ふたつめの別邸 前編
翌日カミルは、私が朝食を食べている時間にはもうベリサリオに顔を出していた。
だったら泊まればよかったのにと言いたいところだけど、ルフタネンは帝国と違って、五日までは各島で新年のお祝いをして、五日の夜に王宮で開催される舞踏会に出席するのが仕事始めみたいなものらしい。
だから今は北島の新年の祭りの真っ只中なの。
カミルは北島で一番位の高い立場なので、舞踏会や夜会に出なくても挨拶に来る貴族はたくさんいるのよ。
「迎えは誰かに任せてもいいのに。内装や家具の話はデザイナーを呼んでいるんでしょ? だったらカミルは立ち会わなくても」
「ディアに会えるせっかくの機会なのに?」
会えるのは嬉しいけど、たくさん人がいるから会話もまともに出来ないのよ?
うちはクリスお兄様がスザンナと並んでお祝いの席に顔を出していれば、私はいなくても気にする人はいないだろうけど、カミルはそうじゃないでしょ?
「ディアが来ると話してあるよ。北島の貴族達は、妖精姫を最優先にしたいんだから問題ない」
「そんな恩を感じてくれなくても……」
「今でも恩が現在進行形で積み重なっているのに? フェアリーカフェのオープンに合わせてルフタネンを訪れる、帝国貴族のホテルの予約が、けっこう入っているんだよ」
帝国ではベリサリオに接点が持てなくても、ルフタネンならライバル少ないもんね。
でもいいのかな。私、北島の貴族ってオジサマ達しか知らないのよ。
同年代はもちろん、女性陣はほとんど会ったことがないの。
あまり気を遣われると、正式に婚約してから大変になるんじゃないのかな。
「まずは、二階の奥にある転移用の部屋に行くよ。転移する時はその部屋にしてくれ。屋敷から外に出ないなら入国審査は免除になる」
「今回は?」
「カフェに行くから、もう入国の手続きはしてあるよ」
至れり尽くせりって、こういうことを言うのよね。
自分からも会いに行った方がいいかと思って計画したせいで、カミルの仕事を増やしているな。
「ディア、行くよ」
アランお兄様と一緒にカミルに掴まる。
私の方はレックスとネリーとジェマが同行して、アランお兄様の方はルーサーが同行することになっているので、今回も転移魔法が使える魔道士が何人も活躍してくれているのよ。
転移魔法を出来る人はまだ数が少ないのに、私の荷物の運搬までさせてしまって申し訳ないわ。
カミルの言葉通り、到着したのは家具のいっさいない広いホールだった。
ルフタネンの建築には珍しく、高い位置に小さな窓があるだけの殺風景な部屋で、開け放たれたままの両開きの扉の先には、まっすぐに廊下が伸びている。
ルフタネンから移動した荷物の一部が壁際にずらりと並んでいて、これを整理するのかと思っただけで眩暈がしそうだ。
「次からは、この壁に空間を繋げればいいかしら」
「うん……まあ。たぶんそうだと思って、外から見えないように窓を小さくしておいた」
窓が小さいのはそういう理由だったの?
