プロローグ
気付いたらずいぶんと更新の間が空いてしまっていました。
あれ? ついこの間、更新した気分だったんですけど……。
今回から第三章スタートです。
窓の外は晴れて青い空が広がり、皇都もすっかり暖かい春の陽気だ。風も爽やかで、微かに中庭の花の香りがする。
こういう日は散歩したいな。
海の見えるベリサリオの庭を、瑠璃の湖までのんびりと歩いたら気持ちよさそう。
「第三王子はイースディル公爵暗殺未遂容疑で捕らえられたと聞き及んでおりますが」
と、現実逃避している場合ではない。
部屋のこの重苦しい空気をどうにかしなくては。
パウエル公爵の声はいつもより低く、ルフタネンメンバーを見る表情は冷ややかだ。
ここは皇宮の中でも特に豪華な、VIP専用の会議室だ。
壁には誰が描いたのかは知らないけどアーロンの滝の絵が飾られている。家具も椅子も重厚なデザインで、私の身長では椅子に座ると足がつかない。
大きな長方形のテーブルが部屋の中央に置いてあり、長い側の、私から見て右側に皇太子を中心に帝国の公爵や前辺境伯が座り、左側にカミルを中心にサロモンと王太子補佐官のエリオット・スタール伯爵が座っている。
そして私とうちの家族はその中間、誕生日席に当たる場所に私を中心に腰を下ろしていた。
ここまではまだいい。
明後日からルフタネン訪問予定なのだし、この時期にこの場所にこのメンバーが集まっていてもおかしくはない。
おかしいのは、私の背後に四人の精霊王が立っているということだ。
帝国が並ぶ右側に瑠璃と琥珀が、ルフタネンのメンバーがいる左側にモアナと東島を担当している土の精霊王のアイナが立っている。
両国とも水と土の精霊王なんだねー。偶然だねー。……はあ。
「あれから何年ですか? 五年近くは経っているはず。まだ裁判の判決が出ていなかったということですかな」
前ノーランド辺境伯のバーソロミュー様が、厳しい口調で言えば、
「第二王子暗殺にもかかわっていたと聞きます。なぜ、死刑になっていないのですか。少々甘くはないですかね」
前コルケット辺境伯のドルフ様も、テーブルに手をついて身を乗り出すようにして非難した。
「我が国には我が国の事情があります。それを他国に責められる謂れはありません」
それに応えたのはエリオットだ。
にこやかな笑みを顔に張り付けて、ことさら穏やかな声で答えているけど、帝国側に負けていない。
この人はまだ若いのよ。
王太子が今年二十五歳。その補佐官の一人である彼は二十七歳。子供の頃からの側近で、王太子の右腕と言われているやり手なんだってさ。
王太子の傍らにいなければいけない彼がこの場にいるっていうことが、この会議の重要性を物語っているよね。
「甘いと言えば……帝国でも前皇帝エーフェニア陛下と将軍が……今は男爵でしたでしょうか。幽閉もされず、ふたり一緒に地方で生活なさっていると聞きます。ずいぶんと甘くはないですかね?」
サロモンまで参戦し出したぞ。
「おふたりともまだ若い、第三皇子がお生まれになりでもしたら、国が荒れる危険がありませんか?」
あーーー! そうだよ!
十八で結婚して、今は三十三? 四?
子供が出来たっておかしくないじゃん!
その可能性を全く考えていなかった!
「子供! そうですよね。おふたりは仲がいい夫婦なんですもん。子供が出来るかもしれないですよね」
「「「…………」」」
……え?
この何とも言えない沈黙は何?
みんなの微妙な表情も何?
妖精姫が子供の作り方を知っているのか?! っていう驚愕の顔?
十一にもなって、子供がどうしたら生まれるのかも知らないのか?! って引いている顔?
どっちかわからないから、せめて誰か何か言いなさいよ!
