睡眠は大事 前編
「じゃあ、シロをお母様に預けていいか瑠璃に聞かなくちゃ。シロを呼んでくれる?」
「もう?」
「あまりふたりでいる時間はないと思うわよ。夜会までに帰らないといけないクリスお兄様が、もうすぐ顔を出すと思うの」
「たしかに。彼らが帰ってからまた話そう」
カミルはすぐに私から離れて、バングルに魔力を注いだ。
『やっと呼ばれたー! また遅いし! ディアが来てたのに!』
せっかくカフェで顕現出来たのに、またバングルに戻されていたのでシロはご機嫌斜めだ。私にしがみついて、腕に額をぐりぐりと押し付けている。
「シロに頼みたいことがあるの」
『聞いてたよ。ベリサリオに行くんでしょ。僕もそれがいい! 瑠璃様の湖に近いよ』
「それじゃ、瑠璃にそうしていいか聞いて来てくれないかな。それと、私がいつも気に入って座っている大きなクッションがあるのよ。あれって、この世界の素材で作れるか聞いて来てほしいの」
『ソザイ?』
ちょこんと首を傾げる仕草に癒されるわ。
きっとベリサリオ城のアイドルになるわよ。
でもみんな、自分の精霊獣が一番かわいいんだけどね。
「ディア、今度は何をする気だ」
「自分用にクッションを作りたいだけよ」
「本当にそれだけなんだな? 今はカフェのオープンに向けて仕事が増えて大変なんだ。これ以上は無理だぞ」
「わかってるわよ」
でも帝国でやる分にはカミルに迷惑かけないし、カフェのために働く人とクッションを作る人は別だもん。なんとかなるわよ。
『じゃあ行ってくる!』
「よろしくねー」
瑠璃の元に行けるのが嬉しいのか、シロは呆気なく機嫌を直して姿を消した。
シロがいなくなると急に静かだ。
カミルと並んでシロの消えた方向を眺めて、このあと何を話そうかと悩んで無言になってしまった。
「クリスの婚約者は、ディアの友達なんだよな」
「おお?!」
あまりに意外な話題をふられてびっくりしたわよ。
「そ、そうよ。スザンナ、美人でしょ」
「そうだな。確か、ダンスの練習の時にいなかったよな」
「あの時には皇太子殿下の婚約者候補として皇宮にいたから」
「なるほど。だから彼女とは挨拶しかしたことがないんだな」
マジか。カミルは私の友達とは話したことがあると思い込んでたわ。
じゃあ、モニカとも挨拶しかしてないのか。
「すっかりベリサリオに馴染んでいる様子だな。夫人とも仲がよさそうだ」
「古い付き合いですもの。侯爵家のご令嬢だから、家同士のお付き合いもあるでしょ」
「クリスが、あんなに婚約者を大事にするタイプだとは思わなかった」
「え? 何かあったの?」
「いいや、何もない。でもみんなで話をしている時も、時折ふたりで目を合わせて微笑み合っていただろう。恋愛中の男女って、ああいう感じなんだなと思った」
「…………なのに私は警戒した猫みたいな顔をしているって?」
「そうそう」
そんな空気が甘くなるようなこと、私には出来ないわよ。
目が合ったら慌ててそらして、見てないですよって顔をしちゃうわよ。
「いつも近くにいられるのはいいな」
「いずれは嫌でも毎日顔を見るようになるわよ」
「いいね。楽しみだ」
こうやって会話している間も、カミルはずっと私の顔を見ているのよ。視線を感じまくりで振り向くのが恥ずかしい。
そんな嬉しそうな顔をされると、どう反応していいかわからなくなる。
私も嬉しいよ? やっとふたりきりで話せるしね。
困るけど嬉しい。嬉しいけど、どうしたらいいかわからない。
あまり恋人らしく出来なくて、気持ちを疑われたり、もう付き合えないって思われるのも嫌だから、誰か正解を教えてくれ!
