことは、もうだいぶ前に聞いていたから驚かないけど、こうして改めて言われると申し訳なくなってくるわ。
エルダも今のカーラのようにブチ切れたのよね。
それから私とエルダは、遠慮なくきついことを言い合える関係になったし、私達の喧嘩を見ていたお兄様達もエルダを面白い子だと思ったみたいで、それをきっかけに態度が変わったと思う。
「いいじゃないそんなの。ベリサリオが味方に付いているのよ。好きな小説だって書けるんでしょ?」
「書くわよ。卒業までに結婚相手を見つけられなかったら、家を追い出されて平民になるけどね」
「もう見つけてるくせに何を言ってるの?」
「え?」
「ジュードと婚約するんでしょ?」
「え?!」
「そうなの? なによ、教えてよ」
知らなかったわよ。水臭いじゃない。
いつの間にそんなに話が進んでいたのよ。
「待って。え?」
「まあ、うちの兄と? そういえばお婆様がそんな話を……」
「ええええええ?! なんでそんな話になってるの?!」
突然立ち上がったエルダは、とてもじゃないけど伯爵令嬢とは思えない声で叫んだ。
「知らないわよ。聞いてないわよ。私が誰と婚約するって? 誰が決めたの?」
「仲良さそうに喧嘩するからいけないんじゃない? じゃれているように見えるもん」
「ディア、あなた、驚いていないわね」
「そんな話をどこかで聞いたような気がする」
「どこでよ!」
「今はカーラの話だから、少しは落ち着いて。はい、座って」
「ともかく! 小説が認められるのだって、いろんな苦労があったのよ。お茶会に私を招いて、みんなの前で小説を読み上げて馬鹿にした子もいるんだから」
カーラも含めてみんながドン引きした顔になった。
嫌がらせする子って、よくそんなことを考えて実行しようとするわよね。
「それでどうしたの?」
「わざわざ本を買ってくれるなんて、実は私のファンなんじゃないの? って笑ってあげたわ」
「エルダって、どんどん強くなっているわね」
パティが感心したような声で言うと、エルダはにこやかに微笑みながら、わざとらしくドレスの皴を伸ばしてお淑やかに座り直した。
「学園で顔を合わせた時にね、ちょうどクリスが傍にいたから、彼女のほうを見ながらクリスと話をしたら言いつけられたと思ったのね。真っ青になって謝りに来たわ」
「ああ、たぶんそれはクリスお兄様が察して、相手の子に何か言ったんじゃない?」
「え?」
「小説を書き始めてからエルダは突き抜けた感じがするねって、お兄様達は前よりずっとエルダを気に入っているのよ。ふたりで小説の回し読みをしているかも」
「…………読む? うそ。どうしよ」
なんでそこで慌てるのよ。
まさかお兄様達をモデルに書いていないでしょうね。
バレたら何をされるかわからないわよ。
「やっぱりベリサリオに守られているんじゃない」
「あなただってベリサリオと親しいと思われているでしょ。使えばいいじゃない。妖精姫の親友ですって言えば、親が降格されても結婚相手は見つかるかもしれないわよ」
「それこそ、結婚してから苦労するわ」
「確かに……」
お互いに言いたいことを言い合ったのか、エルダもカーラも黙ってお茶を飲み始めた。
いいですよ? ベリサリオの名前が役に立つなら使ってよ。
そんなことより、今回の件をどう収束させるかが重要よ。
「言いたいことは全部言えた?」
「……思い出したらまた言うわ」
「ふふっ。うん、そうして。何も言わないで暗い顔をされる方が嫌だわ」
カーラは私の顔を見て、そっとカップをテーブルに置いた。
「いいわね。ディアは余裕があって」
「余裕?」
「私やエルダの価値なんて、皇太子殿下の婚約者と親しいとか、妖精姫と親しいってことくらいよ。本人の性格や技量なんてどうでもいいの」
「私まで一緒にしないで。……まあ、あってるけど」
エルダがむすっと呟く。
でも人脈ってそういうものじゃない? 社交界でコネって重要よ。
「ディアは悩むことなんてある? 忙しいのは不満でしょうけど」
「そうね」
カーラに聞かれて、顎に手をやって首を傾げた。
「自分にも金儲けさせてくれとつき纏う人はうざいわね。妖精姫だから何でも出来ると思って期待されるのも重いし、ニコデムスは聖女に祭り上げて攫おうとするし、婚約者を暗殺されそうになるし、これでもけっこう不満が溜まっているわよ」
「……不満の方向性が違うというか、重いというか」
「ごめんなさい。妖精姫は大変なのね」
「ね」
いつのまにかエルダとカーラは仲直りしたらしい。
ふたり揃って、神妙な顔で頷きあっていた。