隣に立つために出来ること
案内されたのは、普段家族が愛用している部屋のひとつだ。
四歳の時、精霊の育て方の話をしたのもこの部屋よ。
あの時は椅子に座ると床に届かなかった足が、もうしっかりと届くようになっている。
そこにゆったりと腰を下ろした両親とふたりのお兄様達。
美形の迫力ってやばいと改めて感じたわ。
「そちらに座りなさい」
示されたのは両親の向かいの席で三人掛けのソファーだ。
両親もソファーに座り、クリスお兄様は私から向かって右側のひとり用の椅子にゆったりと寛いでいる。アランお兄様は両親の座るソファーの左側に立ち、背凭れにもたれかかっていた。
部屋には他にもたくさんの椅子があるんだけど、だいたい精霊獣達で埋まっている。
執事や侍女は精霊状態にしているので、顕現しているのはうちの家族の精霊獣だけだ。それでも子猫全属性分、羽の生えた妖精型の掌サイズの女の子全属性分、小型化すると小さな羽の生えたポニーの子供みたいになってしまう天馬が全属性分、それぞれ好き勝手にしている。
アランお兄様の精霊獣だけは炎や水滴だからか、お兄様の周りを飛んでいるの。
精霊獣達はじゃれていたり、まったりしていたり、なんとも長閑で気が抜ける光景で、うちの家族の圧を精霊獣が緩和してくれている感じよ。
でもカミルにとっては、緊張する場面だよね。
隣に立つカミルが、大きく息を吐きだしてからぐっと腹に力を入れて、私に手を差し出してきた。
そっとその手の上に手を重ねて、カミルに微笑みかける。
カミルも微かに口元を緩めて頷き、部屋の中に足を踏み入れた。
私達の精霊獣も緊張しているのか今日はおとなしい。
イフリーの上にジンが乗り、ガイアの上にシロがご満悦な様子で乗り、リヴァとカミルの精霊獣達が泳ぐように空を飛んでいる。
ソファーに座って、ドレスの裾を整えて顔をあげるまで、部屋中からの視線がチクチク刺さっている気がしたわよ。
壁際にはそれぞれの執事や侍女が控えているし、私達に続いてエドガーやレックスとブラッドも部屋に入ってきているはずだ。
全員が所定の位置について、舞台が整ったって感じね。
「話は済んだのかい?」
「は……」
「父上、先にちょっといいですか?」
お父様の問いに答えようとしたら、クリスお兄様に遮られてしまった。
「カミルはあのことをディアに話したのか?」
「あのこと?」
振り返ると、カミルが驚いた顔でクリスお兄様を見ていた。
「話していないのか」
「確実になってから話すと言ったはずだ」
「もうほとんど確実だろう? ディアの性格からして、話すのが遅くなると厄介だよ」
何? なんの話? 婚約に関係のある話?
カミルは私に隠していることがあるってこと?
振り返ったカミルに、なんの話? と聞きたくて首を傾げてみせた。
秘密は駄目よ。失った信用は簡単には取り戻せないもの。
「わかった。話すから、そんな心配そうな顔をしないでくれ。悪い話じゃないんだ」
「大事な話?」
「うん。確かにいい機会かもしれない」
困った顔じゃなくて、笑顔を見せてくれたから安心した。
うちの家族に囲まれて、この状況で笑顔ってそれだけですごいわよ。
「クリスは知っている話なのか?」
「僕も知っている」
お父様の問いにアランお兄様が答えた。
「なんで私には話してくれなかったの? 瑠璃に会うにも私に言ってくれれば話が早いはず」
「きみに動いてもらっては意味がないんだ。前にきみが僕に話しただろう? 夫婦として一緒に人生を歩むのに、どちらかがどちらかのために生きるんじゃなくて、対等に生きていける関係がいいって」
「言ったわ。でもカミルは私が商会の仕事をしてもいいって言ってくれてるし、一緒に外国に旅行にだって行けるんでしょ? 屋敷の女主人として留守番とか、派閥作れとか、社交界で暗躍しろとか言わないでしょ?」
「暗躍……」
アランお兄様、今は真面目な話なの。
突っ込みはいらないの。
「言わないよ。でもそれだけじゃ、俺としては対等だと思えなかったんだ」
「えっと……どういう……」
「それでルフタネンの精霊王達に後ろ盾になってもらうことにした」
「………………」
はい? いやちょっと何を言っているのかわからない。
ルフタネンの賢王や私が精霊王に後ろ盾になってもらえたのは、私達が記憶を持ったまま転生した人間だからでしょ?
