第5話 吟遊詩人と鏖指揮官
「こんな無口な男を相手にしても楽しくないと思うぞ」
「聞き手なんてものは聞くだけでいいのさ。酒場のカウンターで一人でブツブツ言っていたら変な奴に思われるだろう」
なるほど、一人で弾く事と一人で語る事の違いは『第三者の印象』かもしれない。クラインは私の意向など気にする様子もなく城門の石畳へ長い足を繰り出した。彼に歩幅を合わせると自然と早足になる。
「またたくさん殺してきたのか」
クラインの言う『一仕事』は大抵それだ。少し黙って歩いてから彼は答えた。
「寒い所だった。俺は寒いのは嫌いだとつくづく思い知らされたよ。暑い方がまだマシだ」
「私は暑いのも寒いのも嫌いだ」
今日のクラインは受け答えがよほど面倒なのか、間をおいて喋る。大通りに入ると橙色の灯りが至る所に浮かび、往来が多かった。
「お前に好きなものなんかあるのか? 音楽以外で」
「音楽を好き嫌いで考えた事はない。静かな場所は好きだ」
それからまたしばらく黙って歩いて、クラインは裏路地の二階にあるバーの立て看板を探し当てた。実のところ、私の話なんか聞きたくないのかもしれない。
「ここがいい、静かそうだ」
書かれたメニューはどれも高級そうだったが、クラインは気にする様子もなく階段を昇るので私はそれに続いた。店内は狭いが、青白い光が揺らめき海の様で、調度品も品質の良さそうなものばかり目に付いた。客はカウンターに二人とテーブルに一組だけで、私とクラインは他の客から最も遠いテーブル席に腰を下ろした。
「お前も好きなものを頼め」
クラインはメニューを手に取り、小柄な獣人の店員が来るなり手際よく料理とカクテルを注文した。私は強くて辛い酒だけを頼み、二人とも酒が来るとしばらく黙って飲んでいたが、やがてメニューが運ばれて来たが、それはフルーツの盛り合わせだった。
「甘いものが好きなのか。意外だ」
「ああ。疲れた時は特に、な」
それだけ言って食べ始めたクラインのもとに追加された3皿はすべてデザートだったので、私は塩気の多そうな物を追加で注文した。その際、クラインは店員に砂糖を持ってくるよう言いつけた。
「クラインでも疲れる事があるのか」
「疲れない仕事なんかこの世に存在しない」
私は疲労、疲弊したと感じた事が無い。そう言おうとしてやめた。私は仕事なんかした事がないのかもしれない。話を聞くだけでいいと言っていたクラインも黙々と食べるだけだった。
その間に離れたテーブル席の精霊の女二人組みの会話が聞こえてきた。
「全滅? マジッ!? 冬の都って警備少なかったの?」
「都市なんだからたくさんいるでしょ? 酷かったらしいよ。しかもかなり計画的な奇襲だって」
私の目線の先だったのでクラインを避けてそれとなく見やると、装飾品をジャラジャラつけたミーハーそうな精霊だった。
「最近多いね」
「全部同一犯じゃないかって噂もある。専門家の話だと、こんなにすごい……」
「指揮官? 策略家?」
「そうそう、そういうのがこんなにたくさんいるはず無いって」
「それも彼氏からの情報? 彼は大丈夫?」
「あいつはレラの常駐警備だから……」
「人員不足で異動とかあるかもよ」
それっきり、話は男の話題にシフトしていった。クラインは二杯目のカクテルに砂糖を入れてかき混ぜている。
「上首尾だったらしいな」
「実際は手薄になったところを狙った。そうでなくともお粗末な布陣が続いていた」
「まるで死神だな」
「それは嫌味か? むしろ……」
クラインの目が鋭くキツく私を睨んで何か言おうと口を開いた瞬間、外から叫び声がした。
「ケルだッ!」
窓際の精霊二人はそれを聞くなり飛び上がり、カウンターに金を放って逃げ出した。私も窓から身を乗り出し大通りを覗くと、青い夜には暗すぎる塊がもぞもぞと動くのが見えた。クラインの仕業かと思い彼を見返したが、彼は不愉快そうな顔をしていた。
「俺なわけがないだろう。そもそもケルなんて自然災害、誰かに扱える代物じゃない」
ケルとは全ての種族、生命から疎まれ避けられ敬遠される存在だ。諸説あるが、一般には生き物が死よりも根深く、混沌の深淵に囚われた時に発生すると言われている。なにせ触る事も出来ないので調べる手立てがない。クラインの言う通り通り魔的な自然災害だ。
もう一度外を眺めると誰かが暗闇に飲まれていた。何か叫んでいる人影はよくよく見ると、昼間の行商の老婆だった。
「ケルの底ではなさそうだ。すぐに消えるだろう」
「俺は運が悪い。前回レラに来た時もケルが発生した……ちょうど去年だったか」
ごく稀に、長期間に渡り大規模な災害をもたらす『ケルの底』と呼ばれる特異点的なケルが発生する事がある。『ケル』とは古の言葉で『深淵』という意味を持つので、ケルの底とはつまり深淵の深淵、闇の中の闇という意味合いだ。私は時々疑問に思うのだが、それはただの死ではないだろうか?
クラインは立ち上がって入り口へ歩き出した。バーテンも客もとっくにいなくなっていた。
「どこへ行く」
「ケルを見に。使いこなすヒントが無いとも限らないだろう」
私も付いていった。ケルは街灯が明るいレラの夜道において一際暗い闇だった。闇は触手を伸ばし、火花のように飛び散り、触れる物は全て無くなってしまう。
「お前ならこの風景をどう表現する?」
「さあ」
どう表現していいか分からなかった。この世界の欠陥、そんな感じだ。
「無限の虚無、とでも表現すべきか。美しい」
「欠陥だ」
次の瞬間、飛び散る闇に飲まれ私の腕が無くなっていた。無い腕を見てこれなら死ねるのかどうかを考えていた。クラインは私を気遣う様子も、自分の身を案じる様子もなかった。
「ではやはり使えそうもないな。無限の欠陥を、有限のものが制御しきれる筈もない」
私は黙って闇を眺めていた。蠢くそれは綺麗でも美的でもなく、無限とも永遠とも思えなかった。
「私はそろそろ失礼する」
「そういえば、ミハスがお前を探していたぞ」
「ミハスが? 何の用事で」
ミハスは四天王の一人で、時空系の魔術士として伝説的に有名な女だ。シェラハとヴォルゴーの戦闘からニケを逃したのもミハスだ。
「知らん。どうせまたニケ絡みの下らない用事だろう」
「機会があれば立ち寄ろう」
とは言ったものの、ここからニケの暮らす魔界樹まで歩くとなると、かなりの時間と労力だ。私はすでに億劫になっていた。
「急ぎの用事だと言っていたが、どうせお前は行かないのだろう。式典まではレラにいるのか?」
「そのつもりだが」
「では俺が魔界まで特急で使いを遣るから迎えを待て」
断る権利は私にはないのだろうか。断っても強引に拉致されそうな気がした。
「どこで待てばいい」
「これを持っていろ」
クラインは新品のようなスラックスから無造作に小さな白い光の玉を引き抜いて私に押し付けた。魔術や法術を閉じ込めた道具だ。
私がそれを手に取り歩き出すとクラインは世界樹の方を眺めながら独り言のように呟いた。
「俺も都会は嫌いだ。煩くて、いつも仕事を想起させられる。それに星が少ない」
私は空を見た。青い輝きは夜でも眩しく、月以外は遠くにいくつかの星が見えるだけだった。