陰謀がいっぱい 後編
「モニカ、向こうまで声が聞こえた。大丈夫か?」
どういう対応をするのかと思ったら、皇太子は意外にも優しい声でモニカに話しかけ、そのまま腰に手を当てて抱き寄せた。
皇太子の存在に気付いて、その場にいた侍女達が片手を胸に当て片手でスカートを摘まみ、いっせいに首を垂れる。
でも倒れ込んでいた侍女は自分が被害者だとでも言いたげに床に座り込んだままで、仲間の侍女も隣にしゃがんで彼女を助け起こした体勢で皇太子に注目していた。
「アンディ?」
モニカはびっくりして皇太子を見上げ、安心させるような笑顔を向けられてほっとしたのか、彼の肩口に顔をうずめた。
とってもお似合いのカップルなのよ。
外野が文句を言うなんて、筋違いも甚だしいわ。
「彼女が生活する部屋に何を置こうが何を使おうが、彼女の自由だ。なぜ侍女が口を出す。こんな使えない侍女を採用したのは誰だ」
「女官長です」
「そいつはクビにしろ」
「かしこまりました。しかし今までこの者達のやり方に気付けなかったのは私の責任です。申し訳ありません」
「いいえ。彼女達はへスターの前では態度を変えていたんです。気付かなくて当然です。相談しなかった私が悪いの。自分でどうにかしなければと思ってしまったの」
「失礼します。モニカ様」
お母様が前に出たので、当然私も、他の夫人達も、侍女や護衛もぞろぞろと姿を現したものだから、その場にいた人達はびっくりして、何が起こっているかわからなくてぼけっとしてしまっている。
「ナディア様」
「出過ぎたことかもしれませんが、私の話をお聞きいただけますか?」
「もちろんです」
「モニカ様は真面目でまっすぐな性格のお方です。ですから自分が皇室のしきたりと中央の慣例を学び、マスターすれば、侍女達もあなたを認めていい関係が築けると思い、何を言われても我慢して、頑張ってしまったのではないですか?」
「……はい。そう思っていました」
モニカは皇太子から少し離れて話を聞こうとしているのに、皇太子は離す気がないようで、彼女の腰に手をまわしたままだ。
その様子を見る侍女達の表情がもう、妬みとか羨望とか怒りとかがごっちゃになってひどいの。
まさかとは思うけど、もしかしたら自分の方がモニカより気に入られて、皇太子が乗り換えるなんて思っていないわよね。
「それは無駄です。こういう女達は、あなたがどんなに完璧な婚約者になろうと、粗を探して嫌味を言い続けます。あなたは皇妃になるお方なのですから、耐えてはいけません。あなたが我慢すると、このくらいはやっても平気なんだと思い上がります。そして更にひどいことをするようになります。言葉ひとつでも失礼な言いようは許してはいけません。毅然とした態度で接して、むしろ侍女を育てなくては」
「……そう……なんですね。今までこんな敵意を向けられたことがなくて、どうすればいいかわからなくて、私がいたらないのかと思っていました」
だから誰にも相談しないで、ひとりで頑張っちゃったのか。
そこに付け込んで、モニカを虐めるなんて。
「へスター、ノーランドから来た侍女を連れてモニカの荷物をチェックしろ。きっと大切なものもあるだろう。ひとつでもなくなっていたら、ただで済むと思うなよ」
皇太子に睨みつけられて、ようやく侍女達は彼がモニカを大事にしていると気付いたようだ。
今更真っ青になっている。
つまり彼女達が信じ込むくらいに、皇太子の嘘の話を言いまわっている奴がいるってことでしょ?
やだやだ。だから権力の中心地は嫌よ。
きっとこれが最後じゃない。
今後もちょっとでも弱味を見せたら、すぐにそこに付け込もうとするやつが現れるのよ。
「こ、これはいったい何が……」
そこに紺色の女官の制服に身を包んだ女性と、侍女の服を着た綺麗な若い女性がやってきた。
今更だけど赤髪率が高いわ。
ほとんどの人が赤髪よ。
「アメリア」
座り込んだままの侍女に声をかけられて、若い方の侍女がちらっとそちらを見て、すぐに視線を逸らした。
彼女が皇太子はこの婚約に乗り気ではないと話していた犯人か。
「皇太子殿下。女官長とアメリアは叔母と姪です」
筆頭侍女の一言で、なんとなく見えてきたぞー。
このふたりは最初からグルなんだ。
「おまえがモニカの荷物を片付けさせた首謀者か」
「わ、私はモニカ様に早く中央のしきたりに慣れていただきたかっただけですわ。失礼ですけど、お茶のいただき方ひとつもノーランド式で、野蛮……」
「まあ、辺境伯家の人間を前にしてよくそんなことが言えるわね」
扇をバシッと鳴らしながらノーランド辺境伯夫人が歩み出た。
言葉に気を付けないと、いろんな立場の人がいるからね。ここは地雷原よ。
「え? なんでノーランド辺境伯夫人がここに?!」
「あなたはどこの娘なの? これはもう、あなたひとりの暴言では済まされないわ」
「わ、私は……」
アメリアが助けを求めるように見たのは女官長だ。
やはり、女官長は侍女達の態度を承知して放置していたか、焚きつけていたか。どちらにしても無関係ではないんだろう。
「私どもはスキナー伯爵家の者です」
アメリアの代わりに女官長が答えた。
「大変申し訳ありません。このような場であのような言葉を口にするなど、侍女としても貴族の令嬢としても許されません」
「スキナー伯爵家の者は、ノーランドの人間を野蛮人だと思っているということは否定しないのね」
「……野蛮人は失礼な言い方ですが、中央では魔獣と戦いながらの暮らしは馴染みがないもので、どのような生活か想像出来ず、様々な話が伝わってくるのみです。女性が武器を手に取るということだけでも、私共には信じられないことなのです」
この女官長、クビが決まっているから引かない気なのかな。
これはシュタルクのことを笑っていられないんじゃない?