だから魔力の量や強さもおかしいんだよね?
「長くなるけど、聞いてくれるか?」
「……わかった。その話、詳しく聞かせて」
思わずソファーの上に乗り、カミルの方を向いて正座した。
これはちゃんと聞かないとやばい。
うちの両親もかなり驚いているようで、身を乗り出して話の続きを待っている。
「アゼリアの精霊王達がディアの後ろ盾になったのは、アゼリア帝国の人間達が忘れていた精霊と人間の関係を復活させ、精霊獣を育て、その方法を周囲の人間達に広めて、精霊と人間が共存出来る国を作るために動いたからだ」
「うん……そうかな?」
「そうなんだよ。魔力がどんなに強くても魔力量が多くても、精霊のために動かなかったら精霊王は後ろ盾にならなかったんだ」
両親や執事達がいるから、私の秘密は話せなくてこういう話し方になっているんだよね。
つまり記憶ありの転生者ってだけじゃ、後ろ盾にはならなかったって話だ。
うんうん。そりゃそうよ。
精霊そっちのけでチョコレートだけ作ってたら、そりゃ後ろ盾にはならないよね。
あれ? てことは、記憶ありの転生者っていうのは、条件としてはあまり重要ではない?
「私の魔力は人間とは思えないほど強いって言ってなかった?」
「アランに聞いたんだけど、赤ん坊の頃から魔力が多かったんだろう?」
「魔道具の玩具で遊んだり、気絶するまで精霊に魔力をあげていたら増えたみたい」
「気絶って……」
今更そんなことくらいで引かないで。
今となっては、転移のために切り裂いた空間を維持する時くらいしか、増えすぎた魔力の使い道はないけど、転生したばかりの頃はこの世界がどんな世界かわからなかったし、魔力は多い方がいいと思ったのよ。
「そこに全属性の精霊王の祝福をもらって、更に後ろ盾になってもらったせいで魔力量が膨れ上がったんだろうな」
「つまり後ろ盾になってもらえるかどうかで一番重要なのは、精霊と人間の共存に貢献出来たかどうかなのね?」
「いや、そもそも精霊王が人間の後ろ盾になること自体が、非常に珍しいことなんだ。短命の人間とそこまで親しくなって、ルフタネンの精霊王のように引き篭もったら困るだろう?」
困るけど、そればっかりは死んでしまう人間としてはどうしようもないのよね。
それぞれの精霊王の担当する地域を治める人と橋渡しをしたのは、それもあったからなのよね。子供や孫と仲良くしてもらったら、少しは悲しみが薄れるかもしれないでしょ。
「それは、実は皇宮でも気にしてはいたんだ」
今まで黙って話を聞いていたお父様が話し出したので、私は少しだけ体を正面に向けて話を聞いた。
「アゼリアの精霊王がディアの後ろ盾になってくださったように、他国でも精霊王の後ろ盾を持つ人間が現れてもおかしくはない。あちらこちらの国でそういう人間が現れた場合、ディアみたいな規格外の人間同士の争いでも起こったら大変だ」
転生のことを知らないと、そういう心配も出てくるのね。
でもお父様に、さらりとディスられている気がするのは気のせいかしら。
「そうですね。ベジャイアの精霊王はガイオを気に入っていましたけど、あの男に精霊王の後ろ盾がついたら困ります」
当たり前じゃない。
今でもあれだけの勘違い野郎なのに、精霊王が後ろ盾になったりしたら大問題よ。
「でも精霊王にとって、人間の後ろ盾になるというのはそんな簡単なことではないんです。ルフタネンの精霊王達も、俺の後ろ盾になることをなかなか了承してくれませんでした」
「そうなのか」
「それでアゼリア帝国の精霊王に意見を聞きたくて、クリスとアランに相談したんです」
「僕達は瑠璃様に話を通しただけだけどね。そこまで覚悟を決めていると聞いたら、反対は出来ないじゃないか」
そうか。クリスお兄様はカミルの話を聞いて、それで考えを変えたのか。
