第33話 吟遊詩人と炭鉱再訪
私は青の雫の面々とずいぶん打ち解けていた。ディケティアまでの空路では船員総出で私の送別会まで開いてくれたほどだ。だがそこにはクレイディアだけがいなかった。
「クレイディアは?」
「さあね、お別れを言うのが寂しいんじゃねーの」
答えたレダーグはニヤついていた。なんとなく先が想像出来たが、私は黙って馴染みのタラップを降り、帽子を振って彼女たちと別れた。
「いろいろ世話になったな」
「おう、いつでも来いよ。そん時はクラインの情報持ってこいよ」
「機会があれば」
降ろされたのは町から少し離れた平原だったので、私は懐かしい峠の街道を遠巻きに見ながら、軽い足を踏み出した。
今なら以前よりはいくらか音楽の質も違うかもしれない。音は不思議なほどに素直だ。同じ曲でも弾く者の心持ちで雰囲気が豹変する。というより、豹変、千変万化する心をその都度表現する音の流れこそが音楽なのだ。
アニスティは元気にしているだろうか? 今ごろは精霊祭の準備で大忙しだろう。そして懐かしい町の中では懐かしくもないクレイディアが十中八九、なに食わぬ顔で待っているに違いない。
もしかしたらこれは『楽しい』という感情に近いのではないだろうか? 足取りが少し早くなる。慣れすぎて退屈になった単調で孤独な生活、たった一つで回る無意味な歯車だった今までとは違う何かが、私をディケティアまで運んだ。
「静かだな」
町には奇妙なほど人の気配がなかった。もともと人気のない町だが物音一つしない。それに風に乗って嫌な臭いが鼻を刺激する。私は急ぎ足で坂道を登り、煉瓦の一角を曲がってアニスティの家の扉を開けた。玄関にはヴァレスティの黒い姿が描かれた絵が丁寧に額に収められている。あの日のままだ。
「アニスティ、いないのか」
返事は無い。私は非常識を承知で階段を登りアニスティの部屋のドアを開けた。部屋は綺麗なままだがアニスティはいなかった。モノクロの私が額に納められ、あの日のまま壁で退屈そうにしている。
「アニスティ!」
家を一回りすると、アニスティの父親らしき亡骸が法炉の横で腐っていた。町の者はこの刺激臭の発生源を処理しないのだろうか? 誰もいないのか?
私は彼女を探して家々を訪ね回ると、そこかしこで人が死んでいた。全てが腐りかけで死因まで調べる気にならなかった。
さらに探し続けると、アニスティの家の近くの民家で数人の死体が寄り添って、その中の一つが私の作った楽器を抱えていた。もはや顔の識別もできなかったが、その服は以前アニスティが着ていたものだった。
「儚い。だから悲しい曲になるのだろう」
歴史とはそんなものだ。どんな栄華の都もせいぜい数百年しか持たない。飢饉、戦争、疫病、天災、ケルの底……国や文明は予想もつかない不具合によって突然陰ってしまう。そして一度没落してしまうとそんな国や街、果ては歴史までもが無かったかの様に世界は振舞う。ひっそりと遺されるのは瓦礫や文献ばかりだ。
そして私はどちらかと言えば、その遺された瓦礫や文献に近い。
「一人で遺され続けるのは……少しだけ辛い」
私は未完成の弦楽器をアニスティに持たせてやった。輪廻や天国を信じる人々は、時折こうして死者へ贈り物をする。楽器に未熟なアニスティにはこれで十分だろう。
「その楽器は餞別だ」
人の気配に後ろを見れば、クレイディアが立っていた。
「ごめんなさい。一緒に精霊祭を見て回ろうと思ったんだけど」
「中止……だろうな」
精霊祭は黎明から今日まで全ての生き物の魂を浄化する祭だが、儚い人間が途絶えた事でこんなにも呆気なく途切れてしまった。彼らの魂は一体誰が浄化するのだろうか。
「私も町を見て回ったんだけど。誰もいないみたい。魔族か疫病か」
「あるいはケルか」
触れた生き物をすべからく腐らせるケルの存在を聞いた事がある。クレイディアはアニスティに近寄って花を一輪、楽器の上に乗せてくれた。
「辛かったよね」
「死因が分からないからな。辛かったかどうかも分からない」
クレイディアの背中が少し震えていた。
