第7話 吟遊詩人と少女魔王
ゲートを潜るとニケの家はもう目前だった。魔界樹の紅く巨大な葉に透かされ、辺り全体が赤黒い。魔界樹は魔界そのものを形成する巨大な樹だ。すべての魔力の根源的な供給源だと信じられており、魔界樹に近いほど植物は鮮やかな赤色を帯びる。
その正反対の位置、魔界樹から最も遠い位置に世界樹が鎮座し、莫大な法力によって大地や山々を青く染め上げ、全く違う二つの世界を創り出している。二つとも私も知らない遥かな昔から高く聳え、山よりも上空からただ世界を見下ろしている。
巨大な枝の上に足を踏み出すと、後ろからゲートを抜けてきたミハスに耳打ちされた。
「ニケ様ようこんな秘密の相談とかせぇへんから。大丈夫そなら後で内容教えてや」
「わかった。話していいかニケに聞いてみよう」
「いやいや、それじゃなんの意味あらへんやろ」
私は意味が分からず首を傾げた。
「……まあええわ。聞いといてや」
ヴォルゴーは歴代の魔王が好んだ城、黒と赤の水晶で出来た薄暗い要塞に住んでいた。シェラハとの戦いのあと再建されたそこをニケは『可愛くない、暗い、趣味が悪い』と一蹴。魔界樹の中腹あたりにピンクの家を建てて住んでいる。
この住まいの方が禍々しいと思うのは私だけだろうか? ともかくピンクのドアをノックすると「どうぞー」と軽い返事があった。
「なんの用だ、ニケ」
「あ、やっと来た。全然顔出さないんだから」
小魔王はソファーに寝そべっていた。ファーの付いたピンクのスリッパ、ファーの付いたピンクで水玉模様のパジャマ、ファーの付いたピンクの帽子……統一感はある。
「二年ぶりくらいか」
「七年だね。お菓子食べる?」
「いらない」
断ったのにニケはいつもの退屈そうな声で袋菓子を差し出した。
「君ってさ、いつまで経っても不愛想だよね」
「そういう性分なんだ」
褐色の肌、短い真紅の髪、大きく赤い瞳……どこかヴォルゴーの面影があるのだが、人間的で愛くるしい顔立ちが女性……というより少女としてのニケを引き立てている。背は低く、私の胸くらいしかない。一概に言えば強そうには見えないタイプだ。
頭の回転が速いせいか、性格なのか、時折会話の前後が噛み合わない事がある。
「ずっと旅をしてたんでしょ? どんなところ行ってた? 素敵な場所はあった?」
「色々だ。景色も色々だ」
「うちも世界中を旅したいなー」
ミハスなら何処へでも連れて行ってくれるだろう、とは言えなかった。過干渉で心配性なミハスがおいそれと外出を許さない可能性は高い。
私はニケが用件を切り出すのをしばらく黙って待った。ニケは急ぐ様子もなく、食べきった袋をゴミ箱に投げ捨て、棚を指差す。
「あ、そこの黄色いお菓子とって」
私は指示通りに黄色い菓子の袋を取った。王都レラの大手製菓会社で大量生産されているものだ。彼女は人間の文化を嗜む。私はよくそれを歌うのだが、誰も笑ってくれないし、信じてくれない。
「ありがと、これは? やっぱ食べない?」
「……頂こう」
私は社交辞令としてそれを一枚食べてみた。薄くスライスした根菜を揚げた菓子なのだが、油と塩の味しかしない。
「酒を飲みたくなる味だ」
「おぉ、いいね。一杯やる?」
「頂こう」
「とりあえずどこか座ったら?」
私が歴代の魔王から得た主な見返りと言えば酒くらいのものだ。もっとも、大した仕事はしていないので十分な報酬と言える。
ヴォルゴーは大量の酒をがぶがぶ飲んだ。ニケは『量より質』と言い、ちびちび飲む。
私が絨毯に胡座をかくと、ニケは酒で有名な街『ガジョウ』でも飛び切りの果実酒を出してくれた。杯まで竜の透明な鱗を削った逸品で口が広く、どこから見ても程よい塩梅のグラスだった。
「かんぱーい!」
ガジョウという街は面白い。この街は唯一魔族と法族が共存、共生する。歴代魔王の取り決めでこの町の周辺では争ってはいけない事になっている。その代わり、すべての酒蔵から毎年決まった割合の酒を魔王に献上する。それが奇妙なほど釣り合いの取れたバランスらしく、長い間その仕来りは機能し、魔族と人間の文化が入り乱れる摩訶不思議な町になった。ユニークなのはその町で飲酒が禁じられている事だ。酔って争いの種を生まない様そんなルールがいつしか生まれた。
「うむ。美味い」
「ねえお土産とかないの?」
私はバッグをひっくり返して揺すってみた。木材、糸、ニス、ナイフ、空き瓶、メモ帳にペンなど出てきたが、ニケの喜びそうなものは皆無だった。
「これゴミ袋?」
