疑問と疑惑
目の前に広がるあまりにも意外な光景に、唖然としてしまって次の行動が取れなかった。
まさか、港に兵を整列させているなんて思わないわよ。
でも驚いたのは私だけじゃない。ほとんどの人が固まっているみたいだから、私は平静を装ってすーっと横に退いて壁際まで移動した。
……これは、どういうこと?
これだけの兵が整列しているってことは、私がここに転移用のドアを開けることになるって、前もってわかっていたってことよね。
やっぱり、皇太子もクリスお兄様も何か仕組んでいたんだ。お父様も知っていた。
シュタルクとベジャイアの失礼な態度も予想通りだったんじゃない?
唯一、ガイオがスザンナに言い寄ったのだけ予定外で、クリスお兄様が慌てたんだ。
あとで皇太子やクリスお兄様に話を聞こうと思っていたけど、やめた。
これはもう国と国との政治の話だ。
それも、軍隊が動く可能性のある話なんだ。
それは聞きたくないわ。私は平穏に生きたいのよ。
たった今、ド派手なことをして目立ってしまったけども!
「これが妖精姫の力か。猫を被っていたんだな」
こっちに近づいてくんな。
でもこの状況で余裕の顔を崩さないところは、さすが戦場で活躍した英雄と思っていいのかな。
額や首筋にだいぶ汗をかいているみたいだけどね。
「精霊王が欲しがるわけだ。今までの非礼は詫びよう。俺は……」
「どけ」
ガイオと私の間にカミルが割り込んできた。
『こいつなにー。シロ、知らなーい』
『こいつはベジャイアのやつだ』
『失礼なやつ』
カミルや私の精霊獣達のガイオに対する敵意がすごい。
それでも苦笑いしつつ、この場を動かないガイオの根性もすごいな。
「カミル、きみはルフタネンの人間だ。我々と帝国の話に口出ししないでもらおうか」
「ディアに近づくなと前に言ったはずだ」
「はい、ふたりともやめて」
ぱんぱんと手を叩いて、ふたりの意識をこちらに向かせる。
「ガイオは、私はお子様だから相手にならないと言ったのを忘れないでね。お帰りはあちらです」
『待て……』
話に加わろうとしたベジャイアの風の精霊王を、翡翠が先回りして進路を塞いで止めた。
『消えてって言ったでしょ。あなたは自分のやらかしたことを反省なさい』
『いや、さすがにそれだけでは済まさない』
瑠璃が一歩前に出た。
『今後ベジャイアの精霊王は、アゼリア内へ足を踏み入れることを禁止する』
『それだけじゃなくて、暫く付き合いもやめましょう。今回のように精霊王が集う時にも、あなたの顔は見たくないわ』
琥珀まで言い出したものだから、さすがにベジャイアの精霊王も慌てだした。
『ま……待ってくれ。それではほかの精霊王が……』
『ものすごく怒っているでしょうね』
うわ、ベジャイアの他の精霊王に話さないで、ひとりで勝手な行動をしていたの?