「そうじゃなくてさ、リュートの話だよ。こんな場面を何回見てきたの? こんな別れを数え切れないほど繰り返してきたんでしょ?」
「私なら慣れた。慣れすぎて何も感じなくなったのかもしれない」
そう、私にとっては何度も見てきた終焉の一つに過ぎない。それなのに今日の私は『心の落差』じみたものを確かに感じている。
いつか、クレイディアともそんな別れが来るのだ。互いに忘れて会わなければ楽だが、四皇院に処刑されたニュースを聞くかもしれない。他にも戦死、病死、事故死……生き物は死因に事欠かない。
私はあと何回そんな別れを繰り返すのだろうか。繰り返すたびに麻痺していく感情が私の体を重くするようで……それが辛い。
「嘘。さっき言ってたじゃない。一人遺されるのは辛い、って」
確かに私はそう言っていた。きっと心の落差が、落下の衝撃が辛いのだ。いつになく、心にひずみが生じている。
「とにかく外に出よう」
考える時間が欲しくて、私はそう切り出していた。私たちは外に出て新鮮な空気を取り込んだ。
「私なら辛くて辛くて、壊れちゃうと思う」
「生き物は思いの外、環境に順応するものだ」
私は私が辛い理由を考えていた。もしかしたら言葉が口を衝いただけで、本当はそれほど辛くないのかもしれない。
生き物では辛くて耐えられないから、辛くない様に生きていないまま存在している……私の何倍も辛そうなクレイディアを見ていると、そう思える。
「それ我慢してるだけよ。いつか堰を切って溢れてくる」
「川ができそうだな」
私は冗談で努めて笑って見せようとしたが、やはり上手くできなかった。クレイディアも死をたくさん見てきたはずだが、初めて身内が死んだ日の様に泣いていた。これが義というものか、あるいは私を本気で哀れんでいるのか。
しばらく泣いていた彼女は、不意に顔を上げた。
「ねえ、私たちでやりましょうよ。彼らのための精霊祭」
「追悼の儀式としては至適だが……大変だぞ」
「なにも本来の規模でやる必要は無いでしょう? 二人で出来る分だけ」
「それはいいアイデアだ」
死んだ者に花を手向けたところで、満足するのは手向けた者の心のほんの一部に過ぎない。普段の私なら断っているが、クレイディアの提案には賛成した。考えてみればそういった神事、神葬はいつも端から眺めるばかりだった。過去に見てきた数え切れ無い死と滅亡に一度も追悼しておくのも悪くない。アニスティに楽器を渡した延長とも言える。
草舟や黒灰石を探していると、それらはほとんど準備された状態で町の社に積まれていた。隣の集会場にも簡易なランタンや屋台の骨組み、椅子や花火が揃っている。人さえいればすぐにでも祭りは催せそうだった。
「戦争や魔族じゃなさそうだけど、どうしてこんな村人全員急に……調べてみる?」
「やめておけ、疫病だったらクレイディアにまでうつるかもしれない」
「心配してくれるんだ」
「心配くらいは私にも出来る」
そんな会話をしながら川まで荷物を運んで夜を待った。
「私もいつもリュートの心配してるから、いつでも会いに来て」
「拠り所が一つ減ってしまったからな、近いうちに行くかもしれない」
日はすぐに暮れ、新月の夜は暗く、晴れていたので星が明るかった。クレイディアは熱心に舟を造っては流した。
「泊まるところが無いなら、すぐにでも船に戻る?」
「……考えておこう」
灯りを乗せた舟を流す作業は実に地味で単調だった。黒灰石と舟を蝋で接着し、火を灯して川に浮かべる。船は下流に向かって散らばり、時折燃えさかったりする。
「綺麗ね」
「美しい、だ」
この火の流れに魂の浄化を感じるのも無理からぬ気がした。生々流転する生命の儚い一生に非常によく似ている。クラインが冠婚葬祭に並々ならぬ興味を持つのも分かる気がした。
「リュートが見てきた精霊祭もこんな感じだったの?」
「数は少ないが、こんなものだ」
私とクレイディアが弱い火の揺らめきに見とれていると、まだ精霊祭まで数日あるというのに一人、橋の上にせっかちな客がいた。
「実に美しい。早く来てよかった」
その声が私の記憶をひどく掻き毟る。薄暗いシルエットをよく見れば、そこにいるのは確かにクラインの様だった。




