帝国中枢の会議はお菓子と共に 後編
フェアリー商会にもパイはあるけど、大きなパイを切り分けて出しているから、こういう一口大に作られたパイとは、パイ生地と中の具の分量の比率が違うのよ。
一口大に作られたパイって、美味しいクリームとか甘さの強めのジャムがないと、口の中がパイ生地ばかりで飽きちゃったり、飲み込むのが大変なことがあるでしょ?
さすが皇宮で皇太子が食べる菓子を作る料理人はすごいわ。生地だけでも美味しいし、クリームの味が最高。
「お母様、こちらのパイ、細かく砕いた栗が入っています」
「……二個目を食べたの?」
「フェアリー商会の人間が来ると聞いて、料理人も力の入った菓子を作ってくれたかもしれないじゃないですか。見た目だけでもこんなに綺麗なんですもの。食べた感想を言うのは礼儀かと思います」
どうせ男共は食べないで放置して、そのうちパイは湿気てふにゃふにゃになっちゃうのよ。
食べ物を粗末にするなんて許せないわ。
「持ち帰れるように用意させるから、話を戻していいか」
「皇太子殿下、皆さん食べないのでしたら、この皿の上のパイを持ち帰りたいです」
「そんなに美味しいのですか?」
パウエル公爵が手を伸ばしてパイを摘まみ、パクリと口に入れた。
持ち帰る数がひとつ減ったなんてせこいこと、私は考えなかったわよ。
「ほお。確かに美味しい」
「パウエル……話を戻させてくれ」
「これは失礼しました」
パウエル公爵のこういうところが好きよ。
優秀なのに偉そうにしないし、優しいしユーモアもある。懐の深いオジサマって感じ。
「ディア、仕事の話を先に進めてしまおうか。雑談はその後にしよう」
今まで黙っていたクリスお兄様がようやく口を開いて、なぜか最後の方で私の後方に目を向けた。
視線を追って後ろを振り返ると、口元が緩んでいるアランお兄様がいて、私の頭に手を乗せて、くるりと前を向かせようとした。扱いが雑よ。
そしてまたクリスお兄様に視線を向けたら、さっきよりもっとむすっとした顔をしている。
クリスお兄様とアランお兄様は、無言でどんなやり取りをしていたの?
とっても気になるので説明してほしい。
「こら、じゃれていないで話を戻せ」
いかん。これ以上は本気で皇太子を怒らせそうだ。
「私、精霊王は人間の前に姿を現すのは嫌なのだと思っていました。それと人間に干渉しないって、ほとんど接点を持たないって意味だと捉えていたんです。それもあって、私だけが精霊王と接点を持つのはまずいと思い、各精霊王の住む領地の代表の方と精霊王の橋渡しをしたんです」
「うん。そうだったな」
「でもあの人達、全然気にしないで会いに来ますよね。他国の精霊王が、帝国に自国の人間に会いにやってくるって何やってるんだって思いませんか? 彼らは人間とどう親しくなればいいかわからなくて、きっかけが欲しかったのかもしれません」
「そのことについては他国からも苦情が来ているぞ。なぜ学生だったのかと。もっと政治の中心の大人達に紹介してほしかったと」
無茶言うな。
あっちが勝手に予定外に現れたのに、私達にどうしろって言うのよ。
「精霊王は人間の身分をいっさい気にしませんからな。そんな人間側の都合に合わせて動かそうとしては、せっかくの機会を壊してしまいます」
コルケット辺境伯は、すっかりお腹が引っ込んで健康的になった。
これも翡翠に注意されたのがきっかけで、彼がちゃんと注意を守っているのが嬉しかった翡翠は、コルケット辺境伯家とだいぶ仲良くなったのよ。特に孫のアルマちゃんがお気に入り。
あの地域の人はおおらかだし自然と近い暮らしをしているから、精霊との相性がいいのよね。
「その通りです。でも無茶なお願いじゃなかったり、楽しそうだと思ってもらえれば、精霊王達ってかなり行動的ですよね」
「いやそれは、相手がおまえの時だけだろう」
「そんなことはないですよ。皇太子殿下がお願いしても大丈夫ですよ」
「何をお願いするんだよ」
「戴冠式の時に、バルコニー前の広場に集まった国民の前に姿を現してくださいって」
え? なんでそこでみんなで困った顔になるの?
