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赤ん坊は暇だった

 あなた、ちゃんと寝てますか?

 野菜食べてますか?

 運動してますか?


 私、野菜は食べてました。





 その日、窓の外が明るくて目が覚めて。

 徹夜するつもりだったのに寝落ちしたのかぁ、締め切り明後日なのにまた印刷割り増しかぁなんて思いながら起き上がろうとして、体が思うように動かせないことに気付いた。

 やばい。なんだろう。睡眠不足のせい? それとも病気?

 ともかく落ち着こう。熱はあるかな……と額を触ろうとして。

 この手はなあに?


 ちっちゃい。

 ぷよぷよ。

 なにこれキューピー?


 よく周りを見たら、天井高いし、装飾過多だし、妖精っぽい絵が描かれちゃってるし、私が寝ているところヒラヒラのフリルだし。


 ここは私の部屋じゃない。いったい何が起こっているんだ。

 心臓バクバクで、起き上がろうとしてもやっぱり起きられなくて。

 でも普段なら、いい大人は泣いたりしない。

 涙目にはなるかもしれないけど、ふえええ……なんて泣かない。それが許されるのは小学生まで。


 でも泣いたね。

 ほぼ条件反射のように考える間もなく泣いていた。止められなかった。


「まあ、ディアドラ様。どうなさいました?」


 横から視界に飛び込んできたのは、大きな青い瞳が印象的な白人の少女だった。

 白人さんですよ、奥さん。

 街ですれ違うことはあっても、知り合いに外国人がひとりもいない狭い世界で生きて来たから、突然こんな近くに来られるとびっくりしちゃうよ。

 びっくりしちゃって、泣くの忘れちゃったよ。


「ちゃんといますよー。怖い夢でも見ちゃいましたかぁ?」


 ああこれ、赤ん坊に対する対応だ。友人や姉の子供の相手を何度もしてきたから覚えがある。

 赤ん坊や猫と話すときの甘い声は、無意識にやってしまうよね。

 このぷよぷよの手も赤ん坊の手だ。

 開いて閉じて開いて閉じて。

 うん。この手、私の手だ。

 はははは……、もう訳がわからなくて笑うしかない。


「きゃー、私の顔を見て笑ってるぅ。かわいい!」

「ちょっとダナ。そんな大きな声を出したら、お嬢様がびっくりしちゃうでしょ」

「でもシンシア、すっごいかわいらしいのよ」


 もうひとり来た。今度は赤毛の色っぽい子が。

 ふたりともかわいいんだ、これが。

 私をお嬢様っていうってことは、メイドだよね、このふたり。それっぽい服を着てるもん。

 メイド、レベル高いな。って、そんな場合じゃない。なんで私はこんな訳の分からない状況になってるのよ。

 今はいつ、ここはどこ、私は誰??




 私は某メーカーの物流オペレーター勤務の、普通のOLだった。

 ちょっとは上昇志向もあって、プログラミングの教室とか通っちゃって、でも趣味に費やす時間の方が大事になって辞めてしまった。


 出してたんですよ、薄い本。

 べつに腐ってたわけじゃないんだ。女のオタクはみんな腐ってるとは思わないでほしい。でも腐ってるのも平気だった。片足腐ってた時もあったかもしれない。それ腐ってるっていうのかな。半生くらい。

 学生時代は時間に余裕があったけど、働き始めると趣味に使える時間は激減して、締め切り前は寝てなんていられない。栄養ドリンク飲んで徹夜なんて当たり前だったよ。

 外出するよりは家でネットしてる方が好きで、友人と出かけるのはイベント扱い。休日っていうのは家で一人で過ごす日の事だった。

 仕事場でもずっと椅子に座り、帰宅しても寝るまでずっと椅子に座り、休日なんて一日中パソコンの前に座ってた。

 運動? 通勤で駅の階段上ってるし大丈夫って思ってた。


 で、脳の血管に血の塊が詰まってしまった……らしい。

 その辺はもう記憶が朧気で、誰かがそんなことを話しているのをうっすらと聞いたような気がするだけ。

 エコノミー症候群だっけ? 同じ姿勢でずっと座ってちゃ駄目なんだって知ってたけどさ、夢中になってる時って時間が経つの早いじゃん。トイレ以外で席を立たない日もあったのよ。


