第31話 吟遊詩人と月夜宴席
両腕のないシェラハの遺体を有り難そうに拝む教徒の精神は理解できないが、あの金髪の青年を羨み、愛おしく思う女の心理に間違いや不合理は無い様に思う。質問攻めにされながら、コトルは嫌な顔一つせずにそれらに答え、その言葉一つ一つが誠実だった。というより熱弁を奮っていた。不可解なのはレダーグが一番熱心な質問者だった事くらいだ。
傍では通信手がメモを読み上げ、仕事に追われていた。
「武器類はもちろん、法石も……ええ。あとシャワーもちゃんと浴びて……いえ、私は船長の言いつけを読み上げているだけですから。ともかくきちんとした服で……そう、要はそういう事です。お願いします」
海賊やら義賊なんかの通信手は大変で割りに合わなそうだ。
そんな調子で賑やかになりつつあった会場も、私とニケが降りてくるのを見て……というよりニケという魔王を目の当たりにして一瞬で静まり返った。慣れているのか性なのか、ニケはびくともしない。
「邪魔だったら帰るけど」
船で最も広い部屋、私がキルビスの話をした会議室の一番奥に座っていたクレイディアが立ち上がる。
「とんでもない、主賓の魔王様がお邪魔だなんて。チーズもお酒も好きなだけ食べていって。お口に合えば、だけど」
ニケは船内をぐるりと見渡し、酒やつまみに目移りしている。
「じゃあお言葉に甘えようかな」
そんな折だった。背の低いニケの肩ほどもない小さな少女がニケに駆け寄る。キルビスの話をした時に泣きそうだった幼女だ。子供はニケを見上げ、口づけするかと思う間合いまで顔を寄せた。
「おねえちゃんがまおう?」
「おう。一応ね」
「うそだよ」子供らしい断定だった。「だってわたしのしってるまおうとぜんぜんちがうもん」
それを聞いた瞬間のニケの笑顔はどこか超常的な表情に思われた。言葉にするのは難しい。『愛おしい』という言葉が一番近いかもしれない。
「よく言われるんだ。信じなくていいよ」
その表情はすぐ消えて、ニケはクレイディアのもとへ歩き、少し話すと二人揃ってクレイディアの書斎へと消えてしまった。
通信手と数人が甲板に駆け上がり、コトルの方では世界樹と魔界樹の話が盛況だった。私は良さそうな酒をグラスに注ぎ、煩くなりそうな船内から甲板へ逃げ出した。船上では魔王ですらされなかったボディチェックを海賊が受けている。
私は船首から凪いだ海、月を映す海を眺めた。気がつけば雲が晴れていた。酒を飲みながら、試作品の中でも一番上出来だった一本の弦楽器を弾き始める。今夜はそれしか背負っていなかった。
楽しい曲……それは悠久や永遠と対極の音。ニケの笑顔。クレイディアとの閑話。コトルの無謀。今から下で始まる宴……私は熱中した。それはきっと激しい音であり、緩急だ。流れるメロディーではなく跳ねるリズムだ。独白ではなく会話だ。
私の即興に合わせる相手がいない事が歯がゆい。楽しい音楽にはたくさんの和音が必要かもしれない。打、弦、管全てあってもいい。ズレが大切ならばそれは噛み合っている必要さえないかもしれない。足りない音をなんとかやりくりして作る音が忙しく跳ね回る。
「ずいぶん熱中していたみたいね」
跳ね回った音が暴れて賑やかだと感じたが、そうではなかった。クレイディアの声に顔を上げれば明りが灯り、甲板が海の上の宴会場になっている。知らない間に私の曲に合わせて海賊連中が踊っていた。
「宴会場は甲板になったのか」
「船内にみんな入ると狭いし、蒸し暑いから」。スカートを抑えて隣にクレイディアが座った。晴れ着なのか、黒いロングドレスを着ている。「続けてよ、演奏」
言われる通り弾きながら海上の夜宴を眺めた。向こうでは樽を囲んでレダーグとコトルが腕相撲をしている。結果は私の予想どおりの瞬殺だった。負けたコトルは怪我が平気なのだろうか。
「素敵な曲だったわよ」
「楽しかったか?」
「うーんどうかな。楽しいというよりは壮大な舞曲って感じ? 情熱的だったわ」
クレイディアの雰囲気がさっきと打って変わって、砕けた感じになっている。暗くてよく分からないが、頬が少し赤らんで見える。
「クラインの居場所は?」
「分からないって。でも分かったらすぐに知らせるからって、親切にこんな球までもらっちゃった。時空系の術をこのサイズに織り込むなんて入神の域よ。売ったら半年遊んで暮らせるわ」
私はそれを二度も不用意に割ってしまった事を少し後悔した。酒も楽器の材料も宿も、きっと上等なものを堪能できたに違いない。
「ニケを信用するのだな」
「自分でも不思議、あれが魔王だなんてとても信じられない。けどよく観察すると彼女の心根、魔力の深淵、思想の根底にある器の大きさが計り知れない。悔しいどやっぱり魔王なんだなって、届かないところにいるって思っちゃった」
やはり酔っているらしく、今日のクレイディアはいつも以上に口が滑らかだ。彼女の目線の先ではコトルの敵討ちとばかりに意気込んで、その魔王がレダーグと睨み合っていた。
「超越的な存在、魔王や勇者のというのは端から見ると超然と見えてどこか狂っていたり、基底にある価値観が大多数と異な……」
「レダーグ! 勝ったらあなた魔王を倒した大勇者よ!」