「そんな時にシュタルクが、俺の命を狙って刺客を寄越したんです。ルフタネンの精霊王が後ろ盾にならないのなら、我らで守ると瑠璃様がシロを俺に預けてくれて」
「え?! それでシロをバングルに寄生させたの?!」
『寄生っていうなーー!!』
ガイアの背中でごろごろしていたシロが、がばっと起き上がった。
『カミルが死んだら、ディアが悲しむでしょー。瑠璃様達はそれはだんこそししたいって!』
「意味わかってる?」
『カミルが元気ならおっけー! ってことだよ』
「まあ可愛い!」
お母様は初めて見るシロの可愛さにメロメロだ。
シロの方も可愛いと言われるのは嬉しいようで、ガイアの上からテーブルに飛び降りて、両親に愛想を振りまき出した。
あざとい。
「このままだと俺がルフタネンを捨てて帝国に行くんじゃないかって、モアナが心配しだしてね。普通なら駄目だけど、俺は精霊の育て方を広めていたから……」
「そうよね。ルフタネンで広めていたわよね」
「ルフタネンだけじゃなくて、商会の仕事で南方諸島や東方の島国に行った時にも、精霊獣について説明してるんだ。ディアの作った本は、どこでも喜ばれているよ」
「私よりカミルの方がすごいじゃない」
私は、最初はベリサリオのことしか考えていなかった。
その後だって、帝国のことで手いっぱいだったわ。
「それは違う。俺がスムーズに精霊について広められたのは、妖精姫と帝国の繁栄の噂が広まっていたからだ。どこの国も、精霊獣の育て方を知りたがっていた。最初のきっかけを作ったのはディアなんだよ」
「そう……なのかな」
「だからね、他の国の精霊王の了承も得て、ディアと結婚するのなら、俺の後ろ盾になってもいいという話になったんだ」
「他の国って、この前集まった国々のこと?」
「他にもタブークや南方諸国や東方の島国もだ。すでにそのあたりの国の精霊王の了承は得ている」
私のために、そんなことまで?
忙しくて会えなかったのって、仕事じゃなくてこのためか。
「ディアとの結婚が条件になっているのね」
シロを膝の上に乗せながらお母様が聞いてきた。
「はい。精霊王が後ろ盾になった場合に得る力を考えると、誰でもクリアできる条件を出すわけにはいかなかったんだと思います。だから精霊王の後ろ盾を持つ人間が、何人も現れる危険はないんです」
やっぱり、記憶ありの転生者というのが一番の条件なのか。
賢王は男で国王だったから問題なかったけど、私は女だから利用しようとする者が現れてしまう。
だから私を守るためなら、カミルの後ろ盾になるという話が他国の精霊王にも受け入れられるんだ。
「私、そこまで特別扱いされるようなことを出来ているのかな。もっと頑張らないといけないよね」
「もうとんでもないことを散々してきたと思うよ。無茶はしなくていいから」
「え? そう?」
あまりに真剣な顔でカミルに言われたから、振り返って家族を見たら、みんなで何度も深く頷いていた。
「それに俺が賢王の子孫だということも重要らしい。魔力を見られるのが今回は役に立ちそうだ。ただ他国の精霊王にこの話をした時に、ディアとふたりで自分の国に来てもらいたいという話が出たんだ。精霊王とその国の人達との橋渡しをしたり、精霊と共存する方法をそれぞれの国の事情に合わせて考えてほしいと。それなら俺が精霊王の後ろ盾を持つことも認めるって」
後ろ盾になってもらえればお得なこともたくさんあるけど、今でもカミルはルフタネンの精霊王達に可愛がられているんだから、面倒なことの方が多くなるはず。
「ディアにも手伝ってもらわなければいけなくなってしまったのに、事後承諾で悪い。でも帝国の国民を納得させるためにも、これ以上ディアを心配させないためにも、精霊王の後ろ盾が欲しいんだ」
各国を回って橋渡しをするって、大変だよ?
