ふたつめの別邸 中編
アランお兄様が戻ってくる頃には、今日中に片付ける予定だった部屋の内装はちゃんと決め終わっていた。
カミルがずっと横にいて相談に乗ってくれて助かったわ。
ジェマやネリーを当てにしていたのに、ネリーは自分の部屋を見に行ってしまうし、ジェマは警備をチェックするからといなくなっちゃうし、レックスは全く役に立たないんだもん。
カミルに意見を聞きながら、真剣な表情で考える私を見るデザイナー達の顔が微笑ましげで、子供を見る保護者の顔になっていた気がする。
アランお兄様と合流して向かったカフェの建物は、もう内装のリノベーションがすっかり終わっていて、見違えるほど綺麗になっていた。
フロアの家具も調理場の道具も新品よ。
貴族を相手にする店舗なので、私達が到着した時も従業員の教育中だった。
言葉遣いに歩き方。ナプキンや食器の並べ方に給仕の仕方。覚えなくちゃいけないことは山積みよ。
「入り口はこっち?」
「そうだ」
「ちょっと外が見たい。港からの距離はどれくらい?」
カミルが転移魔法で連れて来てくれたので、外の様子はまだ見ていない。
何か気になるみたいで店の外に出て行くアランお兄様に、カミルと一緒について行く。
建物は海に突き出た丘の上にあるので、入り口を出て店の敷地を抜けると坂になっている。坂を下って右に曲がれば港に続く道で、まっすぐ進む道は街の中心街まで続いている。
「港がよく見えるな」
「高台だからね」
「向こうからもこっちがよく見えそうだな」
「え? 魔法で狙撃されるのを気にしているんですか?」
「「…………」」
なんでふたりして呆れた顔をするのよ。
アランお兄様は安全面の心配をしていたんじゃないの?
「なんでそんな物騒な話になるんだよ」
「この距離で魔法を当てられるやつなんているのか?」
まあそりゃあそうよね。やれと言われればチャレンジしてもいいけど、命中させる自信はないわ。
「街までの距離はどれくらいだ?」
「精霊車ならそれほどかからない」
「港からも近いんじゃないか?」
「いや、港に向かう道は途中に役所の敷地があるから、けっこう遠回りになるんだ」
アランお兄様が心配しているのは距離の問題?
港からも街からも近いのは、むしろいい話じゃないの?
「失礼します!」
急ぎ足で近付いてきたのは、確かファースっていう名前の人だ。
いたの?! って感じでびっくりよ。
カミルにはエドガーが、私とアランお兄様にはジェマとルーサーが傍に控えていたから、ファースまで警護についていたとは思わなかったわ。
「裏口から、不審者を侵入させようと手引きしていた従業員がいました」
ファースの来た方角から、後ろ手に縛られた男三人と女ひとりを連れた黒ずくめの男達が近付いてきた。
この人達は何?
警護って兵士か騎士がするのが帝国では普通なのに、アサシンみたいに身軽な格好なのよ。
隠密? まさか忍者?
なんて喜んでいる場合ではない。
私達からかなり離れた位置に跪かされた四人は、全員が私をガン見していた。
眼差しが異常にキラキラしていて不気味なんてものじゃないわ。
この場にいる全員が彼らの様子に気付いているようで、私を守ろうと精霊獣を小型化して顕現させた。
もう捕まっている相手なのに警戒してしまうほど、四人の雰囲気は異常だったのよ。
「聖女様……」
女性が呟いた一言で、彼らが何者かわかったわ。
またなの? どこに行っても付きまとうつもりなの?
「違うわ。私は妖精姫と呼ばれているの」
自分で妖精姫というのはかなり恥ずかしいけど、聖女にさせられるよりはマシよ。
「ニコデムス!」
「従業員に入り込んでいただと? 身元確認はしたはずだ。彼女は誰の紹介だ」
「すぐに確認します!」
カミルもアランお兄様も、私を彼らから隠そうとするみたいに一歩前に踏み出した。
「邪魔しないでください。私達の聖女様ですよね?」
「ディアがニコデムスの聖女になるわけないだろう」
「あなたには聞いていないわ! ベリサリオは聖女様を洗脳して無理矢理働かせているんでしょ!」
彼女は何を言っているの?
妄想と現実の区別がつかないの?
