閑話 実は苦労人?
クリス視点です。
その日、僕は初めて彼女に会った。
生まれたばかりでどこもかしこも小さくて、アランが頬をつついた指を一生懸命捕まえようとしていた。
まだ薄いふわふわの髪は綺麗な金色で、大きな瞳は紫色だ。
「わあ、かわいいね。早く一緒に遊べるようになりたいなあ」
僕が言ったら、それは嬉しそうに彼女は笑ってくれたんだ。
その日から、ディアドラは僕とアランの大切なお姫様になった。
力のある者の周りには少しでもおこぼれに与ろうと、いろんなやつが近づいてくる。
自分の力だけでは上に行けない者ほど、つまらない小細工をしてくるものだ。
父上が若くして辺境伯の地位についた時には、後ろ盾になるからと近付いてきて、父上がひとりでも領地を治める判断力と決断力を持っているとわかると、今度は娘を嫁がせようとする。
あいにくとうちの両親は恋愛結婚だし、母上は侯爵家の娘で家柄も申し分なく、エーフェニア陛下と仲がいい。しかも息子をふたりも授かって、跡継ぎにも不安がない。
誰も第二夫人を娶れとは言えなかった。
そしたら次のターゲットは僕だ。
跡継ぎの嫡男と息子を友達にさせようと連れてくる大人達が、毎日のように顔を出した。
子供は嫌いだ。
じっとしていられないし、僕の話を理解出来ない。
同じことを何度も言うし、親のいう事なら間違っていても信じてしまう。
子供が駄目ならと、執事や側近にするために少し年上の青年を連れて来たり、自分が話し相手になろうとする大人もいた。
「僕のところにそんなに来るってことは、お仕事していないんですか?」
何度も顔を出す相手には冷ややかに言い、使えない執事や側近は追い返した。
子供の僕に聞かれて、まともに答えが返せないやつはいらない。
わからないなら調べればいいのに、笑ってごまかそうとする奴なんて、傍に置いておく意味がない。
三歳年下のアランはその辺は上手くて、黙って大人たちの会話を聞いて情報を得ては僕に教えてくれた。
「父上に話せばいいじゃないか」
「跡継ぎは兄上なんだから、父上と話すのは兄上がいいよ。 僕は近衛騎士団に入隊したいって言っているのに、あなたの方が跡継ぎにふさわしいってしつこい馬鹿が多くてめんどくさい」
彼は勉強は嫌いだけど頭の回転が速くて、子供達とも仲良くやっているのに大人と剣の練習をしている時の方が楽しそうだ。
「意外と腹黒い?」
「えええ? ちゃんと本人にしつこいよって言っているよ。それでも言い続ければ僕が頷くと思っているのかな」
「それくらいしかやれることがないんじゃないか?」
「はあ。仕事の出来る人は、僕達のところに来るほど暇じゃないよね」
「最近は観光に来る人が減っているって事で、父上に苦情を言う人が多いみたいだな」
父上は海軍や国境軍の運営や、貿易についてはそつなくこなしているんだけど、どうも観光業は苦手みたいだ。
女性が求める物がわからないって嘆いている。
「母上に頼めばいいのに」
「母上はエーフェニア陛下の相談に乗っていて忙しいらしい……あ、ディアドラだ」
庭園のベンチでアランと話していたら、メイドと手を繋いで散歩しているディアドラを見つけた。
三歳になったばかりだというのに、彼女の歩き方は危なげがない。
金色の髪と白いドレスが風に揺れて、大きな紫色の瞳は高価な宝石みたいだ。
大人になったらそれは美しい女性になるだろうとみんなが言っているし、僕も少し前までは妖精みたいな子だなって思っていた。
放っておいたら消えちゃいそうな透明感があるから。
でも今では、おとなしく消えるわけがないって思っている。
見た目と反して、それはもう逞しい。
それに彼女は僕と同じ。
たぶん初等教育課程どころか高等教育課程の勉強もわかるんじゃないかな。
「あ、お兄様!!」
僕とアランに気付いたディアドラは、爪先立ちになるまで右手を上に伸ばして笑顔で手を振ってくれる。会えて嬉しいって全身で表現してくれていて、腹の中で何を考えているかわからない大人とばかり接したあとだと天使に見える。
「ディアドラ、散歩?」
「そうです。運動しに訓練場に行きます!!」
「今日もディアドラが可愛い。あの笑顔が僕の癒しだ」
「兄上、疲れている?」
「訓練場ってどこだろう?」
「騎士団の訓練場だよ。ラジオ体操っていう体操を広めているんだ」
「ラジオ体操?」
なんだろう、それは。
三歳児が普及させた体操を騎士達がやっているのか?