私の転移魔法って、見られたらやばいもの? もう帝国じゃ有名なんだけど。
「いらっしゃいませ」
「お待ちしておりました」
しずしずと部屋に入ってきた制服を着た男女がいっせいに頭を下げる。
彼らがこの屋敷のために雇われた人達のようだ。
「女性は三人だけ?」
「最近、ニコデムスがまた動き出しているだろ? 彼らは全員、自分の身を守れる手段を持つ者達だ」
「ほお」
「なるほど」
カミルの説明にジェマとルーサーが嬉しそうな顔をした。
なんて物騒なカップルなのかしら。
「内装に関しては女性陣の意見を聞こうと思っていたんだけど」
「デザイナーを呼んであるのに? 彼らがいろいろと提案してくれるはずだ」
「その提案を聞いて選ぶのが難しいんじゃない」
でもきっと大丈夫よ。絵を描いていたんだもん。色のコーディネイトは出来るはず。
ただ二次元と三次元は違うのよ。
私の前世の部屋は、推しのポスターを貼るために他はモノトーンにしていたからなあ。ひとり住まいだったから女の子っぽくないカーテンを選んでいたし。
「従業員の私室や調理室、作業室は使用するみなさんの使いやすいようにしてもらっていますよね?」
「はい。ありがとうございます。そうさせていただいていますわ」
三十代と思われる女性が代表して返事をしてくれた。
彼女がこの屋敷を切り盛りしてくれるらしい。
「まずは玄関ホールに行こう。そこからなら俺の屋敷も見える。この屋敷は公爵家の敷地内にあるから、うちの筆頭執事がふたつの屋敷を管理しているんだ。レックスとネリーはディアがいない時でも時間があればこちらに来て、こちらの従業員と打ち合わせしてくれ。婚約まで二年あるとはいえ、ディアの場合、絶対にアクシデントが起こるからな」
「ですよね」
「よろしくお願いします」
私が暮らしやすくなるかどうかは、屋敷で働く人たちの手にかかっているから、さっそくカミルはレックスとネリーを従業員に紹介した。
伯爵令嬢のネリーと一代限りとはいえ男爵になったレックスの身分を聞いて、こちらの人達の背筋が少し伸びた気がする。
「こちらに階段がある。正面玄関はここだ」
「広いな」
「アランお兄様用の部屋を用意しましょうか」
「いいね。ディアの部屋の隣がいい」
カミルが少し嫌そうな顔をしたのは見ない振り。
これだけ部屋がたくさんあるなら問題ないでしょう。
「外からも建物を見たいわ」
「わかった。少し待っていてくれ」
私達を見つけて挨拶しようとしていた一団を止めて、カミルは正面玄関の扉を開けた。
さすがルフタネン。ベリサリオよりも暖かいわね。
よく晴れ渡った空に茶色に近い金色の屋根が映えている。
「でか」
アランお兄様が思わず呟くはずよ。
下手な貴族の屋敷よりでかいわよ。
庭まで含めたら広大と言ってもいい広さよ。
「ルフタネンは島国だから、土地は貴重なのよね。こんなに広くする必要ないでしょ」
「兄上がお詫びの意味を込めて建てたからな。このくらいの建物にはなるだろう。庭は俺の屋敷と共有だよ」
「あ、公爵家の庭なのね。よかった。全部返して来てって言おうと思ってたところよ」
「返す? 迷惑だったか?」
カミルに心配そうな顔をされて、つい自分の口を手で覆ってしまった。
私のために用意してくれたのに、この反応は失礼よね。
「迷惑ではないのよ。でも国王陛下はもう何度も謝ってくださっているのだから、ここまでしていただかなくてもよかったの。反対に申し訳ないわ。ルフタネンに用事がある時は、迎賓館かカミルの屋敷にお邪魔すればいいでしょう?」
「俺の屋敷……そうだよな。俺の屋敷に滞在するんでも……」
「駄目。せっかく建ててもらったのに何を言ってるんだ。ほら、中に入って内装を決めちゃいなよ」
向かい合って話していた私とカミルの間に割り込んできたアランお兄様は、建物の中まで私達の背を押して、私達が玄関に入ると自分だけ足を止めた。
「じゃあ僕は、昼までこの周囲を見て回るから」
「ええ?!」
「レックス、ディアから目を離さないで張り付いていてね。ルーサーはどうする?」