『お待たせ!』
「はやっ!」
「もう帰って来やがった」
『カミル! 邪魔扱いすんな!』
空中で宙返りして、カミルの顔面に張り付こうとしたシロは、捕まえられてカミルに抱えられて、ちょっと満足そうだ。
なんのかんの言いながら、仲良しだったんじゃない。
「それで瑠璃はなんだって?」
『来るって』
「は……」
意外な返事に驚く間もなく室内が光に包まれて、大きなクッションを抱えた瑠璃と、両手にひとつずつクッションをつまんでぶら下げた蘇芳が現れた。
『何を驚いている? これが欲しいのだろう?』
どさどさっと蘇芳が乱暴に床にクッションを置くのに少し眉を寄せて、瑠璃は私の前にそっとクッションを置いてくれた。
「そうだけど、違うの。現物を欲しいなんて言う気はなかったの」
『なぜ? 欲しいなら言えばいい』
「そんな甘やかしてはいけません!」
精霊王達もうちの家族も、ブレインやっているおじ様達も甘すぎなのよ。
欲しいって言えば何でも手にはいるなんて、そんなの我儘娘が出来上がっちゃうわよ。
『おまえが何か欲しいなんて言ったことが今まであったか?』
『頼まれたのは、少女を助けることだけだよな。ああ、ルフタネンの精霊王を起こせって言うのもあったか。どちらも人助けじゃないか』
『だから今回は喜んで持ってきたんだが……迷惑だったか』
「そんなことはないのよ。嬉しいの。でも、どっちかというともっと欲深いお願いだったの」
瑠璃と蘇芳がふたり並んできょとんとした顔をしているなんて、滅多に見られる情景じゃないわよ。
その横ではカミルが物珍しそうに、クッションを触って驚いた顔をしている。
「これは、すごく手触りがいいですね。中に何が入っているんですか? 小さな粒?」
『説明が難しいな』
「この粒、この世界でも作れるの?」
『現物があるのに作りたいのか? 誰にあげるんだ? 何個欲しい?』
現物で寄越そうとしないで!
瑠璃は精霊王の中でも一番冷静なタイプなのに、私のことになるとお父様とあまり変わらない反応になる。すっかり保護者よ。
「この中身を活用して、違う物を作りたいの。このままだと、特に女性は使いにくいのよ。だから、中のビーズ……ビーズじゃないわよね、これ。弾力あるのよね。改めて触るとよく出来てるわね」
「これに座るのか? ひっくり返らないか?」
「座る前に形を整えれば平気……」
「ディア? ここにいるのか? いつまでカミルと……え?」
勢いよく扉を開けて入ってきたクリスお兄様が、瑠璃と蘇芳の存在に気付いて動きを止めた。
まさか精霊王が来ているとは思わないよね。
「どうしたんですか? 何か……って、これは?」
「持ってきてもらっちゃった。えへ」
「えへじゃない。今度は何を思いついたんだ?」
なぜそこで、私じゃなくてカミルに聞くのかしら?
「このまま座るとは思わなかったのか?」
「だったらあんな、笑いでごまかすような話し方はしない」
「確かに。だがまだそこまで話は進んでいない。ただ中身を利用して何か作りたいらしい。素材を確認しているところだ」
「中身……この小さな粒か」
カミルとクリスお兄様が真剣な顔で、同じクッションをつまんで中の粒の手触りを確認するのを、瑠璃と蘇芳が微笑ましく見ている様子は最高よ。萌え。
このまま一晩くらい眺めていたいけど、あまり時間がないのよね。
「それで、何を作ろうとしているんだ?」
「たとえば、戴冠式に合わせて新しい玉座を作っているじゃないですか。会議室の椅子も、大きくてどっしりしているのはいいんですけど、長く座っているとお尻が痛くなりそうですよね?」
「いや、でもこれは……」
「なるほど。これを使うのか」
ふたりとも理解が早くて助かるわ。
「瑠璃。これは粒にしないと駄目なの? せっかくのクッション性を活用したいのよ。塊に出来ないの?」
この世界では、枕もソファーもベッドも羽毛や綿を使っているのよ。スプリングだってないからね。
低反発まではいかないけど、このクッション性は画期的よ。
『さあ、やってみないとわからんな。出来るんじゃないか?』
「だったらいずれは枕や、ベッドのマットレスにもこれを使えるじゃない。抱き枕もいいし、あ、戴冠式に各国からお客様が来るから……」
「待て。ディア落ち着け」
「おーい。戻って来い。カフェのオープンで大変なのを忘れるな」
カミルとクリスお兄様に両側から肩を掴んで止められた。
今、おもしろそうなことをいろいろ思いついたのに。
「もちろん今すぐじゃないですよ。でも玉座は喜ばれると思いますよ。それにパウエル公爵とバーソロミュー様とドルフ様にベッドをプレゼントしたいです。睡眠は大事ですよ」
「わかった。わかったから落ち着こうか。何も襲撃者が現れたことに、ディアが責任を感じる必要はないんだよ?」
え? カミルってば何を言っているの?