大丈夫か、うちの騎士団。
「あ、走ると危ないよ」
アランと僕はほぼ同時に慌てて腰を浮かせた。
いくらしっかりしていたって体は三歳児だ。手足が短くて頭が大きい。
バランスが悪いから急いで走ると転ぶのに、ディアドラはすぐにそれを忘れてしまう。
頭がいいのに、そういうところは抜けている。
「あ」
転ぶ時に「キャー」なんて言う人はあまりいない。
少なくともディアドラは、いつも無言で転ぶ。
「受け身?」
え?
体術を習っているならわかるけど、あの子は受け身なんて知らないでしょ。
でも確かにそのまま前につんのめるはずのところを、右肩を内側に入れて体を捻ってくるって回転しながら背中から転んだ。
そしてそのまま起き上がるつもりだったのか、勢いがつきすぎたのか、くるくると芝生の上を転がってこちらに近づいてくる。
「アラン、笑いすぎだ」
「だって、あの子……いつも楽しい」
本当にディアドラには毎回驚かされる。
予想の斜め上を加速度をつけて走っていく。
今も、転がりながら体が淡い水色の光に包まれていたから、水の精霊が回復魔法をかけてくれたんだろう。
「回復魔法を覚える精霊は少ないのに、もう覚えたのか」
「見た? 精霊が自分でかけてくれてたよ」
指示しなくても精霊が自主的に癒してくれる。
それがどれだけ珍しい状況なのか、彼女は気付いていないんだろうな。
「また転んじゃいました」
「だから走っちゃ駄目だって言われているだろう」
「でも……」
不意にディアドラは靴を脱いでしゃがみ込んだ。
「どうしたんだい?」
「ほらやっぱり。つるつるだからだ」
彼女が自慢気に見せたのは靴底だ。
「ダナ。つるつるじゃない靴は?」
「靴の裏は確認していませんでした」
喋り方をどんなに幼い風にしてみても、転んだ原因が靴底の形状にあるって気付くだけで三歳児としておかしいんだけど、なんでそこには気付かない。
「ここに溝があるやつ欲しい」
どういう靴底なら滑りにくいかもわかっているのなら、それを知っている自分のおかしさにも気付いて。
そして普通の子供の振りをしたいのなら、僕の前でそういうずさんな隠し方をしないで。
大雑把なのかな。
それとも僕にならばれていいと思っているのかな。
どっちにしろディアドラのためだから、僕がフォローしておくけどね。
「靴底じゃなくて、ディアドラの顔が大きいから転ぶんだよ」
「ええ?!」
「アラン、女の子に顔が大きいは駄目だ。子供だから頭が大きいだけだよ」
「えええ?!」
あれ? どっちもダメ?
