誘拐事件の犯人
知らない場所に転移するのって普通だったらだいぶ怖いと思うんだけど、私の場合は空間にドアを作るだけだから、違う場所に繋がったらやり直し出来るでしょ?
それに実は普段から転移する先を思い浮かべる時は、精霊獣達みんなの記憶を寄せ集めて、出来るだけ正確に転移先の情景を思い浮かべられるようにしているから、私は半分魔力係みたいなものなのよ。
私、自分の記憶力より精霊獣達の力の方を信じてるの。
前世の知識とウィキくんのおかげで賢く見えているだけで、しょせんは十二歳の普通の女子だもん。
空間を切り開いた先は真っ暗だった。
すぐ近くの下の方から、ドーーンと大きな波の音が聞こえるから、崖のすぐ近くなんだろう。
こちら側の明かりに照らされた範囲を見た限りでは、ここだけ木がないのはかなり不自然な感じなのよね。
「ここでいいの?」
『そだよ』
『明るくする?』
「建物からは離れてるの?」
『すぐ近く』
「見つかるとまずいから、地面の近くだけ照らして」
精霊獣と会話しながら、ドアのように開いた空間に足を踏み入れようとしたら、レックスとアランお兄様に腕を掴んで止められた。ここにいる兵士達の隊長さんも真っ青な顔で私の方に腕を伸ばしている。
「ディアが先に行っちゃ駄目」
「お嬢、お願いですからおとなしくしていてください」
「我々が先にまいります。安全を確認してから移動してください」
一度に言わないでよ。わかったわよ。
『何年経っても令嬢らしくならないな』
瑠璃は私の頭を撫でながら言うけど、そんなことはないわよ。ちゃんと擬態しているわよ。
学園では特に、辺境伯令嬢として違和感なく生徒達の中に溶け込んでいるはずよ。
「どうやら安全なようです。崖が近いので、移動したらすぐに左側へ移動してください」
隊長の指示に従って、アランお兄様、蘇芳、私、瑠璃の順番で移動して、その後に残りの兵士達が転移した。
切り裂いた空間を戻したら、真っ暗よ。
精霊達が足元を照らしてはくれているけど、周囲に何があるかは見えないし、隣にいる人の顔が下から照らされているから不気味なの。
「ここだけ木を切って根を掘り起こした可能性があります。もしかしたらシュタルク人の上陸地点かもしれません」
「崖の高さはそれほどでもないのかな」
「この辺りはまだ、ロープがあれば登れる高さです」
草って何年くらいでこれだけ生えるんだろう。
ぐるりと見回した感じ、どこにも道を切り開いたあとがないってことは、ここから建物のある所まで移動してから、もうだいぶ時間が経っているよね。
『こっちだ』
リヴァが先導しようとしてふわふわと移動し始めたけど、木が生えていないのは私達が立っている場所だけで、周囲は森なのよ。獣道さえないの。
これじゃ、歩くたびにガサガサ音がしてしまうし、枝を切り開かないと先に進めないわ。
『どしたの? 行かないの?』
「ジンは小さいし浮いているからリヴァについていけるけど、私達は無理なのよ。人間が通れそうな道はなかった?」
『向こう側にあったが、明かりで照らされていた。近づく前に敵に見つかる』
ガイアに言われて、全員が難しい顔で黙り込んでしまった。
失敗したなあ。せっかく転移したのに、これじゃあ動けない。
いっそ、ばれてもいいかな。力押しでなんとかなるよね。
いやでも、人質がいるんだった。
『何をしている。道があればいいのだろう』
『さっさと行こうぜ』
精霊王達は気楽だな、と思っていたら、さーーーっと木々が横にずれて、草や枝が左右によけて、目の前に道が出来た。
しかも、地面がうっすら光ってるよ。
なにこのファンタジー。
「す、すごい」
「さすが精霊王様だ」
「おおお」
兵士達が感激して漏らす言葉が聞こえてきた。
「なんでもありだな」
「援軍が強力すぎてすみません」
「謝ることじゃないよ。少しでも早く人質を助けられたほうがいい」
アランお兄様が先を行く蘇芳を追いかけて歩き始めたので、私も邪魔なスカートをがばっと持って、左右の草に当たらないように体の前側に抱え込むようにして歩き出した。
いやあ、星が綺麗でいいね。
ひとりなら成人男性も問題なく歩ける道幅があるから、私なんて余裕よ。
先まで道が淡く輝いているおかげで、迷子になる心配もない。
不安そうだった兵士達も、これなら無事に帰れると思ったんだろうね。俄然やる気になっている。
すっごいありがたいんだけど、精霊王がいなかったら転移したところで引き返さないといけなかったかと思うと、自分の考えの浅さに悲しくなってくる。今夜中に少女を助け出せなかったもんね。
それとも魔法でなんとか出来たのかな。
出来ていたら、人間やめている気がするけど。
「あ、虫だ」
ブーンって聞き慣れた音がしたと思ったら、蚊が飛んできて私の腕に止まった。
蚊って名前かどうかは知らないよ? この世界に生まれてから、初めて見るんだもん。
そういえばルフタネンはテラスにそのまま行ける作りになっているし、ベリサリオでもテラスでお茶を飲む機会が多いのに蚊に刺されたことがないのよね。
「あ、死んだ」
私の血を吸ったと思われる蚊が、突然痙攣してコロンと地面に落ちた。
もしかして、私の血のせい? 私の血って毒なの?