声援を張ったクレイディアは大一番をまえに無我夢中で、私の話なんか耳に入っていなかった。レダーグは自らの太い腕を叩いて答え、樽に肘をついたのだが、戦闘の準備はもたついた。ニケの背が樽に対して低すぎたため、急遽土台の木箱を用意する必要が出たのだ。
「ねえ、どっちが勝つと思う?」
少年みたいなクレイディアを前に、少し真剣に考えた。
「賭博なら私はレダーグに賭ける」
「え、なんで? 相手は魔王だよ?」
となりにいるのがその魔王かと錯覚するほど無邪気で、強さと無縁の存在に見えた。ニケのニケたる所以は、その物理的な強さに依存するものではないのだ。
「なんとなくだ。クレイディアこそ、レダーグは信頼する右腕だろう」
「相手が相手だからね、じゃあ賭ける?」
「何を賭ける」
「じゃあ私が負けたら、リュートの望みを一つ聞いてあげる」
クレイディアは無邪気に笑ってそう言った。酔っているのだろう。
「自信ありげだな」
「……それはどっちの意味で?」
「どっち、とは?」
私には『賭けに負けない自信』ではない方の自信が見当たらなかった。クレイディアは今にも始まりそうな二人の戦いに目をやる。
「なんでもないわ」
「では私が負けたら……」
その続きにあげる候補がない事に気付いた。魔術の球も、ブランドの酒も持っていない。いつもそうだが私は素寒貧だ。
「私が勝ったら私のためだけに作った曲を、私のためにだけに弾いてもらうわ」
「いいだろう」
木箱に乗ってもニケはレダーグより一回り小さかった。そっくりなのは八重歯を出してにらみ合う二人の好戦的な表情だ。戦闘開始の合図とともに二人の力が張り合い、戦況は硬直した。海賊と義賊の声援は恐ろしいほど喧しかった。
力み具合から互いに全力なのは明らかだったが、ゆっくりとレダーグが押し始め、最後の粘りを見せようとしたニケは木箱をひっくり返して尻餅をついた。
「やったぁ!」
賭けに負けたクレイディアは拳を振り上げて仲間の勝利を祝う。その仕草を見て『なるほど聡明な彼女らしい』と私は勝ったのに敗北を認めた。
私に欲しいものなど無い。この勝負、勝っても負けても彼女は損しない。
「私の勝ちだな」
「どうして分かったの?」
「ニケは元々力で戦うタイプじゃない。しかもあんなに巨大な世界樹の枝が近くにある」
それにあえて言わないが、ニケはフェアな勝負のため保存した他人の魔力を使わなかった。それが一番の敗因と言える。
二人でその青く光る枝を見た。丸い月、穏やかな海、海賊船を覆う世界樹……永遠を思わせる孤独、それは綺麗に他ならなかった。
「綺麗ね」
「たしかに綺麗だ。私は美しい方が好きだが」
樽ではニケがプライドもなんのその、レダーグに再戦を申し込んでいた。私たちの存在に気づいているのはコトルだけのようだ。
「それはどう違うの?」
「綺麗は永遠に対する感情だ。寄せて返す波は限りなく、月が昇らない日はない。世界樹は無為に世界を見下ろし、光を放ち続ける」
「じゃあ急に熱い雨が降ったり、冷たい日差しが降り注いだら?」
独り言のようにクレイディアがそう呟いた。私はそんな突拍子もない事、考えた事もなかった。
「天変地異だな。あるいは、そうならない安寧な日々を尊ぶ気持ちが綺麗なのかもしれない。だから私の仮説によれば、天災を見て美しいと思うのが道理になる」
なぜだろうか。持論めいた話、私の本当のオリジナルのストーリーをこんなにも話すのは彼女が初めてな気がした。
「なるほど……だからか」
「だから?」
「あの日、セドゥンピアで初めてリュートを見た日、綺麗な人だなって見とれちゃったの。信心なんか微塵も無いくせに、四皇院の聖典にある天使が舞い降りて来たのかの思っちゃった」
笑うクレイディアに釣られて、私もちぐはぐに笑ってみたがうまく出来なかった。天使の末裔と称される翼人が黒ずくめの吟遊詩人を天使と思う。こういうズレがきっと笑いを誘うのだろう。
「私は生ける屍だ。悲しい音を出すガラクタに過ぎない。天使には程遠い」
「私には出来ないから生き方だから、きっとリュートが綺麗に見えるんだと思う」
「ではきっと、私には出来ない生き方をしているクレイディアだから美しいのだな」
クレイディアはまた笑った。今日はよく笑う。
「ちょっとお二人さん、いい感じなとこ悪いんだけどさ」気づけばニケが目の前に仁王立ちしていた。「抜けがけはうちに勝ってからにしてもらおうか、船長さん」
ニケは私とクレイディアを腕相撲に引きずり込んだ。レダーグが呆れている。
「おいおいうちの船長がそういうタイプじゃないのは見りゃ分かんだろ」
「大将を負かせばこっちの勝ちでしょ」
「うわ、大人気ねぇ」
酔うと本性が現れるとはよく言うが、ニケは意外と負けず嫌いらしい。負けるところを見た事がなかったので知らなかった。
「私、本当に弱いわよ?」
「じゃあ二人掛かりでもいいよ」
私とクレイディアは思わず互いの顔を見合わせた。
私とクレイディアは右腕を重ねたが、結局ニケに負けてしまった。非力な二人をのして満足そうな魔王。たのしそうな海賊と義賊と子供達と老人。女に囲まれ、それでも夢を熱心に語る農夫の勇者。
この夜の出来事はなんだか新しい事ばかりで、退屈の反対で、貴重な時間だった。




