第9話 吟遊詩人と虹輪舞曲
蒼い燐光がゆらめく中、戦闘開始の合図が洞窟に木霊した。声援から罵声まで、至る所で好きなように飛び交って一気にやかましくなる。うるさすぎて私は帰りたくなった。
二人組は剣と槍を構え、左右に分かれて挟撃に持ち込み、長大なラミアはゆっくり堂々と二人の間に歩を進める。
「喧嘩吹っかけた割には慎重だね」
ラミアの射程は長く、攻撃は速かった。右にいた男との距離を翼と蛇の尾で一飛び、一瞬にして詰める。相対する男は慌てて剣を横に薙いだが、それは空を切った。躱したラミアが致命の大鉈を振り下ろそうとした瞬間、男の後ろから法力の刃が走り、ラミアの胴から血が吹き出した。
お祭り気分の熱気に曇った大衆の目には法術と剣術のハイブリッドに見えたかもしれないが、私の位置からは後ろにいたグルの法術師まではっきりと見えた。私に見えたのだ。ニケに見えなかったはずはない。
斜め下を一瞥したがニケは眉一つ、瞼の一つも動かさず観戦……というより観察していた。
「そういうわけかい」
一瞬腹の出血を抑えたラミアは笑ってそう言い、また同じ男に襲い掛かった。同じタイミングで振るった男の剣を弾き、その後ろから来る法術までも叩き落としたが、同時にラミアの首も飛んでいた。法族サイドで歓声が沸き起こり、魔族サイドで罵声が飛んだ。
「勝者は勇者御一行のお二人さんだ!!」
魔族らしい蛮勇の最期だ。個性的で美しい死に方だ。私は金を持っていない言い訳をしなくて済んだ事に安堵した。
「私の勝ちだなニケ」
「うちの負けだね。でもなんで分かったの?」
最後の一撃はもう一人の男の方から似たような法術が一閃したのだが、人間の男は二人ともそれほど法術に長けた勇者には見えなかった。この賭け事は仕組まれた1対4だったと考えると合点がいく。
「ラミアの革は高値で取引されるんだ」
金銭が絡んだイカサマである事さえ見抜ければ、誰でも推論できる陳腐なシナリオだと思うのだが、法族も魔族も盛り上がればそんな事どうでもいいらしい。ニケに限って言えば、純粋に世論に疎いのだろう。
「なるほど。そういう事か」
ニケはそれだけ言って、真っ直ぐ戦場に歩き出してしまった。
「おい……」
私にはニケの考えと行動が一つも理解出来なかった。ニケが弔いや敵討ちなんて人間的な発想に至るのか、私の想像力は及ばない。
何が引き金となったのか知らないが、私は胸ポケットの光球をいつでも使える心構えで、見て見ぬ振りをする事に決めた。
「おいおい、お嬢ちゃん。また来ちゃったのかい?」
辺り全体が笑って、審判が嗜める。ニケは審判の足元に袋を放って、無表情で興味なさそうに言い放った。
「それ賭けてうちと勝負しない? 元はと言えば二対二の勝負になる筈だったんだし、二回戦に分けても問題ないでしょ?」
その袋には大量の金貨が詰まっている。優しい言葉で帰るよう勧めていた二人の勇者も、審判が手に取った金貨の枚数を見るなり目の色を変えた。
「いいけどお嬢ちゃん、ここから先は遊びじゃないよ。運悪いと死ぬかもしれないんだよ? 覚悟は出来てる?」
「覚悟はするものじゃない。死ぬまでうちの中にあり続ける、呪いみたいなものだから」
私は二人が後ろに控えるグルと目線を交わすのを確認した。ニケはラミアの頭が落ちた先へ向かい、乱雑に切られ、すっかり短くなった血まみれのロングヘアを撫でた。
「パパと同じタイプか、それでいこう」
まるで死を悼む人間の様だがそうではない。私はニケのこの術を『保存』と呼んでいる。ニケは他人の魔力を流用する。恐ろしいのは、そこに際限が見られない事だ。魔術どころか人間や妖精の法術さえ自在に吸い取り、利用する。世話焼きのミハスがそれを嬉しがって、働き蜂が蜜を蓄えるように魔力を譲渡しまくっている。
私は未だかつて、ニケ以外がこの様な術式を使用するのを見た事が無い。万華鏡みたいなニケにしか使えないのかもしれない。
表現するならば『魔法』、術の根源に最も近いニケの特権魔法だ。
「お嬢ちゃん魔族なの? 魔族なのに仇討ちなんて珍しいね」
うすら笑って勇者の一人がそう言った。いつまでも作っていられそうな笑い方、心の表出では有り得ない笑顔だった。
