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吟遊詩人の幻想曲  作者: 烏合の卯
翼人義賊と法族狩りと吟遊詩人
35/38

第35話 吟遊詩人の到達地点

 その時、轟々と風を破る音が響き、私とクラインは同時に空を仰いだ。旋回して戻って来た青の雫から数人の戦士が降りてくる。筆頭のレダーグがまだ地に足がつかないうちに怒号をあげた。


「詩人はそこだな!!」

「ここにいる」


 辺りが暗い上、私を意識できないから、レダーグにはクレイディアが不自然な形で抱き起こされて見えるのだろう。不愉快な体だ。


「クラインは!? 逃げたのか?」


 私のすぐ近くにいるクラインが、レダーグには見えず、あたりを探していた。やはりクラインは私と似た存在だ。だからこそ、もしクラインを倒すならば私は力になれる。


「目の前だ、目の前にいる」


 見ればクラインは逃げる素振りもなく、普段通りだった。


「法族の味方をするなんて……これは天変地異の前触れか? いったいどうしてしまったと言うんだ、同胞」

「私は気まぐれなんだ」


 それに同胞ではない。そう言おうとした瞬間、目の前の景色が法力の嵐に染まった。地上におりた船員と飛空挺からの総攻撃だ。

 私は空と地上から無数に注ぐ轟音と爆風に飛ばされないよう帽子を抑えた。この爆発、いくらクラインでも爆心地にいたならば消滅しないまでも身動き出来ないはずだ。それを確認させるように船が地上すれすれを横切り、煙を吹き飛ばした。


「おい詩人! 奴はどうなった!」

「急ぐな、いま確認する」


 燻る残り火が風で飛ばされる中にクラインらしき塊が見えた。ほとんど原型がないが、近づいてみると胸部と頭部がほぼ無傷で仰向けになったいた。他に四肢は見当たらなかったが、ゆっくりと再生を始めている。

 無表情で無感動なクラインの瞳が私を捉えた時『ああ、クラインと私は同類なのだ』と直覚した。レダーグが喚く中、落ち着いたクラインの声が私に沁みた。


「なるほど、気まぐれか。確かにお前の行動にはいつも一貫性がない」

「死を悼む心があった事に、自分でも驚いている」


 クラインはほんの少し声をもらして微笑した。


「死を悼む、か。つくづく嫌味な奴だ」

「嫌味でも皮肉でもない」

「お前……まさか……」


 寝不足そうなのに鋭い目を見開き、クラインは唐突に笑い出した。心の深淵から愉快そうなその笑いは、私と似つかない、気味の悪い爆笑だった。彼は笑えるのだ。

 レダーグが叫ぶ。


「おい! やつはどこにいる! どうなった!?」

「心配ない。手足がちぎれて身動きが出来なくなっている。少し会話をさせてくれ」


 クラインは上半身だけで転げながら嬉々として笑い転げる。きっと彼の中で『ピッタリはまったズレ』があったのだ。


「何がおかしい?」


 ひとしきり笑い終えてから、息を整えてクラインは私を見た。幸せそうな表情、とでも言うのだろうか。ともかく手足も無いのに不満はなさそうだった。


「理解し得なかった難題がひょんなきっかけで解けた時、あるいは雁字搦めかと思われた障害が糸一本で解けた時、人は笑ってしまうものだ。そう、これは可笑しい!」

「何がおかしい」


 私はなぜか苛立った。


「問題が解けた嬉しさとでも言うべきか。解いてみれば思いの外簡単だったからか……だが今回一番面白いのは『出題者が問題を理解していなかった』ことだ」


 私は笑い続けるクラインの意図が全く理解できなかった。誰が出題者で誰が解答者か明示しない、まどろっこしい話し方が鬱陶しかった。これ以上蒙昧な話を積み重ねる気にはならなかった。


