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吟遊詩人の幻想曲  作者: 烏合の卯
少女魔王と農夫勇者と吟遊詩人
15/38

第15話 吟遊詩人と荒野灌漑

 百年近く前、私はヒビだらけの荒地……太陽に焼き尽くされた焦土で偉大な勇者の後日談を求めて、シェラハの農園を手伝った。


「じゃあ私の手足になってよ。泣き虫さん」

「断る。面倒だ」


 シェラハの白い肌と白い髪は空に溶けてしまいそうな儚さがあった。どうしてこんな経緯になったのかはよく覚えていない。出会った頃、彼女は私をなぜか泣き虫と呼んだ……そうだ、絵本に私そっくりの泣き虫が居たらしい。


「ほかに頼る人もないのよ。それにきっと、あなたなら私の願いを叶えてくれそうな気がするの」

「根拠は」

「だってあなたは私の大好きな泣き虫さんにそっくりだから」

「意味が分からない」


 シェラハは私をさんざんこき使った。私はシェラハの夢の行く末を見たくなって、一年ほどそばにいた。

 魔界樹からも世界樹からも最も遠い地、魔術も法術もほとんど使えないその土地は、昼暑く夜寒かった。凍りそうで透き通った夜空に鍬を掲げ、私は夜空を見上げた。孤独で綺麗な白い月は、孤独という一点を除けば私と正反対だ。綺麗と醜い、明るいと暗い、何より月は、音楽なんか奏でない。


「たまげたぁ……アンタずっと作業してたんさ?」


 太った、冴えない農夫が聞いていた。シェラハの夫だ。彼に言われて、私は灌漑を行っていた。


「作業しろと言ったのはお前だろう」

「作業しろっちゃあ言ったけんど……こんな夜更けまで休みもせずに鍬ぶん回してるとは思わなんだ」


 私は初めてこの男を見た時シェラハに嘘を吐かれ、揶揄われたのかと疑った。

 歴史に名を刻む偉人、シェラハ=ジュエルウォールのパートナーとは到底思われない男だった。容姿、実力、経歴、家系、素養……どれを取っても一流と呼べるものは何もない、本当に素寒貧の男だった。


「休めとは言われていない」


 私は疲れたり、眠くなったり、腹が減ったり、激しい痛みを感じたりしない。おそらく死んでいないだけで、真の意味で生きてはいないだけだ。


「休んでくれ。一日二日休んだってかまわねぇから。そんなんじゃ体もたねぇべ?」

「では休もう」


 強いて言えば優しい男だったかもしれない。次の日の朝にはシェラハがやってきた。


「あなたってやっぱり変わってるわ。ナンセンスって言うのに、こんなにも一生懸命手伝ってくれるんだもの」


 こんな不毛の荒野を灌漑しようが、種を蒔こうが、花が咲こうがナンセンスだ。それは真理に近いのではないだろうか?


「お前が大切な意味があると言うから、その意味を探している。無意味だと思ったら出て行く」

「ここは魔界樹と世界樹からもっとも遠い場所。マナが無いから植物も動物も育たない。魔法が使えないから簡単には水も引けない」

「種を蒔く意味が無い」

「そう思う? もしこの大地に芽吹く命があったら、それは世界を変えるわ。少なくとも私はそう思っているの、泣き虫さん」


 『この大地に芽吹く命があったらそれは世界を変える』。あの時、彼女は確かにそう言っていた。


「泣き虫ではない」

「私が小さい頃よんだ絵本にね、あなたとそっくりな少年がいたの。黒い帽子に黒い髪、黒いコートに黒いズボン、青い瞳はいつも涙を流している」


 私は鍬を振るう片手間にそれを聞いていた。子供みたいに楽しそうに話す彼女が疎ましかった。


「私の目は緑だ。少年でもない」

「それに楽器も背負ってない」

「全然似ていないじゃないか」

「でも違う物をいつも背負っているの。それは大きい柱。なんでか分かる?」

「馬鹿なんだろう」


 私は鍬を突き刺して杖代わりに休んだ。シェラハが下らない話をするのに私だけ働くのは馬鹿らしい気がした。今にして思えば、あの時は徒労に徒労を重ねるだけのナンセンスの塊みたいな生活だった。