「このままではその男と結婚させられてしまいます。我らと参りましょう!」
「だから俺を消そうとしたのか?」
カミルの声が低くなり、目が鋭くなった。
アランお兄様もすぐにでも剣を抜きそうな剣呑な雰囲気になっている。
「そうよ。聖女様はあなたなんかにはもったいないわ」
「政略結婚反対!」
「いいかげんにして」
こういう時は、男性陣に任せて後ろに下がっていなさいと言われていたけど、やっぱり私には無理です。ごめんなさいお母様。
「あなた達が私の何を知っているのよ。うちの家族の何を知っているの? あなた達ルフタネン人でしょ? 今までカミルの何を見てきたの? 北島や西島で起こっていることをちゃんと見ているの?」
「ディア」
「私の大事な家族やカミルを侮辱するのは許さないわ」
止めようと私の肩に置かれたアランお兄様の手を振り払い前に出ようとしたけど、がっちりとアランお兄様の手がお腹に回されて止められた。
「ディア、俺達は気にしていないから大丈夫だよ」
カミルに肩を抱かれて見上げると、困った顔をして微笑んでいた。
「だから泣かないでくれ」
「泣く?」
こんなことくらいで、私が泣くわけないじゃない。
私は怒ってるの。大事な人達より自分の方が私を理解しているという顔をされるのが、許せないの。
「ディア、落ち着いて。深呼吸して」
「アランお兄様」
「家族のことで怒ってくれるのは嬉しいけど、こんなやつらを相手にしなくていい」
頬をぬぐう手が濡れているのを見て、本当に泣いていたんだと気付いた。
他のことならいくらでも冷静でいられる。自分を攻撃されるのなんてへっちゃらよ。
でも家族のことを言われると、いつも冷静ではいられなくなってしまう。
今度こそは家族を悲しませたくないの。迷惑もかけたくないのに、どうしてほっといてくれないの。
「カミル、おまえとディアは政略結婚だと思われているみたいだぞ」
アランお兄様がさっきまで会話していた時より大きな声で話し始めた。
「政略結婚だったら、ベリサリオは帝国内のやつと結婚させるだろ」
カミルは頭を掻きながらそっぽを向いた。
跪かされたままの四人は、失望や怒り、憎しみさえ浮かべてアランお兄様やカミルを見ている。
こいつらの脳内はどうなっているのよ。
「私がカミルと初めて会ったのは六年も前よ。それから何度も会って話をして、悩んで、迷って、それでも婚約を決めたの。政略結婚じゃないの。恋愛結婚なの!」
アランお兄様に腹に腕を回され、カミルに肩を抱かれたままで、腰に手を当てて仁王立ちになって言い切ったら、背後からピューー!! っと指笛の音が聞こえてきた。
「ヒューヒュー! 熱いですね!!」
「ふたりが恋愛結婚だって、北島の人間はみんな知ってますよ!」
「ニコデムスなんて追い出しちまえ!!」
なにごと?!
慌てて振り返ったら、いつの間にか大勢のギャラリーが店の敷地内まで入ってきていた。
警備が止めているせいか、それともおおらかなルフタネン人の気質のせいか、少し離れた位置に三列くらいに行儀よく並んでいて、一番前の列の人達は後ろの人が見えるようにしゃがんでいる。
そのほとんどがアロハを着たごつい男達だ。
「え? あの人達は?」
「たぶん港から来た人達だ」
それでアランお兄様は港からの距離を気にしていたの?!
さっき大きな声を出したのは、彼らに聞かせるためだったのね!
「港からどうやって来たんだ?」
「これですよ」
カミルに聞かれて男達が片手で持ち上げてみせたのは、様々な形のフライだ。
確かにフライを使えば、砂浜だろうが多少の障害物があろうが、まっすぐここまで来られてしまう。
「さっき街をぶらついた時に、フライの普及率に驚いたんだよ」
私が落ち着いたと思ったんだろう。
ようやくアランお兄様が解放してくれた。
「ルフタネンは平民でも精霊のいる人が多いだろ? 子供達がフライを使って空中で回転したり体を捻ったり。技を競い合っていたんだ」
スケボのフライ版みたいなものか。
よく見たら、仕事で使いやすいように改良しているフライを持っている人もいるじゃない。
「カミル。彼らに至急特許を取らせて。帝国には今、いろんな国の人が来ているの。カフェのオープンに合わせてルフタネンにも来るわよ。特許を取っていないとアイデアを盗まれるかもしれないわ」
「フライのアイデア?」
「そうよ。彼の折り畳み式にしているやり方や、向こうの荷物用の付属品の付け方なんて、他にも応用が利くでしょ。それとフライのその遊び。名前を付けて北島発祥の競技にするべきよ。始めた子供達にも何かしらの恩恵が行くようにしないと駄目よ」
いずれフライの国際競技が開かれるなんて素敵じゃない?
外国との交流を進めて、互いの文化を知れば、戦争は少なくなるかもしれないわ。
そうじゃなくても、競技化して賞金を出せば、子供達に新しい生き方を提案出来るかも。
「街中でやるのは危険だから、広場でやれるようにした方がいいわ。通行人にぶつかって怪我をさせたら大変よ。なんなら私が投資しましょうか?」
「落ち着けディア。また始まったぞ」
「俺がやるから大丈夫だ。おまえ達、帰る時にあそこにいる男にフライを見せてくれ。特許の申請をした方がいい物は、すぐに手続きをするから」
特許ってなんだ? と、きょとんとしている彼らに説明するために、急いで何人か人員が呼ばれることになった。
リルバーン連合国では他人の商品なのに特許申請して、金を儲けようという輩が問題になっているらしい。
多少汚い手を使っても、連合国内部で自分の国を一番にしたいという人達が争っているんだそうだ。
「あのー、発言してもよろしいでしょうか」
一番前にいた男性がおずおずと手をあげた。
「なんだ?」
「若の腕輪、さっきから光ってますぜ?」
言われてカミルの腕に注目すると、確かにピカピカと光を発している。
「これは……シロ?」
『おっそいよーーー!!!』
名前を呼ばれた途端、まばゆい虹色の光と共に空中にシロが姿を現した。