「だとしても彼らには何も出来ないのですよ。公爵家全てと辺境伯全てが皇太子を次期皇帝にと決めているのですから」
ああ、うん。そっちの説明でもいいわ。パウエル公爵、ありがとう。
確かにそうね。今更騒いでも、誰も相手にしないわね。
「話を戻そう。我々が心配しているのは妖精姫の身の安全だ。ベリサリオが今回の話を引き受けるとはどういうことだ?」
「心配していないからです」
今まで黙って話を聞いていたお父様が、皇太子の質問に答えた。
「ディアの精霊獣を突破して、彼女に傷をつけられる人間などいません。今回は瑠璃様も守ってくださるとおっしゃっていますし、全く問題はありません」
「むしろ、周囲への被害が心配ですね。その辺は気を付けてもらわないと、あとで責任問題になっては困る」
「わかっていますわ、クリスお兄様。ちゃんと人気のない場所に連れ込んでからやっつけます」
私の精霊はみんな魔精だから、アランお兄様のような戦い方は出来ない。
でもね、魔精は範囲攻撃出来るのよ。魔力が強ければ範囲も広いのさ。
しかも私は魔力量も多い。
強力な結界を広範囲に張りつつ、範囲魔法でドッカンドッカン攻撃出来るわよ。
もちろん、ぎゅうっと圧縮してひとりに魔法をぶつけることも出来るしね。
もしもの時に身を守れないと駄目だよって、みんなが護身術を教えてくれたのよ。
「どんなに強くても精神的に傷つく心配だってあるでしょう。ディアはまだ十一歳の女の子なんですよ。危険があるとわかっているのに、我が国に来る必要はないはずだ」
「え?」
「は?」
カミルの発言に、帝国側から間の抜けた声が上がった。
だからさ、最初から言ってるじゃん。
帝国首脳陣もルフタネン側も、人間は全員、私がルフタネンに行くことを反対しているの。
ここで言い合いをするだけ無駄なの。
「それを守るのがきみの役目じゃないのか? それも出来ないくせに、ディアの結婚相手に立候補したのか?」
うげっ! クリスお兄様、こんなところで何を言い出すのよ。
うちの家族も他人事みたいなのんびりした顔で黙っていないでよ。
帝国側の人達が、はっとした顔でカミルを凝視しているじゃない。
「……そうか、わかった。私がずっと傍にいて彼女を守っていいんだな」
「瑠璃様がいてくださるんだ。きみの出番はないんじゃないか?」
はーい。そこで睨み合わない!
『あなた達、いい加減にしなさいな』
うんざりとため息をついて髪をかきあげながら、琥珀がテーブルにお行儀悪く腰を下ろした。
横向きになって、お尻を半分だけテーブルに乗せてるのよ。色っぽいけどさ、みんなびっくりよ。
『今回のことは、ルフタネンの精霊王から私達が頼まれて、後ろ盾になっているディアに依頼したの。彼女がやると言ってくれたんだから、本当は家族にだけ知らせればよかったのよ。でも筋は通したいってベリサリオが言うから、両国の首脳陣に報告することにしただけよ』
『そういうことだ。おまえ達の意見を聞きに来たのではない。ディアの心配をするのはわかるが、私が彼女を傷つけさせるわけがないだろう』
そう。これは精霊王から依頼されたお仕事なの。
カミルも後から知らされたのよ。
事の起こりは三日前の未明。
ルフタネン王宮敷地内の地下牢に捕らえられていた第三王子が、何者かの手を借りて脱走したの。
第三王子って、母親が西島出身で正妃だった人の子供ね。
彼からしたら、自分は正妃の子供なのだから、第二王妃の子供である王太子より自分が次期国王になるべきだ。だから、カミルを暗殺しようとしたのも、第四王子に第二王子暗殺をさせたのも、自分が正当な権利を得るためだっていう言い分なのよ。
でも今更、第三王子が名乗りを上げても、誰も彼を支持するわけがない。
ずっと引きこもって姿を見せなかった精霊王達が姿を現し、ニコデムス教を島から追い出したのは王太子の功績ということになっている。
精霊王が王太子に会いに王宮に姿を現すのは、ルフタネン人には有名な話だ。
だから第三王子陣営は考えた。
精霊王を味方につけるために、妖精姫を手に入れよう。
馬鹿だねー!
