噂話は要注意
部屋にいる全員の頭の上に「?」マークが飛び交っているこの状況、今度は何をやらかしてくれたんだ、あの侯爵は。
「我が北島とヨハネス侯爵家は、かなり以前から交易を盛んに行ってきた関係なのです」
三人で神妙な顔を見かわした後、代表してハルレ伯爵が説明することになったらしい。
ヨハネス侯爵領が避暑地として観光に力を入れて、海沿いの街並みをルフタネン風にしたのは結構前の話だから、その頃から北島と取引していたんだろうね。
いろいろと問題のある侯爵だけど、観光業に関してはヨハネス侯爵領の方がベリサリオより優れているのは確かだ。
「ヨハネス侯爵家との交易をおこなっていたのは、コーレイン商会です。ブラントン子爵は許されないことをしましたが、彼がカミル様を帝国に導いたというのも事実です。そのため子爵家は息子に引き継がれ、コーレイン商会もイースディル商会の子会社として残っており、現在もヨハネス侯爵家との取引を請け負っています」
カミルを利用しようとした子爵は持病が悪化して牢獄で死亡したのよね。
誰かが手を下したんじゃないかって噂も出たらしいんだけど、北島の貴族にとってはすでにどうでもいい存在になっていたそうで、本当に病死なんじゃないかな。
商会が儲かっているのをいいことに、だいぶ贅沢していたらしいから。
「それで今回、ヨハネス侯爵とも面会をした折に、あちらのお嬢様との縁組の申し出があったのです」
「カミルと?!」
「いえいえ、ヨハネス侯爵はリントネン侯爵家が西島に移住したことをご存じなかったようです。イースディル公爵家はヨハネス侯爵家と全くやり取りがなかったので、北島に領地があると思っていなかったようで」
マジか。
外国の勢力図までは興味がなかったか。
いやそれより待って。ヨハネス侯爵家のお嬢様ってカーラしかいないわよね。
「廃嫡された嫡男との縁談の申し出でした」
「うわあ」
アランお兄様はドン引きして、お母様はピクリと片眉をあげた。
確かあそこの長男はブラントン子爵と結託してカミルを利用しようとして、それがばれて廃嫡になって、弟が跡継ぎになったのよ。
ルフタネンもいろいろあったよね。
それが最近は、王太子結婚に始まって国王即位に第一王子誕生とおめでた続き。
そのきっかけが私だと思っているんなら、そりゃ大歓迎されるわ。
「それで事情を説明したところたいそう驚かれて、他に娘にいい相手はいないかと尋ねられましたので、もしかしてこれはカミル様の片思いが迷惑で、妖精姫ではなくヨハネス侯爵家のお嬢様と縁組の話を進めてほしいというお話なのではと、サリス侯爵が心配してしまいまして」
なにをやっとんじゃ、あの親父は。
娘に苦労させたくないからと皇太子との縁組を断っておいて、外国に嫁がせるってどういうことよ。そっちの方が苦労するかもしれないじゃない。
「ありえませんわ。私達はカミルと娘の婚約をとても喜んでおりますのよ」
「いやあ、それを聞いて安心しました。伯爵やキースにはふたりは両思いだと聞いてはいましたが、噂しか耳に出来なかったので不安だったんですよ。我が国としても、この縁組は大変ありがたいお話で、こんなにめでたいことはないというのに、シュタルクやベジャイアの男が妖精姫に大変失礼な態度を取ったともお聞きして心配しておりまして」
「サリス侯爵、他の国のことも噂話も全く気になさらないでくださいな。これは政略結婚ではないんです。カミルとディアは両想いで、精霊王様方もそれを認めているからこそ、カミルの後ろ盾になったのでしょう。ディアはカミルと婚約すると私達家族に宣言したんですよ。誰も邪魔は出来ませんわ」
「お母様、恥ずかしいからそれは言わないでください」
