第3話 吟遊詩人と放蕩記録
皮肉なことに、それからの平和な80年でこのディケティアは衰退したのだ。大戦が終わり法石の需要が減った上に炭鉱が枯れ始めたので、避けられない運命だったのかもしれない。
歌い終えた私にアニスティは一瞥もくれなかった。その目はカンバスに釘付けで、手を動かしながら独り言のように漏らす。
「まるで近くで見てたみたいな語り口ね」
実際に近くで見ていたのだが、私はそういった事に関しては濁す事に決めている。もう古い知り合いは竜族、魔界樹、それに世界樹くらいになってしまった。実際に見たと説明しても誰も信じてくれない話の方が圧倒的に多い。口伝に信憑性は欠かせないエッセンスだ。
「それが詩人の仕事だからな」
「ああ、動かないで。今すごくいい表情だから」
動かないで欲しいと言うので私は黙ったのに、アニスティは構わず話しかけてくる。
「それでどうなったの?」
「それで、とは?」
アニスティは食い入るようにカンバスを睨みながら筆と口だけ忙しそうだった。私も口だけを動かすよう努めた。
「大賢者シェラハ様の後日談とか無いの?」
「彼女はその後、田舎に引っ越して言葉通りに農園を始めた」
その目が丸く見開かれて、ようやく私に向けられた。
「嘘!? シェラハ様は生涯通じて王都レラで次の勇者の育成に尽力したって、有名な話だよ」
それは嘘だ。そう言いかけた言葉を私は飲み込んだ。真実や歴史が都合よく歪曲されるのは珍しくもない。それが広く定着すると、大抵真実の方が淘汰される。
「これは創作、私だけのオリジナルストーリーなんだ」
「やっぱりノンフィクションじゃないのか」
結局、人も魔族も真実なんてどうでもいいのかもしれない。
シェラハは大英雄として祭り上げられ、聖人として喝采を浴び、それら全てに辟易してレラを飛び出した。その後の彼女の人生は客観的に見れば幸せではなかったかもしれない。痩せた土地での農園はほとんど上手くいかず、彼女自身も短命だった。
彼女の死後、王都レラで最も権力を持つ宗教組織『四皇院』はすぐに彼女の遺体を夫から強引に奪い、時間を固定して不朽体にした。両腕の無い彼女の遺体は今でもレラの中央に納められ、年に一度公開されている。
「はいっ! 出来たよ」
「もう描けたのか」
「いやいや、けっこう時間かかったって」
アニスティが絵を見せてくれた。黒いハットに黒いくせ毛、黒いコートに白いシャツ、黒いパンタロンに黒いブーツ……なるほど炭で描くには私のモノトーンな格好は最適かもしれない。
「浮かない顔をした男だ」
「そんな顔してるから悲しい曲になるんだよ。もっと笑わなきゃ」
アニスティは笑った。人も魔族もずっと笑ってはいられない。だから笑顔は美しい。私はいつも無表情らしい。だから美しくない。炭で描かれた男は痩せて手足が細長く、見るからに鬱屈した表情をしている。私にそっくりだ。
「笑うのは苦手だ。さて、もう行く」
「もう行っちゃうの? 絵は?」
「取っておいてくれ。精霊祭の時期にまた来る」
ディケティアでは黒灰石という価値の低い棒状の法石が大量に取れる。黒灰石は割ると発火する性質があるのだが、あまり長持ちしないため蝋燭よりも価値がない。それを新月の夜、草の葉に乗せて川に大量に流すのが精霊祭であり、ディケティアの希少な観光収入の大きな役割を占めている。
「半年後かぁ……絶対来てね!」
「ああ、約束する」
人混みは嫌いだが精霊祭は好きだ。それにいい稼ぎになる。
私にしては珍しく長居をした。さらに珍しい事に、少女に手を振って見送られディケティアを出発した。アニスティは最後まで叫んでいた。
「絶対また来てねー」
小さな挙手だけ返して、私はまたあてもない身軽な旅に出た。
こんな風に、私は悲しい音を奏でるだけの虚しい旅を、かれこれ三千年以上続けている。