中央って、未だに辺境伯家をそんなに見下しているの?
今では場所によっては経済も産業も、もちろん精霊関係も、一番遅れているのは中央だったりするのに。
「そうか。スキナー伯爵家は我が婚約者に対しても、その母君に対してもその態度か。この者どもを摘まみ出せ。二度と皇宮に足を踏み入れさせるな。このふたりだけではない。スキナー伯爵家の者は全員、宮廷の仕事から外せ」
「皇太子殿下。そのようなことをしたら、中央の者達の反感をお買いになりますよ」
うげ。皇太子に対してもこの態度なの?
この落ち着きはなんなんだろうと思いながら見ていたら、女官長の視線が私に向けられた。
「なぜ、妖精姫が皇妃になってはくださらないのですか? どれだけの国民がそれを望んでいるかご存知ですか? それなのに、まさか他国に嫁ぐなんて。この国を、まだこれから復興していく中央を見捨てるのですか?」
「それが中央の貴族達の総意のような言い方はやめなさい」
「……お目にかかれて光栄です。グッドフォロー公爵夫人」
「グッド……あ」
相手が誰か気付いたアメリアは、女官長に倣って慌てて胸に手を当てて首を垂れた。
ノーランド辺境伯夫人に対してとは違って、心から相手を敬っている様子だ。
グッドフォロー公爵家といえば皇族と親戚の公爵家。中央でも一番の高位貴族だ。中央の貴族達からしたら公爵家と辺境伯家には雲泥の差がある。ベリサリオが公爵家より上になった時の騒ぎはかなりのものだったそうだ。
「スキナー伯爵家はいつから皇太子殿下の婚姻について口を出せるような家になったのかしら? 中央の反感とあなたは言うけれど、スキナー伯爵家こそ、全公爵家と全辺境伯家を敵に回したと思ってちょうだい」
「どれだけ多くの貴族が私と同じ考えなのか、高位貴族の方々のお耳には届いていないのでしょうか」
やめて。
モニカの前でなんてことを言ってくれているの。
彼女が私に相談しない理由がこれでわかったわ。
「妖精姫の婚約者は、ルフタネンの精霊王を後ろ盾に持つ公爵だ」
「……え」
「帝国とルフタネンの精霊王が、ふたりの婚約を祝福している。いや、私の知るすべての国の精霊王が祝福している婚約だ。それに異を唱える気か」
女官長は目を大きく見開き、両手で口元を覆って、私と皇太子の顔を何度も見て、崩れるようにその場に座り込んだ。
「そ、そんな。なぜ……」
「この者を連れて行け」
皇太子に命じられた近衛の騎士達が、女官長とアメリアを連行する間も、女官長はずっと私に向かって、なぜなんですかと繰り返して呟いていた。
彼女はモニカを追い出したかっただけで、自分の姪や侍女達が後釜になるなんて思ってはいなかったのね。もしかしてこの縁組が白紙になれば、私の名前が浮上すると思ったの?
それが駄目でも、中央の御令嬢から選ばれるかもしれないって?
おとなしく連行されていったアメリアも、ずっと私を見ていた。
彼女は叔母の狙いがわかっていたってことよね。
モニカにひどいことを言っていた侍女ふたりは、いいように利用されていたのか。
「侍女達はモニカの荷物が全て揃い次第、皇宮から追い出せ」
「かしこまりました」
皇太子が指示を出すのを、ついぼんやりと眺めていたら、誰かがそっと私の肩に手を置いて横に並んだ。
「ディア……あの……」
「モニカーー!!」
そりゃあもうすごい勢いで抱き着いたわよ。
あのやり取りの後で話しかけて来てくれたんだもん。
ええ子や。ほんまええ子や。
「ディアってば、そんな心配そうな顔をしないで」
「するわよ。当たり前じゃない。心配だもん。ねえモニカ。これから私と出かけましょう」
「え? 突然ね」
だって、ここは時間を置かずに話し合った方がいいでしょ。
これ以上こじれたくないわ。
「精霊の森跡地をどうにかしろって皇太子殿下に命じられているの」
「違うだろう」
背中を向けていたのに、しっかり話は聞いていたんだな。
「殿下も一緒に来てください。褒美にするというのなら、現状を確認するべきです」
「……わかった。精霊車を用意しよう。ノーランド辺境伯夫人とベリサリオ辺境伯夫人も一緒にいかがですか?」
「あら、私達は……」
「ええ、ここに残って公爵夫人や筆頭侍女とお話したいわ」
「持ってきたプレゼントは侍女に渡しておきますね」
「ナディア夫人、いつもありがとうございます」
もうあちらでは御婦人方が揃ってなにやらお話し中で、とてもはいっていける雰囲気じゃない。
「では、クリスでも誘って一緒に行こうか。話しておきたいこともあるしな」
そうね。まだ気持ちが追い付いていないから、クリスお兄様がいてくれるのはありがたいわ。
私が思っていたよりも、妖精姫が他国に嫁ぐって話は多くの人に衝撃だったのね。