カミルと妖精姫の噂?
活動報告書に書籍版三巻掲載のSSについてまとめました。
今日から九月。関東は急に涼しくなりました。
このまま過ごしやすい気温になってほしいものです。
ウィキくんを消してノートを閉じ、急いで天蓋のカーテンを開く。足をぶらぶらさせてベッドの縁に座り、本を開いたところで遠慮がちなノックの音が聞こえた。
「ディア様。よろしいですか?」
「はーい。どーぞ」
愛称に様をつけないでお嬢って呼んでよって言っているのに、ジェマ的にはディア様という呼び方が萌えなんだそうだ。
萌えは人それぞれなので否定する気はないんだけど、私に萌えている暇があったら、ルーサーと付き合っているなら、ルーサーで萌えなさいよと言ったら、あんなむさい男には萌えられないと言われたわ。
じゃあなんで付き合ってるのさ。照れ隠しで言ってるだけ?
私とカミルが一緒にいる姿が、今の一番の萌えポイントらしいわよ。
「ルフタネンの方々が帰国なさるそうで、御挨拶に見えています」
「え? 予定より早まったの?」
「はい。今回のシュタルクの犯行を受けて対策を立てる必要が出たため、ルフタネンとベジャイアの来賓は急遽帰国することになったそうです。他の国はシュタルクと離れていますから、まだ滞在するそうです」
「そうかあ。全くいい迷惑よね」
ベッドから降りて靴を履いて、両手でドレスの皴を伸ばして、さあ行こうと顔をあげたら、ドアの向こうにドレスを持ったシンシアと、ブラシと髪留めを持ったネリーが待っていた。
ですよねー。お客様に会うんですものね。
ベッドでごろごろしていたドレスじゃ駄目よねー。
お客様、しかも外国からの来賓の方と面会するのに、コルセットもしないなんて令嬢には許されない。今はビスチェでもオーケーな風潮になってくれて大助かりよ。
それでもウエストはきつめで、寄せてあげて胸元を強調する体型補正下着超強化版なんだけどね。
おかげで私のナイスバディが強調されて、これ以上魅力的になってどうするの? って感じよ。
ウエストはあくまで細く、胸はそれなりにふっくらと、昼間なので隠れているけど二の腕にたるたるな肉なんてないわよ。ちゃんと小さな力こぶが作れる筋肉がついているんだから。
ローズピンクの光沢のあるドレスに、スカート部分には幾重にもシースルーの白い布地を重ねて、胸元にレースをあしらったドレスは、椅子に座る時にふわりとスカートの形を整えると、三人分くらいのスペースを取りかねないシロモノよ。
着替えたり髪を結うのにうんざりして、扇のリボンの部分を持ってぶらぶら揺らしながら客間に向かっていたら、私以上にうんざりした顔で壁に寄りかかってアランお兄様が待っていた。
「なんで女は毎回準備にこんなに時間がかかるんだよ」
あら珍しい。女性に理解があるお兄様がこんなことを言うなんて、よっぽど長い時間待たされたのね。
でも、イライラしているのは私も同じなのだ。
「そうですね。アランお兄様も一度体験したらわかるんじゃないでしょうか。口から内臓が出そうなほどきついビスチェを着て、パニエを装着してドレスを着て、頭皮がはがれそうなほど髪をきつく編み込んで……」
「わかったわかった。僕が悪かった」
「ええ? もう降参なんですか? アランお兄様のドレス姿を、ちょっと見てみたいなと思い始めていたのに」
「絶対に嫌だ」
今ならまだぎりぎり可愛くなると思うのになあ。
クリスお兄様は今でも美女に化けると思うけど、道を踏み外す殿方が出るとかわいそうだから封印しておいた方がいいと思うのよね。
「あなた達、お客様のいらっしゃる部屋の近くで、そんな大きな声で話しては駄目でしょう?」
相変わらずの艶やかさですわ、お母様。
とても十七歳の息子がいるとは思えない。
私が二十歳くらいになったら、姉妹みたいですねって言われる親子になるの決定だわ。