「そうだぞ。さっきディアに仕事をふらなかったのは、少しだけカミルと話す時間をあげたいと母上が言い出したからだ。誰もディアは頼りにならないなんて思っていないよ」
「クリスお兄様まで、そんなのわかっています」
「そう? 本当に?」
「……でも、私は実務はまったくタッチしていないし」
「適材適所だろう。何もかもディアがやったら、他の人の仕事がなくなるよ」
そうだけど、もう他の仕事も一段落したし、そろそろ何か考えないといけないかなとは思ってた。
ニコデムスなんて面倒な相手に狙われたり、外国から妖精姫に会わせろとしつこく言われたり、私のせいで家族に大変な思いをさせているでしょ。
『馬鹿だなあ。家族がディアのために何かするのは当然だろう』
蘇芳が乱暴に頭を撫でたから、髪がくしゃくしゃになってしまったじゃない。
『責任感が強すぎるのも考え物だぞ』
「そうだよ。家族には甘えておけばいいんだよ」
瑠璃とクリスお兄様にまで言われてしまったら、頷くしかない。
でも、確かにちょっと申し訳なさがあって、そのせいで今このタイミングで言い出しはしたけど、元々考えてはいたのよ。
「でも、商品化まではしなくても、玉座には使いたいです!」
『相変わらず面白いな。クッションのままで使うんだとばかり思ってた』
「ふふん」
蘇芳にどや顔して見せてから、瑠璃に向き直った。
「それでどうなの? 作り方を教えるのはまずいならいいのよ」
『まずくはない。だが、物質の名前を言ってもこの世界の者には伝わらないだろう。素材の組み合わせ方を教えればいいのか?』
『瑠璃、違う。作り方全部を教えないと駄目だ。つっても、俺達は魔法を使う方法しかわからないぞ』
「人間にも作れる?」
『精霊獣のいる者が、何人かで協力すればな』
そうなると、かなりの高級素材になるわね。
一度にどのくらいの量が出来るかにもよるけど、贅沢品になりそうね。
『素材は……そうだな』
『魔獣の骨にしようぜ。放牧してるだろ。ディアは乱獲も気にするだろ?』
「するわ。絶滅させたくないもの。で? 魔獣もいろいろいるじゃない? 蘇芳の住んでいる近くにいる魔獣?」
『放牧してるやつだって。毛皮と肉は活用してたが、骨はまだだっただろ。ウサギ型の……』
「コルケット辺境伯のところで放牧しているやつ?!」
蘇芳が言い出したから、ノーランド絡みかと思ってたわ。
待って。コルケットで放牧している魔獣の骨が、ゴミじゃなくて売り物になるってこと?
「それは……いいな」
クリスお兄様としてはラッキーよね。
スザンナ経由、いえオルランディ侯爵経由でコルケットに話を持ち込めば……って、またベリサリオにお得になる話になっちゃうじゃない。甘いよ!
『それと、アワガエルの泡だな』
「アワガエル?」
「マジか……」
カミルが驚いた顔で呟いた。