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吟遊詩人の幻想曲  作者: 烏合の卯
少女魔王と農夫勇者と吟遊詩人
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第2話 吟遊詩人と先代魔王

 80年ほど昔の話になる。私は先代の魔王『ヴォルゴー』と懇意だった。大魔王ヴォルゴーは才気、魔力、品格、統率力、どれをとっても魔王としての器を十二分に備え、偉大なる魔王として『大』を冠されていた。

 魔界の中心である魔界樹の麓、魔王城の玉座に鎮座するその姿を見て、私は見聞に比類なきヴォルゴーを『魔王の中の魔王』と称えた。


「巨人の体躯、角は魔獣、精霊の髭と髪、顔は賢人にして声は竜の唸り、並べて比類なき才覚。無類にして魔の中の魔、比類なき王の中の王……」

「なかなかいい曲じゃねえか! この俺をよく表現してやがる。ただもうちっとばかし派手な調子になんねぇかな? もっとこう……打楽器とかじゃんじゃん入れてよ!」


 声こそ神聖なほど荘厳だが、普段の気さくな話し方は拍子抜けするほど世俗的だった。


「私の手は二つしかない」

「じゃあ音楽隊……バンド組めよ! 俺の部下誰でも連れてっていいから。そいで地上で俺様の事パァーっと謳ってこい!」


 周りにいた数人の配下が露骨に嫌そうな顔をした。不満を漏らす者もいた。大魔王ヴォルゴーはそういった瑣末な事は気に留めない寛容な男だった。


「私の趣味じゃない」

「頑固な男だな。じゃあそれでいいや。どうせ頼まれなくても歌うんだろ」


 魔族というものはどうにも音楽を解せない者ばかりだ。ドンパチ鳴らせば楽しくなってしまうらしく、酒を飲み、テンポもリズムもない雑音に酔いしれる。

 その楽しさが理解できないから私は明るい音楽を解せないのだろうか? 悲しさと嫌いを永遠に畏怖する感情とすれば、楽しさと好きは刹那的なものかもしれない。

 私は死なない。終わりがないから楽しさを知る手段がないのかもしれない。逆に楽しさを知ったら、私は死と終わりに近づくのかもしれない。


「ねーねー。もっとなんか弾いてー」


 私の膝のあたりで小さな娘が私のパンタロンをぐいぐい引っ張っていた。娘の名はニケ。歳は二十を過ぎているが、魔族は人より成長がずっと遅い。その容姿と知性は人間でいう十歳程度だった。


「どんなのがいい」

「んーとね、いっちばん悲しいやつ!」


 この子はヴォルゴーの娘であり現在魔王として君臨し、大魔王ヴォルゴーにあやかって小魔王ニケなどと呼ばれている。今でこそ気にしていないが、昔は小さい事がコンプレックスだった。その上、子供特有の意固地さを備え、それは成長した今でも残っている。即位前も『魔王なんか絶対にやらない』と大見得切って駄々をこね散々配下を困らせていたのだが、ヴォルゴーが殺された日を境に一度もそんな事は言わなくなった。

 私が悲しい曲を弾くと、ニケは無為奔放な顔のまま涙を流した。私の奏でる音楽で泣く魔族を見るのはその時が初めてだった。


「そんなに悲しかったか?」

「よく分かんない。けど涙が出るの」

「おいみんな見ろ! ニケが泣いてるぞ! 泣く魔族なんて珍しい! さすが俺の娘だ! ヴァッハッハ!」


 そんな親馬鹿だったヴォルゴーはある日、勇者に殺された。私はあの日の会話をよく覚えている。強大な力を持った勇者が攻めて来る事を知った大魔王は、急いで髪と髭を整え、おめかしをして忠臣の四天王を集め、一番ファッションに知識のありそうな一人の女の時空魔術師に聞いた。