女の子ってむずかしいな。
ディアドラが四歳になる少し前、大きな転換期が訪れた。
いずれは来ると覚悟はしていたけれど、予想していたより早かった。
原因は精霊だ。
ディアドラの精霊だけがみんなの精霊より大きいから、理由を知っているか聞いてみたんだ。
「魔力をあげるの」
魔力が精霊の糧なのは誰でも知っている。
魔法を使ったり、運動したり、生活しているだけでも魔力は発散されるから、それを精霊は糧にしている。
「こうやってあげるの」
そう言うなり、ディアドラは自分の掌に魔力をためた。
「食べていいよ」
ふわふわと水色と赤い光の球がディアドラの掌に近づくと、見る見るうちに魔力がなくなっていく。
「発散した魔力じゃなくて、自分で魔力をあげていたのか」
真似をして僕も掌に魔力を集めて、食べていいよと精霊に言ってみた。
そうしたら、ものすごい勢いで精霊が魔力に飛びついて、あっという間に食べきってしまった。
飢えていたのかな。
もう何年もずっと一緒にいたのに放置したままだったなんて、ものすごく申し訳ない。
もっとくれというように精霊がまとわりついてきた。
こんなふうに、僕の精霊が動くのは初めてだ。
「餌をくれたから、存在を認めてくれたと思ったんですね」
相変わらず、気を抜くと普通に大人の話し方をする四歳児。
これはまずい。
しかもこの後すぐに、皆には見えなかったアランの剣精に気付いて、魔力を与えることで見えるようになると実演してしまった。
もうあまり時間がない。
皇子達に精霊がいなくて、宮廷ではかなり問題になっているんだ。
精霊の大きさといい、魔力と精霊の関係といい、彼女は間違いなく注目を浴びる。
そんなことがなくても、あの可愛さだけでも注目の的になるだろう。
だから、今更隠す必要はないよと知らせたくて、ブラッドに伝言を頼んだ。
でもそれが間違った判断だったらしい。
「ディアは最近、僕達より執事達とこそこそと何かしてるね」
アランにまで言われるほど、ディアに警戒されている。
「無理に四歳児っぽくしないでくれって言ったら、警戒された」
「なんで? ばればれだったのに?」
「本人はうまくやっているつもりだったんだろう。……だけど、知られたとして何がまずいんだろう」
「兄上は使用人達から怖がられているから、執事に何か言われたんじゃない?」
確かに何人か追い返したよ。
彼らにとっては生活や人生がかかっている仕事を、あっさりとクビにする大人ぶったガキだと思われているのかもしれない。
それでも、命じられたことだけを適当にこなす程度のやつらはいらない。
いずれ僕は爵位を継ぐんだ。
周囲に足を引っ張る可能性のあるやつを置いてはおけない。
「レックスとブラッドは優秀な奴らだから、彼らならわかっていると思ったんだけど」
「ふたりともディアを守る事しか考えていないんだ。兄上がディアに甘い事だけわかっていればいいんだよ」
「そんなにいろいろ考えられるくせに、なかなか剣精を手に入れられなくて拗ねて、ディアまで避けていたのは誰だっけ?」
「べ、別に拗ねてないし!」
体格ばかりでかくなって身長を抜かれそうな程なのに、そういうところは子供だな。
「僕の使用人評は、たぶん計算高いとか腹黒いとか容赦ないとか?」
「爵位継ぐのにそれはどうなの? 兄上は気に入ったやつとそれ以外の態度が違いすぎ!」
「最高に気に入っている実の妹に警戒されているんだけど」
「兄上を警戒しなくちゃいけない理由……なんだろう」
「あ」
もしかしてディアは爵位が欲しいのか?
あれだけ優秀な彼女なら、女辺境伯になっても問題なくやっていける。
「ええ? そんなこと考えるかな」
「だったら、あの子に譲るのに」
「あっさりと何を言っているの?!」
「別に親から爵位を譲ってもらわなくても、皇宮でいくらでも仕事ならあるだろう。宰相を目指すのもいいし、ああ、外相がいいな」
「ちょっと待った! まずはディアと話をしようよ。お互い誤解しているんだよ」
「話し合いは必要だとは思っているよ」
彼女は自分の置かれた立場を、たぶんまだ理解出来ていない。
もう彼女は国中の貴族達の注目の的だ。
「この前は着眼点と発想力が優れているって話で父上は納得してくれたけど、このまま彼女が我が道を突き進むとフォローしきれなくなる」
「父上に知られないようにするの?」
「ディアの優秀さがわかれば、どちらかの皇子に嫁ぐって話になると思う」
「それは、ディアが嫌がるよ」
嫌がると思っているのは、僕とアランぐらいだろう。
両親は忙しくて僕達ほどディアと一緒にいる時間が長くないから、あの子をお転婆な女の子くらいに思っている。
皇子と結婚していずれは皇妃になるって、普通は高位貴族の令嬢にとっては憧れだから、彼女もそうだと思っているだろう。
でも昔からのしきたりを守らなくてはいけない皇宮で、ディアがディアらしく生きていけるわけがない。
「もうひとつ気になる事があるんだ」
アランの声のトーンが変わった。
「精霊王がお姫様を自分の国に連れて行ってしまった話が、いくつか図書室にあるんだって」
まさか。
精霊王がディアを連れて行ってしまう?!
「ディアと話そう」
「うん」
僕が思っていた以上に状況が目まぐるしく変化しているらしい。
ここで間違えると、ディアから本当に敵認定されてしまうかもしれない。