お母様が着ているのは、顎にレースがつくほどハイネックのシンプルなドレスだ。
本物のナイスバディは装飾なんてなくても、仕立てのいいシンプルなドレスで充分に美しいのよね。
あまりスカートを膨らませずに、太いプリーツのはいったブルーのドレスは、歩くたびにちらちらとプリーツの内側の金糸の刺繍が見えて綺麗なのよ。
パニエでふわりと広げて着れば、がっちりと刺繍が見えて華やかだし。いろんな着方が出来るというフェアリー商会のこの冬の新作です。
刺繍には宝石も散りばめられていますので少々値が張りますが、一着いかがでしょう。
「お待たせしてしまいました?」
嫌ってほど待たされましたと答えられる勇気のある男はそうはいないだろうな。
申し訳なさそうな表情で、微笑を忘れず、お母様が部屋に入った途端、室内にいた男性陣の疲れで丸まっていた背中がぴしっと伸びた。
中にいたのはキースと彼の父親のハルレ伯爵。
そして西島の代表のサリス侯爵だ。
キースとはもう何度も顔を合わせているから、笑顔で会釈し合うくらいには親しい。
ハルレ伯爵とはルフタネンに行った時に一度会っていて、キースによく似ているなという印象だった。
三男とはいえ息子を、隔離されていた王子の側近にした人よ。すごくない?
サリス侯爵は初対面だ。印象は日本でもよく見かける普通のおっさん。
おでこがだいぶ広くなっていて、黒髪に白髪が混じっている。
でも普通のおっさんが、帝国との外交の最前線に選ばれるわけがないので、彼も優秀な人なんだろう。
「もうお帰りになるんですね。すっかり予定が狂ってしまって残念ですわ」
「ベジャイアが我が国に突然侵略したのはニコデムスのせいでした。今回も我々が思っている以上に、シュタルク宮廷はニコデムスに支配されているのかもしれません」
「そうですわね。カミルが……あ、公爵様を呼び捨てにしてしまってごめんなさい。もう息子のように思っているものですから」
うわー、やめて。恥ずかしい。
ルフタネンの人達の表情がぱあっと明るくなったわよ。
「イースディル公爵はベリサリオの方々と、もうかなり親しいということでしょうか」
「だから何度もそう言っているじゃないですか。変な噂が広まっていい迷惑ですよ」
サリス侯爵の質問に答えたのはキースだ。
「噂?」
「あ、ええ……たいした噂ではないんですが」
ちらちらとこっちを見るってことは私関係の噂よね。
カミルがゴリラと婚約したとでも噂になっているのかしら?
この世界にゴリラがいるかどうかは知らないけど。
「どんな噂かしら」
「ぜひともお聞きしたいわ」
お母様と私とふたり並んで、にっこり笑顔でルフタネンの三人の顔を見回すと、サリス侯爵はお母様の美しさにほくほく笑顔を返し、ハルレ伯爵は少々口元が引きつっていた。
キースからいろいろ聞いている伯爵は、ちょっと怖がっている感じかな?
で、キースは楽しそうな笑顔を返してくる。
初対面ではほとんど無表情で、愛想のないやつだと思っていたキースが、今ではすっかり親し気で嬉しい。たぶん長い付き合いになるんだもの。仲良くしたいじゃない?
「カミルは理由を見つけては何度もベリサリオに来ていたのに、ディアは一度北島に来ただけなので、姿を見た人が誰もいないじゃないですか」
「おい」
キースがいつもの雰囲気で話し始めたので、ハルレ伯爵が慌てて止めに入った。
「はい?」
「その話し方はなんだ」
「……いつもこの話し方ですが?」
「うふふ。キースもカミルと一緒に何度もベリサリオに来てくれているので、うちの子供達ととても仲良しなんですよ。親戚の家に来るような、気楽な感じにしてもらいたいわ」
お母様の援護がはいって、キースはどや顔をハルレ伯爵に見せている。
そういえばキースって、今年十八歳じゃなかった?