「どうだ? ちょっと派手すぎないか?」

「ええんとちゃいます? せっかく難儀して訪ねて来た魔王が地味ぃ〜なカッコしてたら、勇者様もテンション下がりますやろ」

「確かにそうだな。それならこの前買ったあの……」

「あのどぎつい虹色チェックの鎧は流石にあかんやろ!」


 行ってから、女は気まずそうに自分の口を手で隠した。


「なんで? いま派手な方が良いって言ったよな?」

「なんて言いますかね……そや! 結婚式の披露宴に新婦より派手なカッコでくる感じになりますよ!?」

「おいおい! その例えで言えば俺は新郎だぜ!?」

「あ……相手の勇者様、女性の方やと聞いてますし、まぁちょっとあちらさんを立てるくらいが丁度よろしいかな? って」


 そう、私はその時が来るまで強大すぎる魔王を打ち倒す人間が現れるなんて微塵も想像していなかった。ましてそれが柔和な物腰の人間の女だとは、誰一人として詩にも戯曲にも夢にさえも描く者はいなかっただろう。

 決戦の幕間劇、相対した二人は不敵に笑って開口一番こう言った。


「よくぞここまで辿り着いたな、勇者よ。最期に名を聞こうか……こんな感じかね? おまえ達のイメージする魔王ってのは?」

「我が名はシェラハ=ジュエルウォール! 世界の平和のため、秩序と安寧のため、貴様の首を頂く! ……こんな感じかしら? あなた達のイメージする勇者って?」


 二人の笑い声で魔界の湿った瘴気が乾いていく様だった。お互い臨戦態勢の仲間を差し置いて、二人だけで本当に楽しそうに笑っていた。シェラハの黄金の髪は笑うと揺れて煌めき、そのまま空気に溶けてしまいそうに細かった。


「人間ってのは、特に勇者ってのはつまんねぇ輩ばっかりだと思ってたが、案外どうして、おもしれぇのもいるじゃねえか」

「魔族って短絡的で絶望にひた走る馬鹿ばっかりだと思ってたけど、ユーモアと協調性をわきまえる方も多少はいらっしゃるみたいね」


  二人はまた笑った。私にはなぜ笑っていたのか、未だに理解できない。私は五十年経った今でさえ、その焼き付いた記憶、深く刻まれたイメージを思い返すことがある。これから殺しあう初対面の二人がこんなにも打ち解けて、意気投合した戦いは他に見た事が無い。そしてあれほど苛烈な死闘も、まだ他に見た事が無い。


「せっかくだから聞かせてくれよ。なぜこんな辺鄙な魔境まで来た? 楽じゃなかっただろう?」

「そうね。魔族の柄は悪い、すぐ襲ってくる、シャワーもベッドも無ければ空気も悪い、最悪の旅だったわ」


 魔王が倒れると、魔界は次の覇権争いで混乱し疲弊する。その分世界樹側ーー魔界と対をなして法界と呼ばれる世界ーーは平和になる。短くて数年、長い時で数十年の安寧を求めて勇者達は決起するのだ。

 殊にシェラハがもたらした安寧の時代は長く収穫の大きなものだった。覇権争いは長期に渡り皆疲弊した挙句、結局参加もしていなかったニケが掌握し、しかもニケは法族に対して好戦的ではなかったのだ。