ニケは首の側に落ちていた大鉈を拾い上げた。法と魔、両サイドから嘆声が起こる。それは背の低いニケが持つと、身長の倍以上の長さがあった。
「お嬢ちゃん、一人でいいの? 一対二だけど?」
ニケがこっちを見たので私は咄嗟に帽子で顔を隠し、行きたくないとサインを送ろうとした。だが両手が塞がっているので、仕方なく首を横に振る。それも顔の高さまである荷物のタワーが隠してしまった。その動きはさぞ滑稽だったろう。
「あの人、あの黒い服の人が一緒に戦ってくれる」
全員の視線が私に集まるのを感じて、私は今すぐこの場を立ち去りたかったが、ミハスの睨む顔が思い出されてそうもいかなかった。私はニケに文句を言うため、仕方なく荷物を持ったまま中央まで歩み出た。ニケはなぜか嬉しそうだ。
「面倒を起こすのは構わないが、私を巻き込むな」
「いいじゃん、ケチケチした男はモテないよ?」
「一人で十分だろう」
「恋人同士ってのはいつだって側にいたいものなんだよ?」
私はニケの恋人じゃない。そう言おうかとも思ったが、私は黙ってニケの荷物を降ろし、その上に座った。
「側にはいてやる。あとは好きにしろ」
「もしかして怒ってる?」
「別に怒ってはいない」
私は何かに対して激しく、本物の怒りをぶつけた事があるだろうか? 二千年来、激情らしい思いを燃え上がらせた記憶さえ心当たりがない。私は……空っぽだ。
「座ってていいから、そこで曲でも弾いててよ」
「こんなやかましい場所では弾けない」
審判が戦闘開始の合図を叫ぶ。
「それなら大丈夫」。野次と歓声に掻き消されそうなニケの言葉を、私だけは確かに聞いた。「今から静かになるから」
私は背負った楽器を構え、ニケをイメージして曲を奏でた。ニケという少女、人間のような魔族。嘘偽りなく魔の中の魔でありながら、どの魔族よりも人間を思わせる少女。男勝りだったり少女趣味だったり、明るかったり暗かったり……
ニケは透き通って輝き、変り続ける極彩色の万華鏡だ。それを美しく奏でるのは難しかったが、静まる青い世界で作る音は洞穴に心地よく反響し、私の中を勝手に流れ始めた。イメージは次第に私を超えて大きく広がり、たった一つの楽器ではとても表現しきれないメロディーが溢れてくる。
こんな時の曲は大抵できが良い。
「いつもより……少しだけ悲しくない曲だったね」
気がつけば静寂の中、返り血に染まったニケが私を見ていた。その余韻が褒め言葉の様に私に染み入る。
「お前をイメージした曲だ」
「悪くないね。今度みんなの前で弾いてよ」
「いいだろう」
私はそれが褒め言葉になり得ない事を分析した。今のニケは誰よりも無感動で、それでいて泣きそうな顔をしている。私が弾いた曲の中に、今のニケはいなかったような気がする。
そして次の瞬間にはもうニケは全力で笑っていた。心の底から湧き上がる一瞬の笑顔、美しい笑顔だ。
「よし、ホテル行こっか。金はどっさり溜まったし! とりあえずシャワー浴びたい!」
「そうしよう」
私たちは勇者の屍の横を通り、魔族のあっけに取られる表情と人間の忌避の目を通り抜けて、まっすぐホテルに向かった。死体は四人分転がっていた。
ホテルが上等なためか料理も豪奢だった。こんなホテルを取るのに服は露店で買うのは不思議だが、やはりニケらしいのかもしれない。
「なぜ戦ったんだ?」
この席に酒が乗らない事を惜しみながら、ニケに聞いてみた。ニケは肉料理を追加注文しているところだった。
「なんの話?」
「さっきの話だ。ラミアが殺された後」
私は周りの視線や耳など気にしていなかったが、ニケは不意に顔を寄せて小声になる。
「魔王が勇者と戦わないでどうすんのさ」
「体裁を気にしていたのか?」
「うーん……魔族の体裁ってのも少しはあったのかもね。プライド? みたいな」
「主な理由ではないのだな」
「そんなのいちいち聞かれても分からないよ。その場のノリってあるじゃん」
私が答えないうちに大きな魔獣の肉が運ばれ、それを見たニケの目が輝いた。結局、私はそれ以上深い事を聞かなかった。
「それはそうと、良かったのか?」
「何が?」
ニケは肉にかぶりつく。
「恋人探し、もう難しいかもしれないぞ」
「……完全に忘れてた」
買い物も食事も満喫したニケの表情は、さして残念そうでもなかった。