 まだアラサーよ。さすがに親に申し訳ないわ。

 妹にパソコンの処分は頼んであったけど、中身を読まれたらもっと申し訳なくなってしまう。もう死んだからお詫びのしようがない。

 で、自分はのうのうと生まれ変わって、どうやらいいところのお嬢様。

 まじ申し訳ない。

 出来れば夢枕に立って、お礼とお詫びのひとつも言いたい。

 姪の守護霊になって、大人になるのを見守りたかったよ。


 そうして二日ばかりうじうじしてたけど、状況は一向に変わらない。

 つまりこれは夢じゃなくて現実で、望む望まないにかかわらず私はこの世界で生きていかないといけない。

 もう腹を括るしかない。

 今度こそ、まっとうに生きて、親より長生きして、出来れば孫の顔を見せてあげたい!!





 転生して五日経ちました。

 この間にいろんなことがわかった。


 初日の夕刻、初めて家族と対面した。

 メイド、可愛いと思ったんだけどね、うちの家族の半端ない美形ぶりを見てしまうと、ああ普通の子達なんだなって思ってしまうよ。

 彼女達もかわいいんだけどね。

 会いに行けるアイドルグループには楽勝で入れる可愛さなんだけど、うちのお母様は、世界の美形ランキングの十位以内に入れるんじゃないかってくらいに綺麗だった。

 髪は明かりを反射して眩しいくらいのブロンドで、瞳はエメラルドグリーン。見つめられると底なし沼に引きずり込まれる感じ。いや不気味じゃないよ? 見惚れちゃうくらい深い深い綺麗な緑だよ?

 長い金色のまつげに縁どられたアーモンドアイはくっきり二重で、白人さんだから鼻が高い。子供を三人も生んだようには見えないよ。唇プルプルだよ。


 父親の方もすごい美形で、SNSでたまに流れてくる北欧出身のモデルの写真に紛れても、誰もおかしく思わずに、この人格好いい!と話題になりそうな容姿をしている。

 銀に近い金色の髪は少し長めで、前髪をかき上げる仕草が色っぽいのよ。

 父親なんだけどね、実感ないからさ、抱き上げられると照れ臭いったらない。

 赤ん坊だけど。


 で、アニキ達は天使。

 異論は認めない。


 五歳の長兄クリスはハニーブロンドのさらさらの髪で、瞳は母親と同じエメラルドグリーン。透明感のある美しさとでもいえばいいんだろうか。天然のフォーカスがかかっているように見えるのは、私の目か頭がおかしいのかな。


「わあ、かわいいね。早く一緒に遊べるようになりたいなあ」


 可愛いのはあんただ! byゼロ歳児。


 次兄のアランの方はまだ二歳だけど体が大きくて、赤茶色の髪に父親と同じ灰色の瞳。

 お兄さんになったのが嬉しいみたいで、ちょくちょく顔を出しては話しかけたり手や頬に触れてくる。


 そして驚いたのが彼らの服装。ここは中世のヨーロッパだったの?

 なにその博物館に飾られているようなドレス姿は。

 金がかかってるのはわかる。光沢のある布地で、細かい刺繍が入っている。

 でも窮屈そうで動きづらそうなのに、将来私もそれを着ないといけないんですか?

 やめようよ、体に悪いよ。私、今回は長生きしたいよ。

 中世だと寿命が現代よりずっと短いはず。

 なんで過去に転生するかな。未来にしてよ。宇宙旅行させてよ。百歳以上生きさせてよ!


 あれ? でも照明に使ってるの蝋燭じゃないよね。動物の油でもないと思う。よくわからないけど、油を入れる場所がない。

 お父様が飲んでいたお酒のグラスに、綺麗な氷が入っていたし、冷凍庫もあるってこと? 氷室だっけ?


 ともかくわからないことが多すぎるから、周囲に人がいる時は会話を聞き逃さないようにして情報を集めた。

 最初は何を言ってるかわからなかったけどね、ともかく単語を覚えて、絵本を見せてもらったら食い入るように文字を見た。


 ものっすごく暇なのよ、赤ん坊って。食って寝るしかすることないから。

 拘束具つけてベッドに置き去りにされてるような感じよ。正直苦痛。だから、言葉を覚える時間は嫌って程あったのよ。

 そうやって集めた情報によると、私がいるのはアゼリア帝国という国らしい。民主主義じゃないんだね。皇帝が治めているらしいよ。

 アニメやゲームのせいで、帝国っていうと悪役のイメージあるんだけどな。


 我が家は、ベリサリオ辺境伯家。

 私はディアドラ・エイベル・フォン・ベリサリオ。

 辺境伯ってなに? 身分的にはどれくらい? 辺境って言うんだから大自然の中に領地があるのかな?