なんなの、この精霊王。
『だが……妖精姫は……』
まだそんなことを言ってるのか。
「私、ずっと思っていたんですけど」
精霊王達が、いっせいにこちらを向いた。
慣れているつもりでも、圧がすごいよ。
「ベジャイアの精霊王って、相手の話を聞いていませんよね。こちらが何回断っても、自分の要望を繰り返すばかり。そうして根負けさせれば、相手が折れると思っているんでしょうか」
「それは、ベジャイア人によく見かけるタイプだ」
カミルの指摘に頷いている人が何人もいるってことは、ベジャイアって押せ押せの民族なのね。
それは内乱にもなるわね。
「少なくとも私は、ベジャイアの精霊王と話すのは苦痛でした。会話にすらならないんですもの」
『そんな……』
がっくりと項垂れた精霊王は、そのまますっと姿を消した。
自分だけ消えないで、ベジャイアの人達を連れて帰ってくれればいいのに。
「そうか、ベジャイアに来る気はないか。帝国とベジャイアの友好に……」
「友好? あれだけ好き勝手しておいて、よくそんなことが言えたものだわ」
「ディア」
カミルが人差し指でトントンと肩を叩いてきたので、うるさいわねと手で払いながら振り返ると、苦笑いしながら自分の背後を指さしていた。
「あ」
カミルの背後には、いつの間にか近付いてきていたアランお兄様がいて、もっとやれと言いたそうに笑顔で楽しそうにこちらを見ている。
お友達や帝国の人達、他国の賓客や精霊王まで、話すのをやめて注目していた。
「えーっと……」
皇太子やクリスお兄様も笑顔だ。
お父様は部下への指示で忙しそう。
そして、港にいる兵士達もみんな、興味津々な様子で私を注目していた。
「ベジャイアもシュタルクの方達も、先程から私に要望ばかりおっしゃっていましたわよね」
コホンと咳払いして扇で口元を隠す。
ここまで目立ったら、ガイオを追い払わないと終わらせられないじゃない。
「でも政略結婚は、お互いに得るものがないと成立しませんわ」
声のボリュームを落とし、近くにいる人にしか聞こえないようにして、皆に背を向けた。
「あなたとの政略結婚でこちらが得るものなんてありませんでしょう? 帝国に、ベリサリオに、私に、なんの得がありまして?」
「……ひとつ聞いてもいいか」
「どうぞ?」
「ベリサリオと皇太子の関係はうまくいっているのか?」
「はあ? もちろんですわ。我がベリサリオは全面的に皇太子殿下を支持しておりますわよ」
「……くそ」
え? どういうこと?
ベリサリオと皇族が敵対しているとでも思ったの?
あああ、それであの強気な態度か。
皇族とやりあっている時に、シュタルクやベジャイアに背後を突かれたらまずいだろうと。
「で、ルフタネンとなら得るものがあるってわけか」
「ルフタネンというか……チョコを開発出来たのもカミルのおかげですし」
「やっぱり食い物につられて……」
なんでそこでカミルががっくりするのよ。
「違うわよ。食べ物につられたんじゃないわよ」
「わかってる。俺達は国のために付き合っているんじゃないもんな」
「え? それはそうね。国は関係ないわね」
命令されて付き合っているわけじゃないし、損得なんて考えたことはなかったわ。
「でもまだ得はあるよ。ディアは南方諸島に行ってみたいんだろう? それに、リルバーンやデュシャンにも行ってみたいんじゃないか?」
「それはもちろん! きっとまだ私の知らない農産……、いえ、特産……、いえ、文化とか芸術とか」
わ、笑うな。
決して食べ物にだけ興味があるんじゃないですからね。
カミルの背後で笑っているアランお兄様やお友達も、ちゃんと見えているんだからね。
恥ずかしいから、呆れた顔しないで。
「俺なら一緒に連れて行ける。一度行ったところなら一瞬だしな」
「乗った! 絶対よ! これからは貿易が重要なんだから。それぞれの国のいいところは残しつつ、文化交流は進めていくべきよ」
「力説しているところ悪いが……」
外国に行けるってことですっごく盛り上がってしまって、一瞬状況を忘れてしまったわ。
「皇太子殿下? そこまで私の声が聞こえていたんですか?」
皇太子は自分の席から離れていない。
私は部屋の隅に近い壁際。
だいぶ距離があるし、小声で話していたのに。
「悪い。ガイオがまた変なことを言い出すかもしれないと思って、風の魔法でみんなに声を届けてた」
「アランお兄様……」
「まさか、ここでカミルといちゃつくと思わないだろう」
「い、い、いちゃついてなどいません!」
うわー。みんなに聞かれていたの?