「クライン、どうやら私とお前は理解し合えないようだ。あとは彼女達に任せる」


 クラインの状況を伝えると、レダーグの部下が法術でクラインを固定し始めた。シェラハと同じ様に時間と空間を固定するのだろう。

 私はクレイディアを一瞥したが、泣きじゃくる女達に囲まれて彼女は見えなかった。

 クラインに対して後ろめたい気持ちはいっさい沸かなかった。また、彼も不服そうではなかった。


「死を悼む……か。つくづく天才の発想というものは凡夫のそれを凌駕する」

「すまないが私には誰が天才で、出題者が何者で、解答者が誰なのかさえ分からないんだ」


 口の減らないクラインは、それでもやはり負け惜しみや罵詈雑言を吐き捨てる様子ではない。実際、不気味だし不穏だった。確証を得ている話ぶりがより不快さを増幅する。


「思えば……俺は図書塔オーブルマスからずっとお前に嫉妬していた。俺があれだけ殺す事に腐心し、身を粉にし、駆け回っているのに、あいつは気まま勝手に放蕩しながら、どうやっているのだろうかと。それにせめて、俺のお気に入りだったオーブルマスだけは残しておいて欲しかった」

「何の話だ」


 そう言いながら、私はその言葉を記憶とともに反芻していた。


「お前が天才でなければ、他の誰を天才と呼ぼう。幾星霜に巨万の死を重ねながら、呑気に音楽や詩を奏でるその神経が理解できなかったが、お前は自分の力に気づいてさえいなかったというわけだ」


 私に顔色があるなら、青ざめているかもしれない。動転する最中、レダーグが顔を近づける。


「おい詩人、やつは何を話してやがんだ? 俺たちにも教えろ!」

「少し待ってくれ、個人的な事だ」


 個人的な事? これは彼女達と本当に無関係だろうか?


「先ほどは同胞などと呼んだが、とんだ思い上がりだった。自ら手を下し、策を弄する俺なんかより、お前の方が遥かに上位の存在らしい。お前は近くにいるだけで、あるいは時間を共にするだけで殺せるのか? その意思に関わらず?」


 私は馬鹿だ。今までいったいどれほどの時間、それについて考える猶予があっただろうか。声や景色が遠のく気がした。体が重く、心が鈍くなる。


 ……心? これが感情か?


「いずれはニケや四天王も? ヴォルゴーとはどれだけの時間を共にした? 図書塔オーブルマスにはそんなに長居していなかったはずだが? この町へはよく来たのだろう? 翼人の女もお前がいなければ死ななかったのではないか?」

「……そういう事か」


 離れなければ、どこか誰もいない場所へ。私は詰め寄るレダーグを思い切り突き飛ばした。


「詩人? なにすんだ!?」

「私から離れろッ!!」


 私は……


「お前はまさに死神だ。リュート」


 その瞬間、世界が無限に遠くなった。あるいは世界から自分だけが無限に落ち窪んだのかもしれない。


 これは絶望? だが悲壮な思いはない。虚無感?


 定かではないが、はるか遠くに恐怖に引きつったレダーグの表情が見えた。ただ、私はもう向こう側の世界に辿り着く事はないのかもしれない。もう言葉が喋れなかった。


「なんで、アンタが……一点に集まって防御壁を張れ、逃げるぞ! 早く船を!」


 考えてみれば自明の理だ。辛く悲しい、何も生み出さないガラクタは、虚無と死、そのものになるカラクリだったのだ。それとも、虚無と死を生み出すシステムになったのか?


 なんだか、今となっては全てがどうでもいい。私という存在はもう私の精神とは無関係に動き始めたらしい。本来の目的を知って羽化したのかもしれない。


 遠くでクラインが満足そうに笑っている。先ほどとは違う、安らかな笑顔だった。


「今日は最高に晴れやかな気分だ。死なない我々がどこから来てどこへ消えるのか、そんな長年の疑問まで解決した」。クラインは幸せ者だ。これから私に飲み込まれて消えることができるのだから。「俺も消してくれ。そんな醜い姿になってまで殺し続けるなんて、想像もしたくない」


 私の意志と関係なく私の闇は飛び回り、クラインを飲み込んでいく。クラインの最期の笑顔は本当に安らかだった。


「俺はもう殺す事に疲れたよ。すまないな。お前も辛い思いをしただろう」


 これでいい。魔と法を全て飲み込む世界の欠陥をいくつも撒き散らす必要はない。私のなれの果ても時間が経てばいつか消滅するだろうか?


 私はケルの底だったのだ。

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