ベリサリオの民を守れ
カミル達がルフタネンに転移したのは、午後の四時頃。
秋になって日が沈むのが早くなってきてはいるけど、夕焼けまでにはまだ少し余裕がある時間だ。
「アランお兄様、難民の話をお聞かせいただきたいです。以前から、グラスプール近郊の産業についても相談したいと思っていたんです」
カミル達が消えた後、体ごと向き直って言ったら、アランお兄様は露骨に嫌そうな顔をした。
これは何かあるな。
「アランお兄様?」
「明日でいいかな。僕はこれからちょっと用事があって」
「わかりました、では私はこれからグラスプールに行って叔母様に直接聞いて来ます」
「ううう。なんでこのタイミングでそういう話を聞くんだよ」
「本能?」
ゴーストが囁くのは誰だったかしら?
ただ気になったのよ。
グラスプールは半分軍港で、半分は海峡の向こうとの貿易のための港でしょ?
産業なんてなくても、あの町は貿易だけで成り立っていけるの。
商人や船乗りや兵士がたくさんあの街には滞在しているから、酒場も食事処も宿も客には困らない。
でも港町から離れると、環境がだいぶ変わってくる。
栄えているのは港町と北の牧場地帯を繋ぐ街道沿いのごく一部だけ。港町の近くには小さな漁村がいくつかあるけど、高地に向かって徐々に海抜が高くなっていくせいで、海側が崖になっている場所が多くて港が作れる地形は少ないの。
だからその辺りにも新しい産業が欲しいなとは思っていたのよ。
すぐそばに海があっても、農業を主産業にしている村が多いから。それも斜面になっている地形が多くて苦労しているみたいなの。
「そこに難民がきても、仕事なんてないですよね」
「うん……まあ」
「そう。残念ですけどアランお兄様は、あまり私とお話したくないみたいなので」
「そんなことはないよ」
転移しようかと思ったら、がしっと腕を掴まれた。
「ちょっとはディアを止めなよ」
アランお兄様ってば、私の執事にまで文句を言い出しているわ。
そんなに話したくないの?
「大丈夫よ。ジェマとレックスは連れて行くから」
「大丈夫じゃないよ! カミルにおとなしくしていてくれって言われていただろう」
「この程度はしょうがないと、きっと諦めています」
額に手を当てて空を見上げるのは、どういう感情を表現しているんだろう?
難民の話だけだったら、ここまで嫌がらないわよね。うーーん。
「もしかして、難民の中にやばいやつらが紛れているんですか?」
さりげなく建物の中に私を引っ張っていこうとするアランお兄様を止めるために、イフリー達にお兄様の周りを取り囲んでもらった。
アランお兄様の精霊獣は小型化状態だと本当に小さいから、私の精霊獣と対抗出来ない。かといって、大型化して巨人になったり、魔法を使ったら兄妹喧嘩としては派手すぎるもんね。
「はあ、しょうがないな。そうだよ。難民に紛れてペンデルス人が入り込んでいる。ペンデルス人でも、もう痣がないやつらがいるだろう? ニコデムスは彼らを帝国に送ってやる代わりに、仕事の依頼をしているみたいなんだ。情報収集とか」
「ニコデムスって、まだ信者が残っているんですか? ペンデルスだって、もともと住める場所が国境沿いのごく一部しか残っていなくて、国民は隣国に散らばってしまったと習いましたよ」
何十年も緑地化を頑張って、結局駄目で。
住める土地が欲しくて隣国に攻め入り、ベジャイアでもルフタネンでも排除されて、多くの人が砂になってしまった。
もうペンデルス人もニコデムス教徒も、ほとんど残っていないんじゃないの?
