第34話 法族殺しと翼人賢女
どう対処すれば分からず黙り込む私を気にせず、クラインは橋を降りゆっくりと近づいてくる。
「最近よく会うな。元気にしていたか」
「ああ……そういえば冠婚葬祭が好きとか言っていたな」
どう応対していいか皆目検討もつかないが、ただなんとなくクラインを見て確信していた。クラインは私に似ている。
「だれ? リュートの知り合い?」
クレイディアが無垢な表情で首を傾げる。彼女はクラインの顔を見ている。聡明な彼女がそれを忘れる筈がない。
「これは驚いた。ガールフレンドか?」
「やっぱり分かっちゃいます?」
私は混乱の只中で頭が追いつかなかった。クラインの事だから、近くに強力な魔物が多く潜んでいる可能性も高い。
クレイディアを止めるべきじゃないだろうか?
この町を全滅させたのもクラインではないだろうか?
クレイディアは単身で四天王に挑むつもりだろうか?
声に出せないそんな疑念が駆け巡る合間に、二人は会話を進める。二人とも私なんかよりよほど頭が切れるのだ。
「美人じゃないか。翼人は古来より美人が多いと聞く」
「お世辞でも嬉しいです。あなたはリュートのお友達?」
「リュート? お前そんな名前だったのか」
「あ、ああ……」
そうだ、何も私が心悩ませ気を揉む必要はない。ただ物語の進む様に進ませればいい。私はそれを飾らず、間引きせず、ありのまま語ればいい。今ままでずっとそうやってきたのだから。
クラインは両の手のひらを上に向けてあっけらかんとした。
「聞いてのとおり、その程度の関係だ。知人以上、友人未満。そんなところだ」
「でも嬉しいです。リュートって知り合いあんまりいないみたいだから」
そこにいるのがクレイディアとは思われなかった。声のトーンが高く、子供っぽく、私から見ればあざとい。
「さっきから喋っていないが、どうかしたのか? リュート」
クラインにその名で呼ばれる事にどことなく嫌悪感を覚える。まるで自分の一番知られたくない秘密でも握られたような気分だった。
クラインは私とクレイディアに背中を見せてしゃがみ、蝋をたらして舟を作り始めた。それでもクレイディアは動かない。目線だけでクレイディアを確認しても、ただニコニコしているだけだった。
「なんでも無い。今日は一人か?」
「祭りを見に来ただけだからな。だと言うのになぜ主催が二人だけなんだ? 他はどうした? 祭りは?」
クラインが火を灯した舟が一隻二隻、流れていく。私たちに背を向けたまま、クラインはその舟の行く末を見つめている。
「ディケティアの住民は死んでいた」
「そうか、そいつは残念だ」
憮然とそう言ってクラインは自分の作った舟を追って、下流に歩き始めた。追おうとした私の袖をクレイディアの指が引き止める。
『奴から離れて』
指だけで力強くそう合図していた。
そのタイミングを見計らっていたのか、上空から動力を止め新月の夜闇に紛れた飛空艇『青の雫』が降ってきた。そのエンジンを吹かすと同時に法術が四本、クライン目掛けて振り注ぎ、戦艦は地上スレスレを駆け抜けた。
それに対するクラインの回避はとてつもなく素早かった。誘導弾を四本続けざまに躱す。その身のこなしは私とは似ても似つかない華麗さだった。
ただそれでも五本目と六本目の閃光、つまりクレイディアの法術とクレイディア自身の突進は、さすがのクラインでも躱しきれなかった。五本目が胴を貫き、最後に光のレイピアが首を刎ねた。
クラインは左手で落ちる自分の頭を掴んで、その頭だけで喋った。
「そういえばお嬢さん、まだ名前を聞いていなかったな」
私の体と心が鈍く傷んだ。クレイディアの背中を貫いてクライン赤黒い右手が見える。
「悪いけど、そういうの興味無いわ」