「どうしました?」
私が足を止めたので、隊長が心配して声をかけてきた。
そういえば、先頭が蘇芳で次がアランお兄様になっちゃっているじゃない。
兵士達が私の後ろって、隊列がおかしいよ。
「虫が死んだの。私の血って虫にとって毒なのかな?」
「魔力が強いせいですよ。ちっぽけな虫には、精霊を持てる方の魔力は強すぎるんです。魔力のない者は虫に刺されるので、間違えてお嬢様に近付いて、魔力にあてられて死んだんでしょう」
「あてられて?」
「お嬢様の魔力は強いですから、体から漏れている魔力だけでも死ぬ虫もいると思われます。こういう森にいる虫と貴族の屋敷の庭にいる虫では、種類がまるで違うんですよ」
なるほど。貴族の屋敷近くには魔力耐性のある虫しか住めないのか。
近付くだけで虫を殺す女……。
私が近付くと虫がぼとぼと落ちていくとか、こわっ。私こわっ。
いかん。今はそんなことを考えている場合じゃないわ。私まで気が緩んでいるな。
兵士達の私を見る顔がほのぼのしちゃっている。
とてもこれから人質救出する空気じゃないよ。
『あの建物か』
「みんな、体勢を低くして。外に何人かいるみたいだ」
アランお兄様が地面に手が付きそうなほど上体を倒して、膝を曲げて中腰になって指示を出したので、兵士達もすぐに身を屈めた。ふたりの精霊王まで身を屈めている。
ありがたいことに、さっきまでのほのぼの空気はなくなって、みんなの顔が一気に真剣なものに変わった。
私だって、スカートの布を全部前に集めるようにして身を屈めたわよ。
私もアランお兄様みたいな服を着られたら動きやすいのに。
そのままの体勢でしばらく移動したから、何度も横や後ろ側の裾を踏んでしまっている。
きっとスカートが汚れてボロボロになっているんだろうな。
「いつの間にこんな場所を」
「勝手に木を伐採しやがって」
元はここも木が生い茂っていたのか。
勝手に木を伐採して広場を作って、そこに家を建てたってことよね。
伐採した木を使って建てた家は、木材をちゃんと乾燥させていないせいで、ひびが入っていたり木が反ってしまっていたりで、かなりひどい作りだ。
片方は大きくて、片方は正方形の小さな窓のない建物だった。
板と板の隙間が空いているから、そこから換気しているのかな。
建物と建物の間のスペースに木製の椅子がいくつか置かれ、その中心に魔道具のコンロが置かれている。
建物の周囲や広場全体にいくつも魔道具の照明が置かれているせいで、広場内が明るい分、周囲の闇が強まって、私達の存在も気付きにくくなっていそう。
「なんで、あなた達までしゃがんでいるの?」
『隠密という奴だろう?』
『おまえ達が身を潜めているのに、俺達だけ仁王立ちしていたらおかしいだろうが』
「……楽しそうね」
『……そんなことはないぞ』
そう言いながら瑠璃は目を逸らしているのに、隣で蘇芳は思いっきり頷いたよ。
楽しんでいるのを隠す気もないよ。
『あそこにふたり、向こうにふたり』
リヴァが私とアランお兄様の間で浮きながら教えてくれた。
手前のふたりは見えるけど、奥のふたりは建物への階段の陰になっていて見えない。
「何日か使えればいいという感じの作りだね」
「木を伐採して、あれだけの労力をかけるなら、もう少しましな作りにすればいいのに」
「指揮官がアホなんだよ。……うわ。アホがいた」
「アランお兄様、何を……あのアホ、なんでここにいるんですか」
草の陰にしゃがんだまま様子を眺めていたら、建物の中からふたりの男が出てきた。
こんな場所に照明の魔道具や、コンロの魔道具が置かれているから、ずいぶん贅沢な誘拐犯だと思っていたのよ。
「隣にいるやつも茶会に出ていたな」
「アラン様、あの貴族をご存知ですか」
「シュタルク第三王子シプリアン殿下とその補佐官だ」
「王子?!」
隊長がひっくり返りそうになっているわよ。