「シュタルクに逃げ込んだようだよ。あそこは自分達のしたことを棚に上げて、精霊王を憎んでいる貴族が多い。王族はほら、シプリアンみたいなやつばかりだとしたら、いいように利用されそうじゃない?」
「そうなると、アルデルトって怪しいですよね」
「あそこまで怪しいと、いっそ、ただの変態なだけかもしれないと思うくらい怪しいね」
クリスお兄様に迫る勢いの美形なのに、変態扱いになってしまったよ。
私を付け回したり、勝手に再会を喜び合う仲だと思っているみたいだから、確かにおかしいんだけども。
「そうなると産業がどうこうという話の前に、治安の問題優先ですね」
「そうだね。シュタルクと帝国は海峡を越えればすぐだから、家族をおいて出稼ぎに単身で来ている人も多くてね、シュタルクの問題が解決したら、みんな帰国してしまうんじゃないかな」
「せっかく産業を興して職場を与えても、仕事だけ覚えていなくなってしまうってことですね」
新しい産業のノウハウを、全部持っていかれてしまうのは嫌だなあ。
私は私の出来ることをしよう。戦闘や治安維持は私がする仕事じゃないわ。
高地に近くて、土地が斜面。海峡側は崖になっていて漁業が難しい地域の産業ね。まずはいろいろ試してみたいなあ。
意外なことに、米が余り評判よくなくてね。
パンを主食にしている民族なんで、たまにリゾット風にして食べるのは好まれても、ライスバーガーは不評だったし、オムライスも駄目だった。
駄目って言ってもフェアリー商会のカフェではあまり人気がないだけで、従業員のランチとしては好評だったのよ。
よく考えたら、B級グルメだもんね。
コースの一品として小さいのが出てくる分にはいいかもしれないけど、それを、わざわざ外食しに来た貴族がメインとしては食べないよね。
フェアリー商会の客層とは合っていなかったのか。
でも屋台向けではないしなあ。
だったら、日本酒はどうなのかなって。
傾斜のある地域でも棚田は作れるでしょ?
それにあの辺りは、北の高地からの雪解け水が流れてきて、水が美味しいの。
いいよね、日本酒。
私は辛口の冷酒が好きだったな。
大吟醸はフルーティーすぎて、くいくい飲めるけど物足りなかった。
成人するまでに作れば、この世界でも日本酒が飲めるのよ。
「ディア。戻っておいでー。黙り込んで何を考えてるのかな?」
「あ、いけない。涎が……」
「カミル、本当にこいつでいいのかな……」
私も常々そう思っていたわ。
今のカミルなら世界中の美女を選び放題なのに、物好きよね。
「今の段階では、私は役に立ちそうにないですね。今のうちに新しい産業をどう展開するか練っておきま……あら?」
ついさっき、私達が皇宮から転移してきた場所に、魔力が充満した。
これは誰かが転移してくる前兆だ。
「あ! アラン様」
転移してきたのは、ベリサリオ軍の伝令部隊の人だった。
五人しかいない少数精鋭のこの部隊は、元はうちの専属魔道士だったアリッサや、私が最初に精霊獣の育て方を伝授した人材ばかりの部隊で、全員が全属性精霊獣持ちで、全員が転移魔法を使える。
情報は何より重要だもんね。
アランお兄様だって、もう転移魔法を使えるはずなのよ。
でも、姿が消えて他の場所に移動するというのが、理屈として理解出来なくて自分でやるのはまだ無理なんだって。
他の人に転移してもらうのも、本当は苦手だけど我慢しているみたい。
私の転移だけは、移動する先が目視出来て、扉をくぐる気分で移動出来るから平気なんだって。
気持ちはわかる。
「辺境伯様は皇宮でしょうか」
「そうだね。これから食事会がある。何か起こった?」
「はい。海峡沿いの村で、三人の少女が行方不明になっています。最近、異国風の見慣れない男が目撃されており、現在森を捜索中です」
なんですと?!