 しかもここ、地球の中世ヨーロッパじゃないんですよ。だって、みんな魔法を使っているから。

 正確に言うと魔法を使うのは精霊で、国民のほとんどが、貴族は全員が契約を結んだ精霊をいつも連れて歩いてる。

 最初、綿埃(わたぼこり)か蛍かと思ったよ。小さな丸い正体不明の物体が、みんなの肩のあたりにふわふわ浮いているから。

 契約って言ったってね、どんなことするのかよくわからない。

 わからないけど、いつの間にか、私の傍にも水色の光がふわふわ浮いてた。いつ契約したんだろう。


 水の精霊らしいよ。

 おねしょしちゃうのは、こいつのせいだよきっと。

 したくないけどさ、まだ生まれて半年たたない子がトイレに行きたいって意思表示したら異常すぎるから、ここは思い切って漏らすしかないんだよ。

 動けないのもつらいけど、これも苦痛。早く大人になりたい。


「見てください。お嬢様にもう精霊が!」

「おお、さすが我が娘。これは魔力の高い子になるな」

「楽しみね」


 魔力!

 知ってる。MP使い切ると、量が増えるんでしょ。ネットで見た。

 筋肉だって、手足を使うと増えるし、体力だって運動すると増えるもんね。


 じゃあ、増やそうじゃないか。戦闘する予定ないし、したくないけど。他にすることないし。使い切ると気絶するから眠れるし。赤ん坊は眠ってなんぼだよ。

 それって身体に悪いだろう。長生きしないんじゃないのって後から気付いたけど、その時には魔力が増えてるのが実感出来たから、楽しくてやめられなかった。

 筋肉がついたら楽しくて、マシントレーニング止められなくなる人がいるのと同じだね。


 暇つぶしにもうひとつしていたのが運動。

 私が寝かされていたのは、いわゆるベビーベッドというやつで落ちないように柵がついてる。

 その柵を蹴った。何度も何度も。


「まあ、そんな下に寝てたんですか? すみません。足が当たっちゃいましたね」


 でもガタガタ音がするからダナがすっ飛んできて、私をベッドの真ん中に移動させてしまった。

 負けないけどね。

 体中をうねうねさせて、じりじりと移動して、体のどこかが柵に当たったらそこを起点に回転すればいい。すっごい時間かかるけど、暇だから。途中で疲れて寝ちゃったりもするけど、そこは睡眠優先で。出来る時だけ無理せず柵を蹴る。


「お嬢様、またですか?」

「また柵を蹴ってるの?」

「ベッドが狭いのかしら。でもとても嬉しそうに蹴ってるのよ」

「ほんとご機嫌ね。遊んでるんじゃない?」


 そう。やりたい事をやるために、ちゃんと意志を伝えないといけないと私は学習したのだ。

 柵を蹴ってる時は楽しそうに。きゃっきゃと手も動かしながら蹴る。ひたすら蹴る。

 会話を聞いて情報を集めたいから、傍で誰かが話している時はご機嫌な感じでたまに相槌までうっちゃう。あうとかふぇとかしか言えなくても、覚えた言葉は話す。相手に何を言っているか伝わってなくても話す。

 本を読んでくれたりしたらご機嫌だよ?