カミルの補佐ばかりしていて、自分の結婚はどうなっているのかしら。
「それで、ディアが顔を出さないことで悪い噂でも立っているんですか?」
アランお兄様ってば、せっかちだわ。
まだ悪い噂って話は出ていないのに、目つきがきつくなっているし。
「まさか。妖精姫が精霊王を目覚めさせてくださったうえに、長く続いた王族の政権争いも止めてくださり、我が国はそれまでの暗い時期が嘘のように、国全体がいい方向に動き出せたんです。次から次へとお祝い事が続き、ベリサリオのおかげで雇用も増え、感謝こそすれ悪い噂などたちようがありません」
お……おう。
北島の人達だけではなく、西島の貴族のサリス侯爵にまでそんな風に言われるなんて。
社交辞令もあるかもしれないけど、ルフタネンの貴族達は、どうも妖精姫を英雄視しすぎると思うわ。
私が実際にやったのって、叫んだのと、カミルと一緒に北島の観光をしただけよ。
「そう言っていただけるのはありがたいですが、ディアはあくまできっかけになっただけにすぎません。ルフタネンがいい方向に歩み出したのは、国王陛下を始めとしたルフタネンの人達の努力の成果ですわ」
そうそう。さすがお母様、私もそう言いたかった。
うんうんと頷いていたら、余計にサリス侯爵に感動されてしまった。
「なんと奥ゆかしい! 素晴らしい。噂で聞いていた以上に夫人も妖精姫も、美しく聡明なお方のようだ」
「オクユカシイ」
アランお兄様、小声で呟いても聞こえています。
キースも慌てて口元を隠すのをやめなさい。
「それで噂というのは?」
「ああ、そうでした。実はカミル様が妖精姫に片思いして、時間があるたびに会いに行っても相手にされていないんじゃないかと。婚約の話もカミル様が先走っているだけではないかという噂で」
「うわあ、それは気の毒ですね」
アランお兄様ってば、ちっとも気の毒そうな顔をしていない。早くクリスお兄様に話したくてうずうずしているでしょう。
ルフタネンの人達にとっては、妖精姫は救世主みたいになっちゃっているから、まさか我が国に嫁いでくるわけがない。帝国が手放すわけがないと思っているのね。
「お母様、新年で学園がお休みの間に、一度ルフタネンに行ってもいいですか?」
「そうね。……でも突然ね。春には婚約の御挨拶に伺う予定もあるし」
「でもカミルが気の毒だわ」
私が迷っていて、はっきりした態度を取っていなかったから、カミルもふたりの関係を聞かれてもはっきり答えられなかったのかも。
「では……本当に……」
「もしかして行き違いになったのかもしれませんわ。先日カミルが帝国に来た時に、正式に婚約する約束を交わしましたの。ただ、帝国では成人しないと婚約発表は出来ないので、家族でご挨拶にお伺いするだけになってしまいますが……」
「おおお。妖精姫からそのようにはっきりとお聞き出来れば、それだけでもう充分です。妙な噂などすぐに消してみせますぞ!」
そんな感動する話?
する話か。精霊王を後ろ盾にする夫婦が爆誕するんだもんな。
「ですからそう話したではないですか」
「そうなんだが、この時期にヨハネス侯爵家からあのような申し出があるとなると、もしかしてベリサリオ辺境伯家でも、そちらの縁組に切り替えたいのかもしれないと思うではないか」
ヨハネス侯爵家? 縁組?
「あの、なんのお話ですか?」
「御存じではないのですか?!」
部屋にいる全員の頭の上に「?」マークが飛び交っているこの状況、今度は何をやらかしてくれたんだ、あの侯爵は。