「それは残念だ。青の雫の副艦長クレイディア……今は艦長か?」
全て見透かされていたのだ。
怒りに絶叫してクレイディアがもう一度剣を振りかざした瞬間、クラインは凄まじい膂力で右腕を振り回して彼女を私の元まで投げ飛ばした。私はすぐ駆け寄ってクレイディアを抱き起こしていた。
「これはまた珍しいな。お前が人生に干渉しようなんて。まさか本気で恋したわけでも無いだろうに」
「クレイディア、大丈夫か」
間の抜けた平凡な言葉しか出てこない。血に伏した彼女の顔は勿論、服や羽まで赤黒く染まり、大丈夫な筈が無い。私の言葉が震えているような気がしたが、彼女が震えているせいかもしれない。
「すこし寒いわ」
暖かい手で私の腕にしがみ付いて、彼女はそれだけ言った。私はこんな時にかける言葉を知らない。
「しっかりしろ」
「リュート……あいつを」
声は掠れて力がなかった。
「大丈夫か? すぐに仲間が来る」
彼女はそれでも笑って、血を吐いた。
「大丈夫に見える? たぶん駄目だと思うな」
「そうか」
彼女はまた笑う。いつもそうだ。私にはこの状況で笑う心理が解析できない。
「こういう時は『駄目なんて言うな。生きろ』とか言うんだよ」
「駄目だなんて言うな、生きろ」
「それからね、キスをしてこう言うの。『愛してる』って」
クレイディアの言葉はいつだって聡明で懸命で正しい。私は従った。
「愛している」
クレイディアは最期に血を吐いただけで、もう答えなかった。その手が力なく抜け落ちる。見飽きた死にこれほどの喪失感を覚えるのは……私も彼女を好きだったのか。
「話と命は尽きたようだな」
後ろでクラインが立って手の血を拭っている。頭はすでに繋がっていた。クラインを憎む心が生まれない自分自身が憎かった。憎くて辛かった。
「なぜ彼女を殺した」
クラインは平素の怪訝な顔をさらに訝しそうにしかめる。
「お前、まさか本気でそんな事を聞いているのか?」
「冗談は得意じゃない」
「それは……素晴らしいと言うべきか。見ていれば分かったと思うが、正当防衛だ」
私はクレイディアの顔を見た。普通ならばクラインを憎むのだろう。クレイディアがクラインを憎んだように。私がクラインを殺せば、私が誰かに憎まれるのかもしれない……死を招くシステムとしてはよく出来ているが不毛だ。
ただ不毛だから憎む感情が生まれないという発想は、どうにも奇抜に思える。その順序は不可逆のはずだ。
「私は彼女の事が好きだったのかもしれない」
「そうか。ではまた悲しい歌が生まれるな。しかしそれは幸福の反作用だ。その女と過ごした楽しい時間の代償と考えるべきだ」
「楽しかったのだろうか……いや違う」
私は心の中を一巡してみたが、ぽっかりと空いた穴の周りを回っているだけで空虚だった。本当に大切なものはその抜け落ちた、もう光の当たらない何かなのだ。輝いていた彼女の目であり、生き生きとした彼女の言葉だ。あるいはそんな彼女と過ごした時間……大切なものはたくさんあった。
「私はお前を憎む事さえ出来ない。楽しい事にさえ気づかない。だから悲しめない」
泣き叫びたいような気持ち、絶叫に近い言葉が平然と流れた。それが悔しくて辛い。
「お前は不幸な男だ」
クレイディアも似たような事を言っていた。『辛いね』と。私はクレイディアの髪を撫でた。べったり血の付いた手で撫でたため、赤い髪が黒っぽく汚れてしまった。私は構わずクレイディアを引き寄せて強く抱きしめた。
「確かに、辛い」
まだ温かい彼女はこれから冷たくなり、腐り、土に還る。怒りも憎しみも湧いてこないが、ただそれだけが名残惜しかった。
もう彼女は目を覚ます事もなければ、この口から英知を生み出す事もない。彼女はもう笑う事も怒る事もしない。
それはとても辛かった。