 その時はちゃんと本のページを見せてもらう。読んでいる場所を指で指示してくれたりしたら、超ご機嫌。にこにこしながらお話をおとなしく聞いている。

 子守が楽だから、みんな本を読んでくれた。


 魔力を使うときは、まず精霊に少しあげる。

 精霊って人間の魔力を糧にしてるんだって。

 私の精霊、勝手に魔力吸って、勝手に居つきやがってたわけだ。

 吸うものが違うだけで、蚊やヒルみたいなもんじゃんね。

 強い魔力を持つ人には強い精霊が宿るらしい。

 私の精霊、少し大きくなった気がするし、いつの間にか赤い光もふわふわしてた。

 餌か、私がしょっちゅう魔力放出しているからつられてきて餌付けされたか。


 そうして、私はとんでもなくやかましい赤ん坊になった。

 泣かないよ? 単語が話せるようになったら泣く必要ないもんね。

 もともとあぶあぶと、言葉にならなくても声のトーンでコミュニケーションしようとしていたから、うるさい子だったしおもしろがられてはいたのよ。

 それが単語になった。単語の羅列。

 助詞とか形容詞はまだ覚えきれてないけど、意思は結構通じるものだ。

 そうすると相手もたくさん話しかけてくるから、どんどん単語を覚えていく。

 本もたくさん読んでくれるから、いろんな勉強が出来る。

 赤ん坊の学習速度、はんぱないよ。


 最近は魔力を放出すると魔道具が動くようになったから、頭上に吊るされていた玩具の魔道具を順番に動かして、魔力放出して。もちろん精霊にも食べさせて。

 玩具の奏でる音楽の中、水色と赤の精霊がふわふわ踊るように揺れて、私は柵をがたがた蹴りながら、手をバタバタさせつつ単語を羅列する。

 どんな状況だよ。ホラーだろ。悪霊がついてるって思われるだろって思うよね。私も思った。

 でもなにしろ私お嬢様だから、いつも誰かしら傍にいるのよ。

だから誰もいない天井見ながら話したりしないよ。表情豊かにメイドに話しかけて、嬉しそうに楽しそうに手足をバタバタさせる。

 メイドの言葉を聞いて、ちゃんとそれに答えて単語を羅列するんだから、御乱心とは思われないのよ。


 元気な赤ん坊だったし、寝返りをするのも早かったので、ベッドからおろしてもらえるようになるのも早かった。

 嬉しかったよ。世界が少しだけでも広がったんだから。

 抱っこしてお庭に連れて行ってもらえるようになったしね。

 床におろしてもらえればこっちのものよ。

 その日のうちにハイハイしたよ。それも高速ハイハイ。動けるって素晴らしい!

 部屋が広いから運動のし甲斐があるのよ。摩擦で膝がすりむけたら、自分で魔法で回復してまたハイハイ。浮かれてたね。寝てるの飽き飽きだったのよ。


 柵を蹴っていたおかげで赤ん坊にしては筋肉ついていたから、ここからは早かった。

 ハイハイ三日目でつかまり立ちに挑戦。すぐ成功。

 ならばと立ったり座ったり転がったり。動き回ってもっと筋肉つけて、生後半年過ぎた頃には歩き出していた。

 最初に歩けた夜にはひとりで泣いたよ。嬉しくて。


 そうして一歳になる頃には、舌っ足らずだしまだまだ助詞とか言葉の順番とかおかしいけど、ちゃんと会話が成立するようになって、手を引かれれば自分で歩いて屋敷の中を移動出来るようになっていた。

 早すぎたね。異常だったね。

 我慢出来なかったんだもん。

 でもおかげでまずいことになってしまった。


「まだ一歳なのに、もうお話し出来るんですよ。お嬢様は天才かもしれません!」

「おお。私の天使は可愛いだけではなく才能もあるのか!」

「この年齢でここまでしっかりお歩きになれる方はいませんよ」

「そうね。クリスもアランもこんなに早くはなかったわね」

「精霊もすでにおふたりも。ディアドラ様は特別なお嬢様なのですわ」

「今度のお茶会で陛下にそれとなくお話ししてみようかしら」

「第一皇子がクリスと同じで今年六歳。第二皇子が二歳だったかな」


 やばい。皇族に娘を嫁がせられるほどうちって身分が高かったのか。

 皇家に嫁ぐなんて無理。

 しきたりや作法を学ばなくてはならないし、社交界の顔になるのは皇家の女性達だ。茶会や夜会はただの娯楽じゃない。現代日本でも政治家が料亭に行くでしょ。そういうところで歴史は動いたりするんだ。

 無理。歴史動かしたくない。絶対失言とかしちゃう。

 窮屈なドレス着て大勢の前に立つ緊張に耐えて、裏を読みながらそれでいてスマートに会話する。

 拷問でしょ、それは。

 長生き出来ない。


 何か策を考えなくては。


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