私に手を出したら、精霊王を怒らせるだけだっつーの。
でも、第三王子は能天気に、妖精姫はきっと自分を気に入る。
そして自分こそが王になるべきだと力を貸してくれるはずだと、捕らえられている時から話していたらしい。
たぶん何年も地下牢にいたから、妄想と現実の違いが判らなくなっているんだね。
だから囮になって、第三王子と、どうやら合流しているらしい第四王子を捕らえるか、始末する手助けをしてくれないかっていうのが、精霊王からの依頼なのよ。
『これは私の我儘です。ルフタネンの人は関係ありません』
今日はモアナも、いつもの明るい雰囲気はない。
『他の精霊王が引き篭もってしまって連絡が取れなかった間、ラデク……王太子とゾルとカミルの三人が、唯一の話し相手でした。赤ん坊だった彼らが育つのを、ずっと見守ってきたんです。ゾルは優しい兄弟思いの王子でした。不器用な優しさで、いつも私のことを心配してくれた。自分の犯した罪を悔やみ、おとなしく罰を受けるならまだしも、まだ自分が王に相応しいなどと世迷いごとを言うなんて。ゾルを殺し、カミルを殺そうとした愚かな人間を私は許せない』
でも精霊王は、精霊が被害にあうか精霊王の住居を破壊された場合以外、人間の生活に干渉してはいけないという決まりがある。
だから本来なら、今回の件に精霊王が口を出すのは駄目なのよ。
ただし、ひとつだけ例外がある。
精霊王が後ろ盾になっている妖精姫が要請した場合。あるいは、妖精姫が傷つけられる危険がある場合、精霊王はその相手を許さない。
それはもう以前から瑠璃が明言していて、近隣諸国も認識している話だ。
第三王子が私に手を出すのを、精霊王、特にモアナは待っているのよ。
『何度も言いますが、これは私達精霊王が妖精姫に依頼した話です。ルフタネンが帝国に恩を感じる必要はありません。でも私は、妖精姫とベリサリオ、そして帝国に感謝するでしょう』
『私もよ。ルフタネンの精霊王はみんな、妖精姫に感謝している。帝国の首脳陣が、カミルに協力してくれたことに感謝しているわ。今後も二国がより良い関係を築いていくことを望んでいる』
アイナは同じ土の精霊王でも琥珀とはだいぶタイプが違う。見た感じの雰囲気はシャーマンだ。
アオザイって知ってる? ベトナムの民族衣装ね。
下に白い薄い布のズボンをはいて、アオザイによく似た卵色の横スリットの入った服を着ている。
手首と足首に小さな石のついた装飾品をつけて、サンダルを履いているのよ。この世界にサンダルってあったの?!
額につけているのは猫目石かな。黄色に白い筋の入った大きい石が金色の鎖で留められていた。
「ディアは、本当にいいのか? 危険だぞ」
皇太子は約束を守って、今でも本当の兄のように接してくれるのよね。
皇族の事情もあるんだろうけど、たぶん本気で心配してくれているんだろうと思うくらいには彼を信用してるわよ。
「私が一番怖いのは、家族が巻き込まれて傷つくことです。ですから、ルフタネンにいる間、家族もパウエル公爵にも私とは別行動してもらいます」
『彼らのことは私が守るわ。安心して』
琥珀がウインク付きで請け合ってくれた。
「ベリサリオも本当にそれでいいんだな?」
「よくはありませんが、私達よりディアは強い」
「そうですわ。それに私達は王太子殿下の結婚式に出なくてはいけませんもの」
この件に関しては、家族とは相談済みだ。
精霊王には、日頃お世話になっているんだもん。お世話もしているけど。
お願いされたら断れないよ。手伝いたい。
「本当は僕も行きたいけど、それではディアが心配してしまって集中出来ないだろう。僕だって、自分で自分の身ぐらい守れるのに」
「兄上は来年ルフタネンに行くんだから、ここは僕が行くべきなんだよ」
「ふたりともおやめなさい。ここはカミルに頑張ってもらいましょう」
「でも母上、あいつが危ないかもしれないですよ」
「変なことしたら殺す」
クリスお兄様、殺気漏れてます漏れてます。
「いつものクリスで安心した」