「お供します」
「アランお兄様?!」
「カフェに行く昼前には戻るよ」
さっさと背を向けて歩き出したアランお兄様を追って、ルーサーは私に一礼してから外に出て扉を閉めた。
「なんてこと」
最初から、私の手伝いをする気なんてなかったんだ。
制服のボタンを全部閉じて、中の服が見えないようにしているアランお兄様が、内装や家具を選ぶ手伝いなんてするわけがないわよね。
「ひとりじゃ不安か?」
「そんなことはないわ。カミルがいるじゃない」
「……そうか」
照れた顔をされると、こっちまで恥ずかしくなるからやめようか。
昨日から態度がそっけないという自覚はあるのよ。
でも声変わりしてすっかり大人びてきたカミルの横にいると、どうしたって意識しちゃうんだもん。
目が合っただけで鼓動が早くなるなんて、もう病気よ。それで照れくさくてそっけなくなってしまう。
このままじゃ、初めての恋にいっぱいいっぱいで、可愛くないことをしてしまう思春期の女の子みたいだわ。
あ、私は思春期の女の子でした。
初めての恋でいっぱいいっぱいでした。
そういえば最近、カミルはまだ十四歳の子供……なんて思わなくなっている。
前はお父様相手でもドキドキしたのに、今はもう父親以外の何者でもないし、その年代の人達は年上すぎて、すっかり恋愛対象外だわ。二十代でも年上すぎる気がするくらいよ。
いつのまにかすっかりディアの年齢に引きずられている。
前の人生は終わっているのだから、その年齢をプラスするのがおかしいのだけど、どうしてもアラサーまで生きた感覚が抜けなかったのに、初めて恋愛をしているせいか感覚が十代になっているわ。
……これでよかったのよね。
これはディアの人生なんだもの。
「ディア?」
「えーっと、玄関ホールと廊下と転移部屋と私の部屋。春に両親が来た時に泊まる部屋さえ決めればいいのよね」
「デザイン案を描いて来てくれているはずだから、選べばいいよ」
この世界には、コーディネーターという職業はいないのよ。
カーテンや家具のデザイナーが、自分の商品にあった部屋の提案をするのが普通なの。
この屋敷はたまにしか使わないから、管理する人達が楽な内装がいいわ。
「花瓶はいりません。花は飾らないわ」
女性の好きそうな素敵な花を生けた花瓶を、ホールや廊下に飾る提案をしようとしていた人は御免なさい。
「私がここにいない時の方が多いから、そんな時まで花の手入れは大変でしょ? あ、もちろん従業員の人達が使うところには、好きに飾ってね。ホールや廊下は照明を凝りたいのよ。私も何種類か持ってきているから、卓上の照明を見せてほしいわ」
それから昼までは、デザイナーの持ってきた提案を元に、細かく注文を好き勝手につけさせてもらった。
やっぱり漫画を描いていたのがここでも役に立ったわよ。
そういう機会がなかったら、中世のお城の内装写真なんてなかなか見る機会ないでしょ。
問題はカーテンとかベッドカバーやクッションよ。
「この柄で部屋ごとに色を変えるのはどう? 床に近い方を濃くしてほしいわ」
「よろしいのでしょうか。この織り方はお値段が」
「値段は気にしなくていい」
かっこよくカミルは言い切っているけど、全部を出してもらうのは気が引けるわ。
商会で稼いでいるのに使う機会がないんだから、私だって払うと言いたい。
……言ってもいいのよね?
ここは甘えた方がいいのかな?
「払うなんて言ったらだめですよ。カミル様と国王陛下の厚意を無下にすることになります」
「そうですよ。もっとわがまま言ってもいいくらいです」
「そ、そう」
ジェマとネリーが言うのならそうなんだろう。
「その分、商会が稼げるようにすればいいんです!」
「ネリー、それも違うわ」
「なるほど。そろそろ新しい商品があってもいいわね」
「違います。商品はあってもいいんですけど、違いますよ、ディア様?」
前からちょっと試したいことがあったのよ。
瑠璃に聞いてみないと駄目なんだけど、そんなに数が出るものでもないし、私も欲しいし。
あとで聞いてみよう。