顔を見合わせて、引き気味になるのはやめてよ。
「今回は私がお願いしますよ?」
「お、そうか」
「ああ、そうですよね」
「いやしかし、大丈夫ですかな」
あからさまにほっとした顔をするのはやめてよね。
そんな無茶振りしたかな?
「大丈夫です。ルフタネンでは国王とカミルが精霊獣を大型化させた時に、皆の注目している真っただ中にモアナが現れていますし」
「それ、モアナだからじゃ……」
アランお兄様にまでこんな風に言われる精霊王って……。
「人間に干渉をしてはいけないと言っても、前に他国の精霊王まで来て皇太子殿下を祝福したじゃないですか。人間と精霊が協力して暮らす国を作ると皇太子殿下が誓って、それに感謝して新しい皇帝に祝福を与えるという話なら問題ないはずです」
「なるほど?」
「なぜ疑問形なんですか。精霊と仲良く暮らすようになった皇都の国民に、ちょっと姿を見せてくださいってお願いしたら喜んで手くらいは振ってくれますよ。帰ったらさっそく瑠璃に相談してみます」
「その場合、おまえはどうするんだ?」
「どうする? 戴冠式でですか? どうもしません。家族と一緒にベリサリオの指定された位置で参加します」
だって、他国に嫁ぐ私が目立っては駄目でしょう?
妖精姫はニックネームよ? そういう地位があるわけじゃないのよ。
「きみはあまり皇都には来ないですよね?」
精霊王の話ではなくて、今度は私の話?
パウエル公爵がこんなに言いにくそうに話すなんて珍しい。
「理由を聞いてもいいですかな?」
「理由? 用がないからです」
「……でも若い者は皇都に集まりますよね。お友達も皇都に住んでいる方が多いのではないですか?」
最近は増えたわね。
モニカはお妃教育のために皇都にいる機会が増えたし、イレーネも牛愛好家兄貴と顔を合わせにくいのとエルトンがいるからという理由で皇都にいる。スザンナも皇都のタウンハウスに普段はいるらしい。パティは元から領地と皇都と半々で暮らしてた。
「お茶会に誘われた時には皇都に行きますよ? 転送陣があるのですぐですから。それが何か?」
「妖精姫は中央の貴族と親しくなる気がないのではないかと噂になっています。もうルフタネンに嫁いだ後のことばかり考えて、帝国のことはどうでもよくなっているのではないかと」
「カミルとの婚約が決まったのって、ついこの間なんですけど」
「皇太子殿下やクリスの成人式の頃から、もうカミルとの仲は噂されていましたから」
まあね。ずっと一緒にいたもんね。
テラスで話してたりね。
それに中央の貴族と親しくなる気、本当にないしね。
中央だけじゃなくて、これ以上友達の輪を広げなくてもいいかなって思っていたのよね。
「侯爵家以上の御令嬢とは親しくさせていただいてますし、最近はブリた……ブリジットのお友達関係とも交流があったり、それなりに友人はいますよ? どこの御令嬢も、だいたい仲のいいお友達とお付き合いしているのではないですか?」
「その割には、モニカと最近会っていないだろう」
「彼女はお妃教育が忙しいんですよね。何回か友人が集まる時に誘っても予定が合わなかったですし、お茶会に誘われたことも最近はないですし……」
はっ! もしかして私、避けられてる?!
「おまえの思っていることは違う」
皇太子殿下、人の考えを読むのはやめてくれませんかね。
だいたい会議の席で、婚約者との友人関係の話をするのはどうなの。
それは会議の終わった後の雑談でしようよ。
「モニカは最近、少し痩せた気がする。たぶん一人で抱え込んでいるんだろうな」
クリスお兄様まで言うってことは、よっぽどのことよね。
「スザンナに聞いたんだが、彼女達のお茶会は前もって予定を立てるというより、皇宮で顔を合わせたり、予定が合うとわかった時に、すぐに来られそうな近くの友人に声をかけるという集まりらしい。ベリサリオにいるディアまで呼び出すのは悪いと遠慮されているんだろう。きみは忙しいしね」
「理由はわかりましたけど、もう少しはっきりと話していただけませんか? クリスお兄様から見て、何か問題があるんですか?」
「うーん」
クリスお兄様は顎に手をやって少し考えてから、ちらりとこちらに目を向けた。
その上目遣いは普段からしているんですかね。被害出ていません?