「あらあら」
ぎゃー、やめて。ほっこりした雰囲気にならないで。
アランお兄様やキースの生温かい視線も、侯爵や伯爵の微笑ましそうな表情も刺さるよ。心に刺さる! めっちゃ恥ずかしいからね。
それからはルフタネン側も明るい雰囲気で、たぶん何時間か顔を出すだけになるだろうけど、年が変わったら北島に顔を出して、春に改めて両親と一緒に東島まで行くことで話が決まった。
でも、にこやかに彼らを見送って、お母様とアランお兄様と三人で家族用の居間に移動して、席についた途端に三人とも表情を変えて顔を突き合わせたわよ。
「これってどういうことさ? ヨハネス侯爵はカーラを手放す気だってことか?」
「あの一件以来、カーラはヨハネス侯爵を避けているらしいんです。いまだに仲違いしたままで」
「侯爵は精神年齢が幼いのね。領地経営が上手くいって社交でも一部の貴族の中心的な立場になって、何もかも上手くいっていたのに娘が自分を避け始めて、夫人は別居状態。自分はこんなに優しくしているのに応える気がないなら、傍にいなくていいってところかしら」
「お母様、なにげに詳しいですね」
「噂話もモノによっては大事な情報よ。なんのためにつまらない茶会にまで顔を出していると思っているの?」
さすがアランお兄様と親子ですわ。押さえるところは押さえているんですね。
私は、相変わらずベリサリオに引きこもりがちだからなあ。
もう目立たず静かに生活したいのよ。
「あんなに可愛がっていたのに、思春期の娘の我儘ぐらいで邪魔者扱いはひどいですね」
アランお兄様の言う通りよ。
元はヨハネス侯爵がいけないんじゃない。
「嫡男として特別扱いで育った貴族には多いわよ。何もかも自分の思い通りにするのが当たり前なの。こういう言い方は嫌だけど、娘は社交の道具って考え方は珍しくないわ。それにね……あなた達は歳より大人だから話すのよ?」
「はい」
「なんでしょう」
「ヨハネス侯爵も夫人も、揃って新しい恋人がいるそうよ。ヨハネス侯爵の恋人は、まだ十九歳ですって」
うげ……って思ったけど、ひと回りくらいの年の差は珍しくないか。
「それがまずいことに、素敵な真実の恋の話として噂になっているの」
「え」
その様子だとアランお兄様は知らなかったな。
アランお兄様の周囲は恋愛関係の噂には興味なさそうだもんね。知っていても報告しないでいいと思われたかな。
「この手の話は女性の方が耳に入りやすいのよ。噂を集めたいなら女性の味方を増やさないと駄目ね」
うふふ……と楽しげに微笑みながらお母様がソファーにゆったりと座り直したので、執事や侍女達が一斉に動き出した。テーブルの角の部分に三人で固まって座って身を乗り出して話していたから、お茶を出すタイミングを待っていたみたい。
「それで、どんな噂なんですか? 教えてください」
「ヨハネス侯爵の相手のお嬢さんは貧乏な男爵家の生まれで、借金を帳消しにしてもらう代わりに裕福な子爵家に嫁いだの。でも一年後に相手の方が亡くなってね、十九歳で未亡人になってしまったのね」
珍しい話ではないわよね。
見た目のいい娘は、金や地位を得る道具にされるっていうのはよくある話よ。
「殺したんですか?」
「アラン、何でもかんでも血なまぐさくしないで。相手は普通の女性なのよ」
「普通の女性が知り合いにいないもので……」
ほう、パティも普通の女の子ではないのね。
私のお友達も普通ではないってことね。
「ディア、悪い顔になっているよ」
「こんなに可愛くて普通で平凡な妹がいるじゃないですか」
「その可愛さは普通じゃないよ」
うわーー。アランお兄様が、そんな返しをしてくるなんてびっくり!
