第8話 吟遊詩人と酒蔵窟街
話を聞くなりミハスはすっ飛んで来て私に詰め寄った。
「なんでそういう話になんねん!?」
「ニケに聞いてくれ」
「ちょ、マジで今日行くんか? 急すぎん? 明日じゃ駄目なん?」
「私に聞かないでニケに聞け」
「ニケ様、一度言い出したらアタシ等が何言ったって聞きゃあしないんだから」
ニケは上意下達な王ではない。私はニケに対して横柄なイメージはあまり抱いていないが、時折見せる子供っぽい頑固さは最上級の物理魔術でも壊せない。
「私が聞けばいいのか?」
「やんわりやで、やんわり。それとなく止めて来てや」
言われた通り、それとなくニケの旅の延期を促すために私はまたピンクのドアを叩いた。叩きながら、なぜ私というクッションをいちいち挟まなければいけないのか、煩わしく思う。
ニケはサングラスに帽子を着合わせ、姿見を覗き込んでいた。
「旅の話だが、性急過ぎないか? ミハス達に相談してからにしてはどうだ?」
「ねえ、これどう? 変じゃない?」
服装に対する感想を求めている事に気づくまで少し時間がかかった。ニケの容姿に関して、実際にその姿を見た法族はほとんどいない。私は人間らしい変装をする意味が理解出来なかった。
「逆に目立ちそうだ」
「目立つのはいいんだよ。可愛いかどうか!」
「ならばその大きな目を隠しては勿体ない」
ニケはサングラスを取り、両手で帽子を抑えてまっすぐに私を見る。
「角は、やっぱり可愛くない?」
ニケは昔から自分の小さな二本角が好きでは無いらしい。幼い頃に自ら切り落とそうとして流血し、ヴォルゴーやミハスが大騒ぎする事件があった。
「それは個性だ。ニケはニケだから美しい。余計に手を加えれば蛇足になるし、切ったり隠したりすれば足りなくなる」
音楽も同じだ。私は本当に素晴らしい楽譜からは一つの音も加減したくない。それをした途端に音楽の中にある何か、楽譜の深淵にいる誰かがバラバラになってしまう。
ニケは素直に帽子を取って、リュックを背負った。少なくとも私の意見は聞く事の方が多い様に思う。
「よっし。じゃ行こうか」
「準備は済んだのか?」
「うん」
外に出て正面に立っているミハスに睨まれて、私はようやく本旨を聞き忘れた事を思い出した。ミハスはニケに駆け寄り、直接説得にかかる。
「ニケ様もうちょい考えてからじゃ駄目なん? 四天王も今アタシしかここにおらんで、正直心配やねん」
「ちょっとの間だけだよ。それに何か用事があるならミハスが呼びに来ればいいじゃん。なんのための時空魔術さ」
「そらこっちは大丈夫かもしれんけど、ニケ様の身に何かあるかも分からんやろ?」
「大丈夫だって! それにガジョウは戦闘禁止なんでしょ?」
「そんなん魔王が直接来たら反故に決まってるやろ! って言うかあそこのルールなんてカタチだけで……」
こんなやりとりがしばらく続いたのだが、有り体に言えば取りつく島もなかった。諦めたミハスは最後の念押しに私を呼びつけた。
「マジで頼むで。何かあったらすぐあれ使うてや」
「あれ?」
「クラインが渡した玉や! アタシの魔術が入っとる。潰せば空間に小さな穴が開いてすぐアタシに分かるから」
「分かった」
遠くからニケが駆け寄って来たので、私はその球体を胸にしまった。
「はいはい内緒話はそこまで、早く行くよ」
「宿まではアタシが案内……」
「いいって、ついてくんな!」
それ以上ミハスは何も言わなかったが、送り出し、ゲートに消える瞬間まで、目と口は私に何か言いたそうだった。
遠い場所を訪れるならミハスの魔術は本当に便利だ。時間がいくらでもあるとはいえ、長旅が億劫になる時もある。特にガジョウは辺鄙で陸路も悪いため、歩いて辿るのは億劫だったりする。ミハスは人の少ない裏手の入り口、街を一望できる場所までゲートを通してくれていた。
「ここがガジョウ……キレーな街」
ニケは街を一望するなり手放しに讃えた。私はこの街が好きでは無いが、ガジョウの風景は掛け値なしに綺麗だ。
薄いブルーのクリスタルの下に出来た巨大な洞穴を利用した街なので、日の光は全て青く染まり、街全体を淡く水中の様に優しく包む。そこに人の民家と橋、魔物の洞窟、共用の水路などが入り組み、複雑な三次元の街並みを構成する。
一年中気温と風通しが安定し、清らかな水が手に入るため、酒造りにはこの環境が至適なのだそうだ。
「どこへ行く?」
「居酒屋には早いよ、ダメだよ」
ニケは見かけと平素の態度に依らず、鋭い。もしかしたら私の目論見など全て知っているのかもしれない。
「この街は禁酒だ。酒は街の外に出ないと飲めない」
「そうなの?」
その時、魚類の顔をした魔族が私とニケの前を横切った。私たちを一瞥してから、何か思い出した様にさらに二度こっちを見て、最後には走り去った。
