第38話 吟遊詩人の幻想曲
出発の朝、私は三人の墓に挨拶をした。
「世界を変えられるかは分からない。ただ努力はしてみよう、シェラハ」
彼女に餞別はいらない。すでに両手では抱えきれない程の花束に囲まれているのだから。墓石を覆う苔でさえ、彼女は愛おしく思うはずだ。
「いつか花園で茶を飲みたいと言っていたろう、ニケ。お前そっくりの赤い、最高の茶だ」
ニケの墓には風味も味も素晴らしい自信作の茶を撒いた。割合丈夫で小さなこの木は暖かい地域なら広く根付くに違いない。魔の名残か、緑の茶葉は発酵させると赤く発色し、味も不思議なほど別物になった。
「行って来る。私もコトルの言った、世代を紡ぐ糸になろう」
コトルの墓には酒を蒔いた。酒に弱いコトルが泥酔したらどうなるか、見てみたくなったからだ。この酒の原料となった植物は暑さと乾燥に強い。大きな葉からは甘い樹脂が採れ、発酵させれば酒に適していた。
「アンタだけじゃ運べんやろ、その量」
種の大量に詰まった袋を持ち上げた時、その懐かしい声に振り向くと、もう何年会っていないかと、急に歳月の隔たりを思い返した。ミハスは太い木の上で寝そべっていた。
「ミハス、私に近づくな。私の近くにいるだけでミハスは死んでしまう」
「アホか。何年アンタと付き合うとると思うてんねん」
言われてようやく古い思考が回転、回想を始めた。ミハスはヴォルゴーの頃から私に何度も会ってるのに死んでいない。そういえば、ニケが死んだというのにここを訪ねもしなかった。
「ミハス、お前は何者なんだ」
「まだ気づいてへんのかいな。この透き通った白い羽。白く美しい体。答えは一つやろ」
最近、茶用の木の葉を食べ尽くして私を困らせている虫がふと思い浮かんだ。
「蛾の亜種だ」
ミハスが木からずり落ちる。私はそれを見て笑った。
「喧嘩売っとるんかいな。天使や天使! 覚えとき、白い肌に白い羽なんて神様の使いそのものやろ!」
「なるほど、それは盲点だった」
「アンタ。変わったなぁ」
「時間が惜しいんだ。暇なら手伝ってくれ」
種や苗を小分けに詰める私をミハスはしばらく屋根から眺め、肩肘を枕に休んでいたが、しばらくすると重い腰を上げた。
「そんなんじゃ埒あかんて、よう見とき」
私には聞こえない音で合図すると、荒野の楽園に虫たちが集まり、草花の花粉や種子に群がり始めた。これならば効率がいい。
「ミハス、やはりお前は昆虫の……」
「それ以上言うと殴るからな」
私はまた笑った。笑うとはこんなに簡単で、分析の必要もないほど単純なものだったのか。それが馬鹿馬鹿しくて、私はまた笑ってしまった。
「しかし、重い樹木の種はやはり持ち運んで撒かないといけない。それに寒い地域で育つ木も作らなければいけない。私は旅に出る」
「アタシも手伝ったるわ」
「天使が死神の手伝いなんかしていて大丈夫なのか?」
ミハスも笑顔だった。
「今のアンタはもう死神なんかとちゃう。なんたってアンタの手助けするのがアタシの役目なんやから」
「それは助かる」
私とミハスは語るに尽くせないほど永い旅をした。魔界樹と世界樹の合間、魔と法の通わない大地と海を横切り、その風土気候に見合う植物を探しながら、幾星霜もの歳月を楽しんだ。
緑の植物が繁栄すれば魔界樹や世界樹、それに属するものが排他されてしまうかもしれない。だが不思議と恐怖はなかった。
いつか私たちの子供、私と勇者と魔王の子供達が世界を変える日が来るのが待ち遠しくて、楽しみで、未来を託したくて、私の笑顔は絶えなかった。
赤いレンガとそれを覆う緑の蔦、青い空を覆う深緑の木々、素朴ではあるが色に富むこの田舎町が私は好きだ。
「おじさん一人っきり? すっごく演奏上手いね」
「友達なら世界中にいる」
町行く少女が私に笑いかける。少女が今踏んでいる芝生も私の友人だ。
私は気を良くして手にした金管楽器を吹いてみせた。音は風に乗って、坂道を駆け降りる。
「すごい……どうやったらそんなに上手く吹けるの?」
「音楽は好きか?」
私たちの撒いた緑の植物によって、世界樹と魔界樹は雪と氷になり魔と法はなくなってしまった。様々な種族が変貌を遂げたが、人はあまり変わらない。いつかどこかで似たような会話をした気がした。
「もちろん! 私、交響楽団でプロの奏者になるのが夢なんだもん!」
「ならばそのうち上手くなるさ。大事なのは無関心でいない事、無感動でいない事だ」
それが最初の一歩目だ。私にとっては最後の一歩になってしまった。
「その楽器わたしのラッパにそっくりだね。ほら!」
そう言って少女が見せてくれた楽器は、確かに私が昔作ったプロトタイプに酷似……というより、コピー品にしか見えなかった。
「きっと兄弟か親子なんだな」
「でもそんな曲吹いてると鉱夫がお酒持ってくるから気をつけてね。あの呑んだくれども、楽しそうな音と美味しい匂いには目がないの。仕事ほっぽらかして宴会始めるんだから」
坂道、炭鉱、田舎町……あたりを見渡せば、ここは以前ディケティアと呼ばれていた場所だ。同じ場所でした昔の会話が急に思い出された。アニスティともこんな話をしていたっけ。
「楽しそうだろう」
「うん、すっごく!」
「では次は少し悲しい歌にしよう。これなら鉱夫も寄りつかない」
私は背負っていた弦楽器に持ち替え、鳴らして音を調整した。
「いい音色……名前は?」
「リュートだ」
「なんだか半分に切った梨みたいね」
私の名前を聞かれたものと勘違いして答えてしまったが、構う事もないだろう。
「これはおとぎ話だ」
「どんなお話?」
気がつけば子供達が集まってくる。町の名前は変わっていたが、ディケティアの頃よりずいぶん人は多そうだ。
「かつて世界に魔法が存在した時代、大きな二つの樹によって世界が二分されていた太古の昔のお話だ」