「母上の方がよくわかると思うのですが、社交の場にはいくつもの面があって、女性同士の社交の場は男にはわからない世界じゃないですか」
「そうね。つまり皇太子殿下が着々と力をつけていらっしゃるので、一般の社交の場と男性社会の力関係は安定してきているのに、皇宮には女主人がいないから、女性の社交の場が荒れているってことね」
「さすが母上。話が早くて助かります」
「モニカが女主人になるのは決定しているのに、荒れているの?」
「中央の意地ってやつだよ」
辺境伯家……つまり田舎から出てきた娘が、中央の社交界ででかい顔が出来ると思ったら大間違いだよってこと?
でも侯爵家以上の御令嬢は、みんないい関係を築いているわよね。
中央だとブリたんの家でしょ? パティの家ももちろんそう。
パウエル公爵家だってモニカには協力的なはず。
「中央で、モニカと顔を合わせる御令嬢……伯爵家の御令嬢がモニカに嫌がらせしているってことですか?」
「ディア、そんなはっきりとした言い方は令嬢としては失格ですよ。やはり中央とノーランドでは、作法に違いがあって馴染めないのでしょうか?」
「そのようだ。だから早く中央の作法をマスターしようと頑張っているようで、無理をしているんだろうな」
皇太子だけでなく、ここにいるみんなが心配するような状況なの?
新しい皇妃が馬鹿にされるようなことがあってはいけないから、今から女性達の中で確固たる地位を得なくちゃいけなくて、それが出来ない場合、モニカが皇太子婚約者に相応しくないって話になっちゃうのか。
で、私に何が出来るんだろう。
「今、モニカ様の礼儀作法の教育係は誰でしょう?」
「エールス伯爵夫人だ」
お母様に話しかけられて、皇太子は驚いた様子で答えた。
「では、グッドフォロー公爵夫人にもお願いしてください」
「え?」
自分の母親の名前が出てくるとは思わなかったのか、ローランドがびっくりしている。
「月に何度か教育の進み具合をチェックしてくださるだけでいいんです。グッドフォロー公爵夫人が関わっているという事実が必要なんです」
「わかった。ローランド、すぐに話をしてくれ」
「はい」
「この会議の後、モニカ様とノーランド辺境伯夫人とお会いしたいですわ。ディアも一緒に」
「この後?!」
お母様の行動力がすごいぞ。
女性の社交の場での存在感なら、お母様も超一流だもんね。
「わかった。エルトン、至急連絡を」
「かしこまりました」
確かにベリサリオにいると、皇都で何が起こっているかの情報は遅くなるわよね。
でも私は、ベリサリオでまったりとフェアリー商会の仕事をしていたいんだけどなあ。
それがわかっているから、モニカは気を使ってしまったのかもしれないな。
「では、モニカの件はのちほど女性同士で話してもらうとして、会議を進めよう。ディアには今までもいろいろと帝国のために尽力してもらっている。精霊王といい関係を築けたのもディアのおかげだ」
「……」
なんだ、これ。
急に褒められると怖いぞ。
「それでディアに皇都近郊に土地と屋敷を与えようという話になった」
「へ?」
「嫁いだ後でも遊びに来やすいように、ベリサリオに別宅を建てるそうじゃないか。皇都に自分の屋敷があれば、今より顔を出しやすいだろう」
いやいやいやいや。
屋敷はまだしも土地って何? 領地ならいらないわよ。
「皇都北側の土地で、元は琥珀様の住居だった森を潰して貴族の屋敷を建てた場所があるだろう。皇都に精霊がいなくなった時の原因の土地だ。バントック派の多くが殺害され、取り潰しになった家もあり、他の屋敷も人が寄り付かなくなってしまっている。それをまとめて渡すから、再利用してほしい」
「……それは褒賞じゃなくて任務では?」
事故物件に住む人がいないからって私を住まわせても、除霊は出来ないから!