国によって精霊との関係って違うだろうし。
「ディア? 嫌だったか? 対等になりたいなんて俺の我儘で、そのせいでディアに会う時間が減ってしまってたんだけど……ディア? 聞いてるのか?」
でもカミルが精霊王の後ろ盾を持てば、誰も私達の関係に文句をつけられなくなる。
カミルを殺そうなんてやつが現れても、ルフタネンの精霊王が守ってくれる。
すっごい安心!
「誰にも文句を言わせないためでしょ?」
「そうだ」
「私を守るためでもある」
「きみは強いけど無茶するし優しいからね」
私のために。
私と生きるために。
私に相応しいと周囲を納得させるために。
きっと最初はルフタネンの精霊王だって、無理を言うなって相手にしなかったはず。それを説得したんだ。
「わーーん! カミル、ありがとう!!」
嬉しかったんだよ。私とのことを、そんなに真剣に考えて行動してくれていたんだって。
それでつい、この感動を表現したくて、お兄様達にやるように飛びついてしまった。
「うわ」
カミルの方に向いて、ソファーの座面に正座した状態から、首にしっかりと腕を回して全体重をかけて抱き着いたのに、肘掛けに肘をついて、片手で私の背を支えて、しっかり受け止めてくれて倒れなかったなんて、逞しいよね。
でも、両親やお兄様達の前で私に抱き着かれたカミルは、どうしたらいいかわからなかったのか、女の子に抱き着かれるのは初体験だったのか、そのままぴきっと固まってしまった。
そして私も、抱き着いてから自分のやらかしたことに気付いて、動けなくなってしまった。
このまま顔をあげたら、カミルのアップよ。
カミルの体に乗っかっちゃっているような状態で、カミルのアップは無理。恥ずかしすぎる。
かといってこの状態から後ろに身を退く場合は、どうすればいいのかしら?
腹筋と太腿の筋肉を使って、正座の状態に戻ればいいの?
でも、両親の顔を見るのがこわいし、お兄様達の顔を見るのもこわい。
「ど、どどど……どうすれば」
「何をやってるのさ」
背後からお腹に腕が回されて、ぐっと持ち上げられてカミルと引き離された。
「アランお兄様」
「カミルが硬直しちゃっているじゃないか」
女の子に耐性のない十四歳の男の子に、今のはやばかったか。
えー、でも、私の手にキスしたことあるのにー?
「ディア、嬉しい気持ちはわかるが落ち着きなさい」
お父様は怒っていないようだ。よかった。
よし。私はもう本当に心を決めたぞ。
「お父様、お母様。私、カミルと婚約します!」
ソファーから降りて立ち上がって、両親に向かって背筋を伸ばして立って宣言した。
「…………そうだね? だから挨拶をするためにカミルは来たんだよね?」
「カミル、ちょっと変な子だけど悪い子じゃないのよ。優しいいい子なの。苦労させそうでごめんなさいね」
あれ? うちの娘をそう簡単に嫁にやるかーー! とか、お嬢さんをください! ってやる場面よね。
なんで、私を嫁にもらうカミルが気の毒そうな顔をされているの?
「大変だな。何かあったら相談には乗るよ」
アランお兄様まで!
「とうとう……とうとうディアがカミルに決めてしまった」
クリスお兄様だけはいつもどおり、頭を抱えて呻いていた。