「何せ勇者が来たらしこたま豪勢にもてなす様、命じてあったからな。それなのにシェラハ、お前はここまで来た。何がお前をそこまで焚きつけた?」


 魔王城まで辿り着いた勇者に対して、ヴォルゴーは必ずこの質問をした。夢、大志、平和、運命、使命、愛……概ねそんな言葉を並べる勇者が多かった。


「私、婚約者がいるの。しがない農夫なんだけど」

「くだらん! 実にくだらん! 人間という奴はくだらん事で鉄砲玉みたいになりやがるから、そこだけが一番恐ろしいとつくづく思うぜ」


 ヴォルゴーは続きを聞く前に全身を震わせて豪壮に笑った。シェラハも合わせて笑ったが、それは優しく誰かを深く思いやる微小だった。


「私もくだらないと思う……でもあの人と約束しちゃったから。一緒にのんびり農園を開きましょう、って」

「愛ってやつか。愛なんて言葉は人間がテメェ達のためだけに作った言葉だからな。魔族には理解できない類の感情だ」


 農園のために魔王を打倒するものなんかいる筈がない。私はこれも冗談だと思っていたが、数年後にそれが真実だと知った。


「私ってば馬鹿ね。魔王なんか倒さなくったって農園は出来るのに。笑っていいわよ」

「笑わねえさ」


 立ち上がったヴォルゴーは実際、警戒している様に見えた。


「私たちって、こんな出会いでさえなければお友達になれたかもしれないわね」

「今からでも遅くないぞ。どうだ? 降伏すれば魔界でも一等地の城主くらいにしてやろうか?」


 二人はまた笑った。会話のウィットやユーモアと戦闘の強さにはどこか強い相関関係があるのではないか? 私は最近そう考えている。

 シェラハが短く笑い、次に目つきを鋭くした。シェラハの仲間達がそれぞれの武器を構えた。


「そろそろ本題に入りましょう」


 それは激闘だった。ヴォルゴーは魔力を自分の内に燃やす闘士であり、シェラハは法力を変幻自在に扱う術士だった。私は未だに法力と魔力の区別も付かないが、大した差はないと思う。魔族や獣人が使う赤い力が魔力であり、そんな力を宿した石を魔石と呼ぶ。人や妖精が用いる青いエネルギーが法力で、石に宿れば法石だと勝手に解釈している。

 二人のあまりに激しい戦いは魔王の居城を破壊し、ついにはその上の大地と湖を焦熱のマグマに変貌させてしまった。私の体も何度もバラバラになった。

 私はずっと忘れない。マグマに溶けていくヴォルゴーの笑顔を。


「ヴァハッハ! ざまぁねえな、勇者シェラハ。それじゃ農園ができねぇだろ!」

「腕が無くとも仲間が種を蒔くわ。大地が芽吹かせ、雨が育てる。私たちはきっかけに過ぎないの」


 『たち』が誰を含むのか分からないが、シェラハはヴォルゴーをも含んで言った様に思う。シェラハの仲間は全員死んでいたから。


「よくわからねぇな。魔族は壊し、奪う。俺が死んでもそいつは変わらねえ」

「私の庭でもね、鳥や小動物が植物を食べ散らかしたり盗んで行っちゃうの。でも……だから植物は世界中に広がる」


 シェラハは最後の法術の威力を得るため、自らの両腕を犠牲にしていた。法力を使い果たした髪は雪の様に真っ白で、それでもなぜか快晴の青空の様な顔だった。


「この戦いだって、あなたの命だって、きっと何かが花咲くきっかけになるわ」


 私もいつか何かを生み出すきっかけになるだろうか? なった事が一度でもあっただろうか? この言葉を思い出す度に、私はいつも思う。私はいつか悲しくない音、楽しい音楽を奏でたい。


「花も……たまには悪かねぇか」


 それが大魔王ヴォルゴーの最期の言葉だった。法力尽きたシェラハはマグマの横で膝をつく。他は魔王の配下も死んでいたがニケが駆け寄り、マグマに溶けていく父親をじっと見つめた。ニケは先ほどの時空魔術士に匿われ、別に空間に避難していたのだ。


 私は忘れず、語り継ぐだろう。勇者の勇者たる言葉、あの優しい青い瞳に秘めた賢者の覚悟を。そして純真な赤い瞳から流れた涙を。


「私を殺しなさいニケ。もし魔族のあなたにその涙の理由が分かるのなら、私にはあなたに殺される理由があり、あなたには私を殺す資格がある」


 親の死を悼み、涙を流す魔族を見るのはそれが初めてだった。今思い返せば、この頃からニケの途方も無い資質は片鱗を覗かせていたのかもしれない。

 ニケは涙を払って、何も言わずに去ってしまった。その目にはもう憎しみも悲しみも闘志さえも宿っていなかったので、私は更に驚いた。


 ただ何か……覚悟の様な強さだけがニケの瞳を輝かせていた。


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