カミルも気付いてなかったのか、手で顔を隠して俯いてしまっているけど、耳が真っ赤だ。
やめて。カミルが照れると、余計に恥ずかしい。
思わずカミルとアランお兄様の背後に回って、同化したくて壁に引っ付いた。
「こちらは気にせずに、どうぞ」
アランお兄様に話をふられて、皇太子は呆れ顔だ。
すっかり場が緩んでしまった。申し訳ない。
「この転移魔法もディアの魔力を使っている。そろそろ閉じないといけないんだ。ベジャイアとシュタルクの関係者はすぐに行動してくれ。帰りはこちらだ。確か両国とも、港に船を停泊中だったな。きみ達は全員、このまま船に戻ってもらう。船内にいる限りは行動は自由だ。ベリサリオ辺境伯、あとは任せる」
港の風が部屋の中まで吹き込んで、波の音と潮の香りがする。
呆然としていた人達は、少しずつ驚きから覚めて、不安そうな顔で自国の人と顔を見合わせていた。
そりゃね、転移魔法を見るのも初めての人達を前に、壁一面を港に繋げちゃったらね、驚くよねー。
その転移魔法を維持しながら、普通に喋っちゃっていたしねー。
「ば、化け物が」
護衛に支えられてどうにか立っているくせに、シプリアンが苦々しげな声で吐き捨てた。
「あら、ようやく気付いたの?」
にっこりと笑顔で答えてあげる。
「精霊王に後ろ盾になってもらうような子が、普通の女の子のわけがないでしょう」
「ひっ」
自分で喧嘩を売るようなことを言い出したくせに、私が応えたら死にそうな声を出すのはやめてほしいわ。
「聞こえなかったのか。さっさと移動してくれ」
「彼らを船まで送ってやれ」
私を化け物呼ばわりして、クリスお兄様とお父様が放っておくはずがない。
お父様に命じられて、兵士が七人ほど部屋の中に足早に入り、シュタルク一行を取り囲んだ。
「歩かないなら引きずっていけ」
皇太子も容赦ないな。
「き……きさま、私にこんなことをして、ただで済むと思っているのか! 私はシュタルクの王子だぞ!」
「その言葉、そのまま返そう。この帝国で、俺や妖精姫にそんな態度を取って、国が無事でいられると思っているのか」
「わ。私はシュタルクの……」
「滅亡しかけている国が過去の栄光に縋りついて、自分達は特別だと勘違いしているさまは滑稽だな」
「な……な……」
「参りましょう、殿下」
アルデルトが冷ややかな声で言った途端、シプリアンは大きく目を見開いて口を閉じた。
「失礼します」
アルデルトが歩き出すと、護衛がシプリアンを引きずりながら後に続き、最後にギヨームや関係者が暗い表情で歩き始めた。
「俺達も行くか」
ガイオがベジャイアの人達に顔を向けると、彼らも立ち上がり歩き出したが、ガイオを見る視線に怒りが滲んでいる。
ベジャイアまで帰らなくてはいけなくなったのは、ガイオのせいだもんね。
でも止められなかった責任はあると思うよ。
「ああそうだ。両国に言っておきたいことがあった」
唐突に皇太子が言い出したので、ガイオもシュタルクのメンバーも足を止めた。
「両国とも大事なことを忘れている。ディアはまだ十二歳だ。帝国では十五で婚約が許され、よほど特別な理由がない限り十八歳で結婚する。ベリサリオとしては、妖精姫は十八まで手放す気がないのではないかな」
「当然だ。妹は十八までは結婚しない」
すかさずクリスお兄様が頷き、
「結婚後も、ディアが好きな時にベリサリオに帰れる状態を作れる相手しか、私は結婚を認めない」
お父様まで力説した。
「だそうだ。つまり、妖精姫が嫁ぐのは六年後だ。それまでに精霊王が協力的なベジャイアは復興が終わっているだろう? シュタルクは六年も今の状態を続けたら、とっくに国が消えている。両国とも、ディア頼みをしようとしても無駄だ。もちろん私も、ディアの両国との婚姻は認めない。それを帰って国の首脳部に伝えてくれ」
様々な表情で皇太子を見ていた一行は、兵士に押されて港へと歩き出した。
のろのろと力のない足取りで歩く一行の中で、ガイオとアルデルトだけが平然と前を見て歩いている。
彼らの後ろ姿をちょっとだけ見送り、転移魔法を解除しようとして、こちらを振り返ったアルデルトと目が合った。
あの灰色の瞳、前にどこかで。
「あ、思い出した」
ルフタネンで囮になって街を動き回っていた時、二カ所で黒髪に灰色の瞳の同じ人間を見かけたんだ。顔つきがルフタネン人じゃなかったから気付いて、目つきが不気味な感じがしたんだった。
「ストーカー?」
あの時、私が彼に気付いたことに彼も気付いていたとしても、再会出来たと表現するのはおかしいでしょ。
「ディア? ストーカーってなんだ?」
命を狙われる危険のあるカミルに、これ以上負担はかけたくない。
私は笑顔で、何でもないよと首を横に振った。