「失礼な。生活必需品だ」
それから少し他愛もない会話をしたが、ニケは一向に用件を切り出す様子がない。私は痺れを切らした。
「それで、わざわざ呼び出して何をして欲しいんだ?」
私は私にしか頼めない仕事というものが想像できなかった。ニケは切り出すのを何故か少しためらってから、勢いをつけて切り出した。
「あのさ、うちの恋人になってよ」
「は?」
魔族もいろいろだ。殊、ニケほど魔力が高くなると多少の異常性を持っていない方がおかしい。だがニケは知性と好奇心が人間に寄って、返って平凡な印象を受ける。
「恋人だよ、ボーイフレンド」
「それは分かるが、なぜ私なんだ?」
こんな浮かない顔をした、悲しいメロディーしか知らない、魔族とも人間ともつかない吟遊詩人を魔王が見初める理由なんて、私には一つも思い浮かばない。
「魔族なんて見飽きてるしさ、うち乱暴で粗雑な相手は嫌なんだよねー。それになんて言うか……顔が好みじゃないって言うか」
「私のような顔が好みなのか?」
「いや別にそうは言ってないでしょ。あいつらよりはマシかな、ってだけだよ、勘違いすんな!」
私は酒を呷った。甘すぎず、深みがあり、香り高い。これ以上は望めない極上の味だ。洞窟と露店と水路と橋が複雑に入り組んだガジョウの街並みを思い出して、久しぶりに行きたくなった。
「竜族や妖精、獣人は違うのか?」
「論外だよ論外。身の丈が合わないと、やっぱ……ね?」
確かに竜と獣は大きく、妖精では小さいかもしれない。
「では人間は?」
「人間や精霊なんかここで生きてけないじゃん」
最後に一人、クラインを思い浮かべたが、なんとなく聞かなかった。
「消去法か」
「ってかなんだよ。うちのどこが駄目なの? もう子供だって作れるよ?」
私に子を作る能力があるのだろうか? 想像した事もなかったが、たぶん無い様な気がする。
「興味が無いだけだ」
「じゃあお酒あげない」
ニケは瓶を取り上げて、そのまま飲み始めた。私は励ます台詞を探った。
「勇者が来るのを待てばいい。勇者ほどの法力があればここでもデートくらい出来るだろう」
「だってそれうちを殺しに来るんでしょ? そんな人と恋愛できると思う?」
私は恋愛をした事が一度も無いのでよく分からない。ニケは恋愛にせよ相談にせよ、相手を間違えたと言わざるを得ない。私はまたガジョウの街並みを想像し、杯を掲げた。ニケはそれに酒を注いでくれる。
「そんなに恋愛がしたければニケがここを出て行けばいい。例えばこの酒を造る街、ガジョウなら魔族も人も獣人もたくさんいる」
ニケは答えなかった。答えないまま酒を注ぎ続け、溢れた。
「おいニケ、溢れている」
ニケはようやく気付いてビンを立てた。
「それだよ! ねっ、一緒にガジョウ行こっ?」
「私がついて行く必要があるのか?」
「だってうちガジョウの事とか詳しくないし……四天王は……ああ、今はたぶん三天王になっちゃったけど、あいつらは多分顔が割れてるし」
「一人はどうした?」
「遣いに出したダンゲーテが戻って来ないんだよね。シェラハの血を濃く受け継いだ子孫がいるらしくて、そいつを見てくるようお願いしたんだけど。絶対戦うな、って言っといたんだけどな」
ダンゲーテは四天王の中で最も血の気の多い、強さにしか興味がないような男だ。牛の様な巨体に二つの頭、ヘビとトカゲの様な頭がついていて、それぞれ別々に喋る。
「ダンゲーテが試したくなる、強い相手だったのだろう」
「うちね、その人が背が高くて強くて、かっこよくて優しい人かどうか知りたかったんだけなんだ」
自分の父親を殺した相手の子孫に恋をしようと試みるあたりは魔族らしい。
「そこに行けばいいだろう」
「でもさ、今さら『部下が殺そうとしたのに、興味本位で会いに来ました』なんて言いにくいじゃん?」
人間に気を使ったりする様子はさながら人間だ……ニケという少女は万華鏡に似ている。中にある世界を様々に変化させながら、いつも美しく見せる。
「ならダンゲーテなんか送るべきではなかったな」
「いいのいいの。強いって事は証明されたから。ってかそんな事はどーでもいいんだよ! ねね、ガジョウ行こ?」
おそらく断ったところで、どうせ後からミハスに拉致され連行される。それに私の利害とも一致する。上手くいけばニケの金で酒が飲めるかもしれない。
「いいだろう」
「ホント!? 絶対約束だよ?」
行動派のニケは急いで準備を済ませ、その日のうちに出発する事になった。