ディアのどこが普通なんだよって返ってくると思っていたのに。
そうか。この雰囲気でパティを口説いたのか。
「長くなるから話を戻すわよ。亡くなった子爵はそれなりに財産を残していたものだから、子爵の子供達や親戚が、急にその女性との結婚は無効だと騒ぎ始めたの。一方、女性の実家も財産欲しさに動き出したのね。そこに颯爽と現れたのがヨハネス侯爵よ」
お母様の話によると、ある伯爵家の夜会に出席した時に、中庭で泣いている女性と偶然巡り合い、彼女に理由を聞いた侯爵が財産問題を片付け、子爵の親戚や彼女の家族が手出し出来ないようにしたらしい。子爵や男爵じゃ、侯爵に太刀打ちできないもの。
領地経営を成功させている手腕は確かだし、法律の方も詳しいと聞いたことがある。
そうして相談を受けているうちに、徐々にふたりの仲が接近して恋に落ちたんですって。
ありきたりよね。王道とも言うけど。
「息子がヨハネス領に帰ってしまってひとりになった夫人のクラリッサは、派手に皇都で遊んでいるらしいの。それに比べると、ヨハネス侯爵と十九歳のお嬢さんの恋物語の方が女性受けいいでしょ?」
「他人は子供のことまでは心配してくれませんものね」
「そうね。素敵な恋物語で済めばいいけど。ヨハネス侯爵側から離婚は出来ないと思うのよ。ノーランド辺境伯との縁は切りたくないでしょう。でも、このままでは新しい恋人との間に子供が出来ても、正妻の子供ではないから跡継ぎには出来ない」
「まさか、恋人の子供を跡継ぎにする気なんですか?!」
「生まれてもいないうちに心配することもないとは思うけど、恋人が若いから可能性は大きいわ。自分の言うことを聞かない子供達より、恋人の子供が可愛いって思わないとも限らない……でしょ?」
「どろどろになりそうな予感がします」
今、カーラは屋敷の中で、どんな立場でいるんだろう。
弟とは違う屋敷で育ったから、あまり親しくないと話してたわよね。
相談する相手はいるのかしら。
「お母様、茶会を開いてカーラを招待してもいいでしょうか」
「そうね。もうかまわないでしょう。でもあなたがヨハネス侯爵家の屋敷に行くのは駄目よ。カーラが心配なのはわかるけど、他所のお宅のことに口を挟むのもやめた方がいいと思うわ」
「……はい。愚痴を聞くくらいしか出来ないとは思いますけど、誰かに話すだけでも気が楽になるかなって」
「それならいいわ。何人かお友達を誘ってね。それと絶対、ヨハネス侯爵と恋人の関係には関わらないこと。妖精姫が愛し合う恋人を別れさせようとしたなんて噂になったら大変よ」
「しませんよ」
そこまですると思われてるの?! ショック!
その恋人の立場になったら、ヨハネス侯爵は初めて出会えた頼りになる男性でしょ? 好きになっちゃうでしょう!
だから責められない。
私はあくまでも第三者だ。
「ヨハネス侯爵が誰とくっつこうがどうでもいいんです。カーラも幸せになってほしいだけです」
せめて私達と一緒にいる時だけでも楽しい気分になれるように、美味しいお菓子をたくさん用意しよう。
お泊り会でもいいんじゃない?
枕を抱えて、みんなでベッドの上で語り明かすの。
最近やれなかったもの。
「ああ、ここにいたんですか」
かちゃりと扉が開いてクリスお兄様が部屋に入ってきた。
「あら、おかえりなさい。仕事は片付いたの?」
「また何か面倒事でも起こったんですか?」
「面倒事ではないけど……三人で楽しそうでいいね」
このくそ忙しい時に、なんの用事もなく帰って来られるわけはないものね。
「こちらはこちらでいろいろあるんですよ」
「ルフタネンのやつらが来ただろう。はあ。次から次へと面倒事ばかり」
あれ? もしかしてかなりお疲れ?
お父様もグラスプールと皇宮を何往復もしてるみたいだし、クリスお兄様も大変なんだろうな。
成人すると急に仕事が増えるのね。
「クリスお兄様、お疲れの時には甘いものがいいですよ」
「ディアー」
隣に腰を下ろしてもたれかかってきたので、クリスお兄様の頭を撫でながらお菓子を差し出す。
あーんと口を開けたこの顔を写真に撮れたら、きっと高く売れるのに。
誰かカメラの魔道具を発明してよ。
「……って、まったりしている場合じゃないんだ。はい。ディアに招待状」
「茶会か何かですか?」
「皇太子から、聞きたいことや話したいことがあるから来いって。参加するのは辺境伯達や公爵などいつものメンバーね」
これ招待状じゃなくて召喚状じゃありませんかね。
また高位貴族に囲まれるの?
新メンバーはまだ慣れていないから、苦手なんだよなあ。