第29話 吟遊詩人と流血勇者
クレイディアが計器の前に座る船員に叫んだ。
「ハッチは!?」
「まだ開いていません! この速度ではマストからまともに動けませんよ」
「まともだったらあんなもの一人で盗まないわよ」
次の瞬間、飛空挺が爆音に飲み込まれ揺れた。すぐに会話が続く。
「直撃! ですが……特に異常ありません!」
「それ計器が壊れてるんじゃない?」
「マストの人物? が防いだ……みたいです。あ、ハッチ開きました」
それからすぐに青の雫の高速船は雲に突っ込んだ。
「この後、四皇院は雲の上下に船を張り巡らせて待ち伏せするわ。しばらく雲の中を東南東に蛇行して」
「了解!」
少ししてブリッジにコトルが、何食わぬ調子で入ってきた。
「いやあ参りました。お助け頂きありがとうございます。危うく死ぬところでした」
「一応聞くけど、月の仲間よね?」
「はい、月の海賊団でお茶汲みをしているコトルと申します」
笑顔で挨拶する青年は何もかも異常だった。金髪碧眼、絶世といって差し支えない美貌の青年は頭と左腕から血を流し、特に左手の出血は深手に見えた。そして右手で触れている大きなクリスタルの中には彼そっくりの、誰もが知る賢者。
「あなた、そのクリスタル……」
「この人はシェラハ=ジュエルウォールです」
青の雫の女達は皆混乱した様子で彼とその持ち物を観察していた。クレイディアでさえも呆れてこめかみを押さえている。
「目眩がしてきたわ。こんな作戦聞いてない」
「あれ、ちゃんと説明してもらうようお願いしたんですが」
「話してもらうけど、その前に治療ね」
クレイディアはブリッジへ逃走経路の相談に向かった。医務室で船員二人がコトルの治療にあたり、残った応対をレダーグが務める。私はコトルを追った。
「治療まで頂いて、感謝します」
「お前強いんだな」
「そんな事ありません。こっそり忍び込んで盗むつもりが、見つかった挙句このザマです」
数十隻の戦艦から生身で逃げ果せる人間など、世界にそうそういない。だがコトルは謙遜しているのではない。世の中のそんな事情とは遠いところにいたのだ。
「で、なんで忍び込んでこんなもの盗んできたんだ」
「それはそちらの吟遊詩人さんが説明してくれると思いますよ」
コトルがこちらを見た。私は少しだけ気配を消していたのだが、コトルなら全力で気配を消した私を見つけ出しても不思議はない。
「お前はやはりシェラハの子孫だな。シェラハと同じで『大掛かりなナンセンスを、なぜか笑って成し遂げる』」
コトルは傷口が開くのではないかと心配になるほど、ひとしきり笑った。羨ましいほど嬉しそうだった。
「そういえば、どうしてこんなところに?」
「偶然だ」
コトルは愛おしそうにシェラハを見た。
「あなたはやっぱり、『泣き虫の死神』かもしれませんね」
シェラハは私にリュートと名を与える以前、絵本の主人公にちなんで私のことを『泣き虫さん』と呼んだ。私は読まなかったが、その絵本をコトルも読んだのだろう。
「泣かないし、人も殺さない」
より正確に言えば、泣けない。
「あなたのおかげです。あなたの話を聞いた時、僕の決意は固まりました」。目を閉じ、船医に倒れかかりながら私に優しい声をかける。「ありがとうございました……」
「おい! 大丈夫か!?」。レダーグが駆け寄ってコトルの体を支えた。
コトルは答えず、代わりに初老の船医が脈と呼吸を見ながら言った。
「たぶん大丈夫、出血がひどいからしばらく安静だね」
やはり私はシェラハとコトルが苦手らしい。彼が手に入れたものは重症の傷と祖母の遺体だけだ。この私から最も遠いナンセンスな行動原理が理解できないのに、なぜか眩く価値ある行為に錯覚させられてしまう。
実際、彼にとっては大きな価値を持つ収穫だったのだろう。それが私にも伝わる『ありがとう』だった。
「一応きっちり説明してもらおうか」
私はブリッジに向かうレダーグに説明しながら付いていくと、扉を開けた先が慌ただしかった。
船は雲の上に出て、船前方の大窓からは小さな点とそれを追うたくさんの点が見えた。その間にいくつもの爆発が起きている。
「交戦中です。魔界樹船より強力な魔力を検知!」
「アレがその正体でしょうね」
帆を畳んだ先頭の一隻は月よりも明るかった。甲板に固定された大きな青い枝がキラキラと尾を引いている。その真上では月の次に明るい赤い星が輝いていた。その赤が煌めく度に爆発が起き、夜空を照らす。世界樹の近くにあってなお、ニケの赤は美しく輝いていた。
「信じられません……」
「法弾も砲撃も空中で全部空中で撃ち落としてる……常識外の術ね」
通信手が叫び、クレイディアがそれに答える。
「月から連絡。『何しにきやがった』」
「そこが一番安全そうなので」
「『打ち合わせと違うじゃねーか』」
「通信切って」言うと同時に通信手は手を離した。「どの口が言うのかしら? うちの船員に汚い言葉を使わせるのも許せないわ」
ため息を吐くクレイディアの背中に、私はキルビスの面影を見た。
「レダーグ。彼は何か話した?」
「医務室で倒れちまった。話は詩人から聞いたぜ」
青の雫の飛空艇は驚くほど速かった。空気を切り裂く音がどんどん高鳴り、月の海賊団に近づく。クレイディアは攻撃系統に命じた。
「一発も撃たなくていいわよ」
私の嫌いな喧騒は長続きせず、四皇院の紋が入った十数隻は煙を上げると粘りを見せず撤退した。小魔王ニケの手にかかっては、烏合の船団など物の数ではないのだろう。
二隻が高度を下げながら事務的な連絡を終えると、月の海賊団は通信で実際的な話を先に切り出した。当然、作戦の齟齬が問題になる。クレイディアも堪忍袋の尾が切れたのだろう。途中から丁寧な言葉はやめ、ちょっと高圧的になっていた。
『俺たちも金欠だから金ならこれ以上は払えねぇぞ』
「も、って何よ。失礼千万ね。まずはそっちが打ち合わせと違うもの盗んだ事に関してきっちり説明しなさい」
『おぉ! 成功したのか!?』
「質問しているのはこっちです」
『だってさ、聖遺物、シェラハを盗むなんて言ったら断られるかもしれないじゃん?』
月の海賊団とはなんと呑気で奔放な集団なのだろう。早く有能な参謀役を見つけないと、羅針盤を失った彼らは大海原を彷徨うに違いない。
「当たり前でしょ! とにかく金と魔王を用意するまで船員と不朽体は渡しませんからね。そのつもりで」
クレイディアは乱暴に通信を切ってしまった。しばらくして月から『すぐにでも受け渡しをしたい』と連絡が入った