まさか、とうとう帝国でも女の子を攫おうとしているんじゃないでしょうね。
シュタルク、許さないわよ。
「攫われたのは今日?」
「いえ、最初に攫われたのは一昨日だそうです。平民の少女が行方不明になっただけでは、どうせ動いてはもらえないだろうと届け出なかったそうです」
「まあ、気持ちはわからなくもない。祖父母と叔父上は?」
うちの領地は治安がいいから、犯罪が起こった時の対処に平民が慣れていないのか。
平民だろうとなんだろうと、その地域を担当している貴族は放置しちゃ駄目よ。
本当は届け出がされていたのに放置していたなんて話だったら、私がぶっ飛ばしに行くわよ。
「港近くに待機していらっしゃいます。ベジャイアとシュタルクの船がまだ停留していますので」
「ねえねえ」
突然私が話しかけながら近づいたら、彼はぴしっと背筋を伸ばして腕を体につけて直立してから、右手を胸に当てた。
「はい。なんでしょうか。ディアドラ姫」
「姫じゃないし」
「ベリサリオの姫ではないですか。先日の転移魔法は素晴らしかったです。すぐ近くで見ることが出来て感動しました!」
瞳をキラキラさせて私を見るのはやめて。
あの時はシュタルクとベジャイアの勝手な言動にムカついて、つい派手にやってしまったのよ。
そんな尊敬のまなざしを向けられるようなことはしてないの。
「それより行方不明の女の子達は、もしかして精霊が複数いる子なんじゃない?」
「はい。平民には珍しく、二属性の精霊のいる子達ばかりのようです」
もう決まりじゃない。
ここで成功したら、何度も少女を攫うに決まっている。
そうはさせないわよ。
「アランお兄様、私も行きます。精霊持ちを欲しがっているのはシュタルクの貴族です。大事な商品を傷モノにはしないでしょう。まだ無事に取り返せます」
「もう止められない感じだね」
アランお兄様が見上げた先の空は、もうすぐ赤く染まるだろう。
そしたら、暗くなるのはすぐだ。
「バルト、伝令の彼と一緒に皇宮に向かい、父上に報告をして、彼の転移魔法で直接グラスプールに向かってくれ。僕達は先に向かう」
「はいっ」
アランお兄様の側近のバルトが、伝令と一緒に転送陣の間に向かって駆けだした。
残りを連れて行くのは、私の仕事ね。
「行きますよ」
「たのむ」
ベリサリオの民に手を出したらどうなるか、シュタルクにきっちりと教えて差し上げましょう。
私が転移魔法でグラスプールにいくのはいつものことなので、先日と同じ倉庫の壁から私達が出てきても誰も驚かない。
むしろ出待ちしていたようで、すぐに港の一角にある建物の中に案内された。
「よく来たな」
「行動が早くて助かるわ」
そこには祖父母と叔父夫婦、そして従兄弟のハドリーお兄様がずらりと顔を揃えていた。
シュタルクとベジャイアの動向を探るためと海峡側の警備のために、祖父母はもうずっとグラスプールに詰めている。
叔父様は事務職としては優秀だけど、軍を指揮するのは専門外だもんね。
それよりなにより、お婆様と叔母様が並んでいると迫力があるわ。
ふたりとも美人なのよ。
でも、存在感がすごくて、下手に近付けない雰囲気があるのよ。
ああ、私ってベリサリオの血が流れているのねって、ふたりに会うたびに実感するわ。
「最初の娘が誘拐されたのが一昨日で、その翌日に隣の村の姉妹が誘拐された。この村では何日か前から、不審な男達が目撃されている。現在、村の周囲を捜索中だが、街道から離れている村でな、村の周りに農地が広がって、その周囲は手つかずの森だ。特に海峡側は深い森になっていて捜索が難しい」
「僕がいきます。そういう場所は精霊獣が活躍してくれると思います」
「はいっ! 私も行きます」
アランお兄様が行くなら、当然私も行くわよ。
ぴしっと手をあげたら、その場の全員が私に注目した。
「私の精霊獣は役に立つと思いますよ?」
「いや、危険……」
「そうね。ハドリーを傍につけておけば平気じゃない? 今は一時でも早く少女達を探し出したいわ」
さすが叔母様。わかっていらっしゃる。
話を途中で遮られたお爺様は、困った顔でお婆様を見たけど、お婆様はもっと乗り気だった。
「妖精姫なら守ってもらう必要はないんでしょう? ルフタネンでも活躍したらしいじゃない。私達はベリサリオの民を守らなくてはいけないわ」
「私もそう思います、お婆様。ベリサリオの民に手を出したら、痛い目にあうのだと敵に教えてあげませんと」
「そのとおりね。でも、そのドレスでは駄目だわ」
あ、忘れてた。
皇宮に行った時のままの、派手なドレス姿だった。
浮くわ。これじゃ顰蹙ものだわ。
「ミアの服があるから、それに着替えましょう」
「そうですわね。髪も結わいた方がいいわ」
なんでしょう。叔母様とお婆様が嬉しそうな顔で迫ってくるんですが。
「さあ、着替えに行きましょう。服を選んであげるわ」
「あの、ミアは年下ですし、ほっそりしてますし、服が合わないのでは?」
「一年差くらいなんていうことはないわ」
「大きめに作ってある服もあるから大丈夫」
うぎゃ、このふたり、力が強い。
引っ張りあげられたら対抗出来ない。
「どの色の服がいいかしら」
「誰かにブーツを買いに行かせましょう」
時間ないって話はどうしたんだ。
私の着替えなんてどうでもいいでしょう!!
アランお兄様、笑っていないで助けてよ!