第17話 少女魔王と農夫勇者 ー2ー
ニケはしばらく一言も喋らなかった。コトルを追って軋む簡素なドアを通り、これまた軋む椅子に黙って座り、コトルが茶を淹れテーブルに並べるのをじぃっと観察していた。私はニケの隣に座った。
「まずっ」
ようやくの一言目が茶を飲んだこの感想だ。コトルは別段気を悪くする様子もなく、ニケの正面に座った。私は二杯目には口をつける気になれなかった。
「申し訳ありません。この辺りでは自然に枯れた茶葉くらいしか採れないもので」
「ふぅん」
「それで? 私に何かご用ですか? 魔物のお嬢さん」
「いや、うち呼ばれて来ただけだし」
「そうですか」
しばらく沈黙が続いた。二人は情報を共有する意思がないのだろうか? そう考えていると、ニケに肘で小突かれる。
「君が喋んなきゃ話が進まないでしょうが」
「私が? 何を喋るんだ?」
「いやいや、『なんでうちをここに呼んだのか?』に決まってるでしょ」
「喋っていいのか?」
「当たり前でしょ。うちなんも事情聞いてないんだから」
「では話そう」
私は斜向かいのコトルをまっすぐ見た。
「この女はニケ、魔王だ。コトルの父親を助け、鎧の男とダンゲーテと私をここに送った張本人だ」
続いてニケを見る。その瞬間のニケは今までに見た事もない、泡を食った表情で小刻みに震えていた。
「この男はコトル。シェラハの子孫でその意思を継ぎ、ずっとこの地を開墾している。コトルはニケがなぜ父親を助けたのか、ダンゲーテや私を送ったのか知りたいそうだ」
私がきっかけ作りのためせっかく珍しく長く説明したのに、二人はなぜかまた沈黙した。しばらくしてコトルがようやく口を開く。
「魔王、あなたが小魔王ニケ」
「信じなくていいよ」
いつも通りの無表情に戻っていたニケは無愛想に、右手を頬杖に窓の外を眺める。
「信じましょう。その赤い角、赤い髪、赤い瞳、聞き及ぶ魔王の特徴そのものだ」
「君はシェラハにそっくりだね」
またしばらくの沈黙。二人は沈黙の中でお互いを牽制している様にも、意思疎通を試みている様にも思える。
「私の父を助けてくれたのはあなただったのですか?」
「助けたのはうちじゃなくて、うちの部下」
ニケはコトルと目を合わせず、ニケはその意識を遠く窓の外に向けていた。外は雲が速く流され、風が古い小屋を吹き鳴らし揺らしていた。
「鎧の魔物と、それにダンゲーテという怪物を送ったのもあなた?」
ニケは答えない。だがその沈黙は肯定の婉曲だろう。コトルもそう解釈したらしい。
「どうしてあなたの父親を殺した相手の子孫なんかに……」
私もそれが知りたい。だからこそニケをここに呼んだのだ。ニケはさらに長い沈黙のあと、ようやく独り言の様に呟き始めた。
「うちはね、戦いは先に進むための道具だとしか思ってないんだ。強い者が勝って、勝った者が生き残る。だから勝ったシェラハの子孫を助けるのは、うちからすれば別に不思議な事じゃない」
私はこの弁解をニケらしくないと思う。ニケとはそれほどまでに合理主義者だったろうか。この言動はガジョウで勇者の一行を殺した行動とあまりに矛盾しないだろうか。
「シェラハ様の農園の夢まで教えてくれたのは?」
「同じ理由だよ」
普段のニケは質問攻めにされる事を厭うが、今回は例外らしい。
「ここに花が咲いた時、何が起きるのですか? シェラハ様はどんな未来を……」
「それは知らない。うちもシェラハの夢見た未来がどんなものか見てみたかった。ただそれだけ」
コトルが悲しそうな顔をした。少ししか表情は動いていないのに、とても悲しそうな顔だ。
「私が不甲斐ないばかりに、その夢はまだ志半ばです」
「半分は叶ってる」、ふいにニケはコトルの瞳を見つめて微笑んだ「だってシェラハと同じくらい強い君はこの荒野に育った。少なくともうちの理念の半分は息づいてる。うちはそれで十分」
どこまでもニケらしい言葉だ。私の中に立ち籠めていた暗いわだかまりが少し晴れた。ダンゲーテや私なんか遣わさず、初めからニケがこの言葉を届ければよかったのだ。ただそれだけでよかったはずだ。
コトルも笑っているが、なぜか少し震えていた。
「いずれにせよ、あなたがいなければ私は生まれていなかったのですから、ニケさんは命の恩人に違いありません。何かお礼をさせてください」
「『ニケさん』って……別にいいよそんなの、いらない」
「しかしそれでは……」
食い下がろうとしたコトルをニケが制した。
「じゃあここを一面の花で埋め尽くしてよ。そしたらうちはまたここに来る。その時はここで採れた美味しいお茶が飲みたいな」
ニケが相手の表情に少し目を見開いた。コトルは目に涙を湛え、続く言葉が震えていた。
「全力で、この命に代えてもいつかそのお礼を……必ず」
「いやそんなオーバーな。用済んだならうちもう帰るよ」
言い急いでニケは足早に外へ逃げようとする。
「待ってください!」
コトルの目にもう涙はなく、別の何かがその瞳を奥から輝かせていた。私はこの目をいつかどこかで見た気がする。
「なに?」
「あなたの願いを叶えるために、一つだけ協力して頂きたいのです」
コトルはニケと似た目をしていた。それも父の死を眺め、涙を振り払ったあの時と同じ目だ。ニケも口を噤んでまっすぐにコトルを睨む。
「ここに根付きそうな植物で、まだ試していないものが二つあるのです。ですがそのどちらも非常に手に入り難い」
ニケは顎に指をかけ俯いて首を傾げた。そしてコトルの言葉を反芻しながらゆっくりと返答した。
「なるほど。世界樹と魔界樹なら……確かに」
「細い枝一つで構わないのです。接ぎ木するだけで多少なりとも成否やヒントが得られるかもしれません」
「うん、面白いかもしれない。やってみよう!」
こうなったニケに、常々ミハスは手を焼き続けている。興味本意で雲の果てまで突っ走り、火の玉となってしまったが最後、手に負えない。コトルは小さな荷物だけを小屋から持ち出し、すぐに準備を完了した。外に出るともうゲートが出来上がっていた。
「ほら、二人とも早く入って」
「何から何まで……ニケさんの好意、言葉だけでは報いきれません」
「言葉だけで十分だし、言葉も成功してからだよ。早く行こう」
コトルはさっそくゲートに入っていく。私がその場に立ち尽くしているとニケも私をじっと見た。
「早く入ってよ」
「私も行っていいのか」
「当たり前じゃん。ここが好きなら残る?」
この辺りには何もない。一番近い街までどれだけ歩けばいいか知れたものではない。
「では行こう」
二人の邪魔をしてはいけない気もするが、本人が来いと言うのだから問題ないだろう。それに私も顛末を見届けたい……というか……
「できれば本来の目的地であるセドゥンピアまで送ってほしいのだが」
「そんなのは後回し後回し。早くして」
私がこんな風に追従していたからヴォルゴーは私を家来とはき違えたのかもしれない。まあ退屈しなければどこでもいいだろう。楽しそうに生きる者達の人生を追いかけていると、不思議と退屈しないものだ。
そんな懐古を胸にまたゲートをくぐると、そこは戦場だった。