いや皇太子、そこは止めろよ。
会議が終わって城に戻ってから、私はもう一度ウィキくんを確認した。
ルフタネンに記憶を持ったままの転生者がいたのは百年以上前。
今のように島ごとに代表を決めて、家族全員と交流するようなことはその頃には行われていなくて、精霊王達は賢王と呼ばれた転生者以外の人間とはあまり接点を持たなかった。
そのため賢王を失った衝撃は大きく、人間達が精霊の大切さを忘れていくことへの怒りもあって、人間と接点を持つことをやめてしまった。
前世みたいに電話もなく、テレビもラジオもないんだよ。
東島から北島までが船で片道六時間。北島と南島なんて十時間以上かかる。
今は精霊が守ってくれるけど海にだって魔獣がいて、船旅は危険なものだった。
そしたらさ、隣の島が何をしているかなんてわからないでしょ。
同じ国だって言われてもね、関税がないことくらいしか自分達の生活に影響がないんだし、島内の住人の生活を安定させる方が大事だよ。
それではやばいというんで、前王は四つの島からそれぞれ嫁を貰うことにした。
一番権力欲があり、次期国王はうちの島の姫から生まれた子供になってほしいと騒いだのが西島だ。
正妃でなければ嫁は出さんと息巻いたらしい。
でも他の島の人達は、全く興味がなかった。
南島は南方諸国との関係が強く、一大農業地帯だ。カカオ以外にも、ここでしか栽培出来ない作物があるために生活水準が高い。
北島だって、大陸との貿易の玄関口として栄えている島だ。
いろんな国の人々が訪れ、文化的にもルフタネンで一番華やかだ。
だからむしろ、王家と関係が深くなるのは面倒だと考えていた。
なので、どうぞどうぞと正妃の地位は西島の御令嬢に譲ってしまった。
東島は王宮のある島で、王族はもともと東島の出身者だしね。
でも正妃が生んだのは姫ばかり。
その間に第二王妃である東島の王妃が、ふたりの王子を生んでしまった。
そしてようやく正妃が生んだのが第三王子。
この第三王子が優れた王子だったら、もしかしたら今頃、彼が王太子になっていたなんて未来もあったのかもしれない。
でも正妃に溺愛されて育った王子は、気位ばかり高い我儘王子だった。
正妃と第三王子にしてみれば、自分達こそが正当な王位継承者だ。
邪魔な王妃と王子は殺してしまおうと考えた。
一番若く一番最後に結婚した北島出身の第四王妃は、毒殺された。
カミルが生まれてすぐに王位継承から外されて、隠されるように王宮のはずれの屋敷に閉じ込めたのは正妃だったらしい。
それでも殺そうとした第三王子よりは、子供に手を出すのをためらうだけの分別が正妃にはあったのかもね。
第四王妃が殺害されたことで、第三王妃は身の危険を感じてサッサと南島に帰ってしまった。
でも彼女の息子である第四王子は、自分にだって国王になる権利はあるはずだと王宮に留まり、手助けしてくれない南島の貴族ではなく、協力してくれるという第三王子と手を組んだ。
馬鹿だねー。
利用されて第二王子殺害の主犯にされて、南島の貴族にも家族にも見捨てられて、ずーっと身を隠すしかなかったのに、また第三王子と合流するなんて。
もう他に、打つ手がないんだろうな。
私ね、本当はちょっとだけワクワクしている。
いけないってわかっているし、こんなこと誰にも言わないよ?
でもせっかく精霊獣を育てたのに、今までほとんど小型化で顕現させていて、本来の姿にさせてあげられなかったんだもん。
今度ばかりは本来の大きさで顕現出来るかもしれない。
それに初めての外国でしょ。
冒険に行く気分もあって、今夜は眠れないかも。
でも、これはルフタネンの問題で、モアナの問題だ。
私が手を下すことじゃないし、やれと言われてもきっと無理。
私の精霊獣に人殺しはさせたくない。
つまり、おとなしく瑠璃とカミルにくっついていればいいんでしょ?
まかせろ!
次回はクリス視点の予定です。
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