そりゃそうよ。シュタルクは今、多くの地域で農作物が育たなくなっていて、帝国からの輸入で食料を賄っているのよ。友好国よ。
皇太子と皇子の誕生日を祝うために帝国に来て、そこで少女を攫うってどういうつもりよ。
しかも、茶会でひどい態度をとって船から出るなと命じられていたのよ。
これで帝国がシュタルクに戦争を吹っ掛けても、他国はみんな応援してくれる状況になったわよ。
「シュタルクは帝国を舐めているんですかね」
「それだけ追い詰められているんだろう。それにしても王子が実行犯というのはひどいな。犯罪が発覚した時のことを考えていないのかな」
「これを成功させないと自国に帰れないような理由があるんでしょうね」
こうなると余計に、全員逃がさずに捕まえないといけないわね。
特にシプリアンは自害させないようにしないと。
「蘇芳様、レックスを連れて、あっちの小さい建物を制圧していただけませんか。攫われた少女達がいるのはあっちだと思うんです」
「アランお兄様、なぜレックスなんですか」
「レックスに何かあったらディアは悲しむよね?」
「当たり前です」
『ふむ。ディアが泣くのは困るな』
これは人間への干渉じゃないよって言う理由づくりか。
「楽しそうだから覗きに行ってみた、で理由としては充分な気がしますよ。でもレックスは連れて行ってください。なぜか私の友達の受けがいいんで、少女の扱いに長けていると思います」
「その言い方はやめていただきたいです」
褒めたつもりなのに、レックスは不満らしい。
「子守が上手い。ただし少女限定」
「……もういいです」
この非常時に拗ねていないでよ。
重要な役目なんだから。
『もうひとりくらい連れていくか。そっちの兵士をひとり借りる』
言うなり蘇芳はレックスと兵士の腕を掴んで、その場から姿を消した。
悲鳴をあげなかったふたりを、あとで褒めてあげないとね。
『……』
アランお兄様、瑠璃が期待を込めた目で見ているんで、何かお願いしてあげてください。
何かしたくて仕方ないみたいですよ。
「あの……出来ればあそこにいる全員と、先程話に出ていた少年を攫いに行った全員を逃がしたくないんです。この辺一帯から逃げ出せないように出来ますか?」
『出来るぞ。まかせておけ』
「よ、よろしくお願いします」
精霊王の御機嫌が麗しくなったところで、こんな時間にこんなところで油断しきって食事している王子を捕まえに行こうかね。
「どういう手順で行くかな」
「人質は蘇芳が確保してくれるなら、面倒だからこのまま突撃しましょうよ」
「あそこに人質がいなかったらどうするんだよ」
『確保したって』
アランお兄様の水の精霊が、ぷよぷよと揺れながら報告してくれた。
精霊王の言葉が聞こえるって、精霊って本当に優秀よね。
「……行くか」
「やった。もう足が痛くて。しゃがんでいるのってつらいです」
「イフリーに寄りかかっていたくせに」
「スカートは動きにくいし、裾が汚れるしでつらいんですよ」
よいしょっと立ち上がり、ぱたぱたとスカートをはたく。
土や草木の汁で汚れたのは仕方ない……と思ったら、精霊獣達が魔法をかけてくれた。
「今のは何?」
『汚れを落とした』
「もしかして、この魔法があればお風呂にはいらなくていいの?!」
「ディア」
アランお兄様に肩を叩かれて振り返ると、広場にいた男共、もちろんアホ王子も驚いた顔でこちらを見ていた。
だよね。
突然森の中から魔法の光を浴びた美少女が現れたら驚くよね。
「あら? おかしいですわね。船から出るなと言われたシュタルク第三王子シプリアン殿下がなぜここに?」
せっかくにこやかに話しかけてあげたのに、気絶しかけているのはなぜかしら。
そういえば化け物呼ばわりされたんだったわね。
彼からしたら、森から突然化け物が出てきたようなものなのか。
見た目だけは美少女なのに、失礼しちゃうわ。