「ニ……君は変装した方がいいかもしれないな」
人は詳しくなくとも、高位の魔族がニケの顔を知っているかもしれない。よくよく考えれば魔族がニケを襲わない保証はどこにもないのだ。
「うち服買いたい。人間の!」
助言を無視してそう言い、ホテルだけ飛び入りでチェックインを済ませ、ニケは意気揚々と街へ繰り出した。大きめの立派な呉服屋の窓を覗きながら歩いていたが、やがて靴から帽子、鎧から剣、魔石から日用雑貨までが立ち並ぶ露店街を見てニケは立ち止まった。
「他に上等な店がいくらでもあると思うが」
「あそこがいい。この雑多な感じが素敵」
それから私はしばらくニケの買い物に付き合わされた。と言えば聞こえ良いが、私に似合わない大量の荷物を持たされ、苦労した。
「重い」
「いいホテル取って上げたんだから、そんくらい我慢しなよ」
その時だった。露店の遠く、食品街の方から叫び声がいくつか響いて来た。
「取り敢えずホテルに荷物を置きに……」
「何かな。行ってみよ!」
言いながら既に走り出していたので、私はニケにかなり遅れて、両手いっぱい顔まで隠れる箱の山を携え声の方へ着いた。見れば通りに丸く人集りができ、中央では魔族と人間が一対二で向かい合っていた。人が多すぎて、背の低いニケは見つからない。
いかにも気の強そうな魔族、大鉈を担いだかなり大柄な蛇女、黒い翼のラミアが啖呵を切った。
「広場がいいや、ここは狭い。お前さん方、減らず口と一緒で断末魔もうるさそうだからね」
相対する二人の人間は、風貌からして二人とも勇者業の男らしい。
勇者という職業ほど曖昧な仕事も他にない。多くの場合ギルドに登録して優秀な功績を残し武勇に優れ、魔族を討伐したり打倒魔王の旅をしているが、明確な定義は無い。
中には勇者の名前を笠に着ただけのならず者や盗賊まがいの者も少なくない。彼らはどうだろうか?
「人の財布スっといて太々しい姉ちゃんだな。どこでもいいぜ、元さえ取れりゃあ」
『会話の巧妙さと戦闘の実力』に関する私の理論が正しければ、大した実力では無いのかもしれない。二対一で笑っている状況を鑑みれば、あながち的外れとも思えない。
「本当に聞き分けのねぇ勇者様だ。売った喧嘩がどれだけ高くつくか、教えてあげるよ」
賭場の成立に歓声が上がった。
これがガジョウの実態だ。『戦闘禁止』とは『大きな戦闘への発展禁止』を意味し、小さな衝突はむしろ奨励されているとさえ思える節がある。大抵は人間と魔族だが、時には同族通しでさえ言い争い、殺し合いに発展する事も珍しくない。
どうにもガジョウという街で様々な種族、形の違う無数の歯車がスムーズに噛み合うためには、こう言った潤滑油が大量に必要になる。私がガジョウを嫌いな理由はここだ。以前同じような目に逢い、曲を弾いていたらありもしない場所代を請求された。
私は目立つのが嫌いだ。それが演奏中で無い限り。
広間に流れる人混みの中で私はニケを探したが、名前を呼ぶわけにも行かず、探し出せなかった。
広場に着く頃には魔族サイド、人間サイドに分かれてちゃっかり段取りに入っているところだった。生死の分け目に至って、賭け事がフェアな勝負と治安の安定を招くのだから不思議なものだ。要は酒さえ無事なら万事問題無いらしい。手慣れた所作で取り持ちの老人が中央で審判に入る。
「ラミアの姉ちゃん、一人でいいのかい?」
「十分だよ。二人まとめて片手だって構いやしねえさ」
「はいはーい! うちが助っ人やるー!」
ニケがいた。どこで着替えたのか人間の少女らしい格好をして、広場の真ん中で右手を指先までピンと伸ばして背伸びしている。私は気が滅入って思わず顔を覆いたくなったが、ニケの荷物で両手が塞がっていた。ラミアは一瞬キョトンとしてからニケを担ぎ上げ、客席に向かう。
「ちょっとぉ?」
「お嬢ちゃん人……いや、魔族か。相当な魔力隠してるみたいだけど、一人で十分だから、良い子は横で見学見学」
都合の良い事にラミアはニケを私のすぐ側に降ろして中央に戻る。ニケは残念そうに舌打ちをした。
「面白そうだったのになぁ」
「面倒事は勘弁してくれ」
ニケは言葉こそ多彩だが、大抵の物事にはクレバーで達観している。興味本位で動くが、興味以上の感情ではあまり動かない。ややもすると、興味さえ向けば死んでも構わないような節を時折垣間見る。
「ねぇ? どっちが勝つと思う? うちは断然あのラミア」
「酒でも賭けるか?」
「人間に賭けるの?」
「ああ。私は人間に賭ける」
ふと懐の高を思い返して、そういえばガジョウの高い酒を一本買うだけの余力が無い事に気づく。
「見る目無いなぁ」
「見る目の勝負になるか、想像力の勝負になるか。これはそういう賭けだ」
「ん? どういう事?」
「見ていれば分かる」
ともかく、勝負が始まった。