「少年の覚悟なのよ。最後は自分を磔にするために持ち歩いているの。だから彼の歩いた後にはいつも一本の太い溝が残る」

「ナンセンスなストーリーだ。最後はどうなる」

「それを聞いてしまっては面白くないでしょう? いつか自分で読んでみるといいわ。私は母さんが寝る前に聞かせてくれるその話が大好きだった」


 子供の頃を懐かしむ彼女は、少女そのものだった。私は鍬を杖にその顔をボーっと見ていた。結局、絵本なんて読む機会はなかった。


「少なくとも私ならそんな徒労はしない」

「じゃあお名前は?」

「忘れた」

「じゃあ私が付けてあげるわ」

「必要ない」

「ならずっと『泣き虫さん』のままね」

「好きにしろ」


 この時、両腕が無く、法力を使い果たしたシェラハはすでに弱っていた。王都に行けば法術による治療も出来たはずなのだが、逃げ出す様に荒野へ移り住み農業を始めた……農業を始めた、というのは語弊が大きいかもしれない。農業に至るか怪しい、ボロボロの礎を積み始めたに過ぎない。

 次の日も私が水路を掘る、乾ききって殺風景な荒野の作業場までシェラハはやってきた。


「ずいぶん進んだわね。助かるわ」

「やはりナンセンスだ。水を引いたところで作物は育たない。育ったところで食べる生き物もいない」

「あなたはシステマチックに物事を考えるのね、リュート」

「リュート?」

「私が考えたあなたの名前。どうかしら?」

「必要ないと言っただろう」

「彼が『泣き虫さん』なんて呼ぶのは失礼だって言うのよ」

「なら好きにしろ」


 私は話を戻した。


「合理的なら、それに越したことはない」

「合理的にもいろいろあるわ。そもそも『法族の合理』と『魔族の合理』じゃあまるで違うもの」


 納得できる気もするが、私にはよく分からなかった……未だによく分かっていない。


「無駄を省くのが合理だろう」

「場所や種族、価値観や宗教によって『無駄』の定義なんて曖昧よ。もしかしたら……いいえ、今なら確信を持って言える。ここを耕す事より、ヴォルゴーを殺した事の方が、私にとってはよっぽど虚しかった」


 私はその言葉を反芻した。この地味で虚しく思える引水が大魔王討伐よりも大きな意味を持つとは考え至らなかった。


「ここに水を引く事が、お前にとっては有意義なのだな?」

「無駄かもしれない。多くの人にとっては無駄かもしれないけど……私は世界の未来のために大切な事だと思っているの」


 『世界の未来のために大切な事』。他の誰かが言おうものなら非現実的に聞こえるかもしれないが、他ならぬ大賢者シェラハの言葉だ。私はその言葉の指し示す未来を見てみたかった。

 だから私は遥か遠くの川まで水路を掘った。シェラハの夫と二人がかりで、どれだけの時間が掛かったかは覚えていない。

 灌漑最後の日、私が鍬を振り下ろすと、泥水が吹き出した。もう一撃加えると濁流になった。さらに何度か打ち下ろす合間に水流はどんどん激しくうねり、私は立っていられず流された。そのままシェラハの農地まで流されて行こうかと思ったが、時間が掛かりそうなので岸に上がって服を乾かしながら、水路と並行して歩いた。

 乾いた大地に搾取されながら、それでも水は物量にものを言わせて押し進む。


「やはりナンセンスだ」


 一人言の続きを私は内心で水流に語り続けた。

『お前たちの行く先には枯れた荒野しかない。お前たちは虚しい方角に流れている』。

 だがその続きに、シェラハの言葉が思い出された。


「あるいは、お前たちが世界の未来を変えるのか?」


 その後シェラハは子を産み、すぐに死んだ。死因は腕の傷口から入った瘴気によるものだとされているが、真相は分からない。

 母の死を理解出来ない赤子は笑い、夫の農夫はシェラハを抱いたまま、嗚咽を漏らし続けた。


 未来は閉ざされたものだと私は解釈した。この冴えない農夫一人ではシェラハの英知を引く継ぐ事など到底できない。私はもうそこに用がないので、荒地をしばらく眺めてから旅立つ事にした。数ヶ月の間に撒いたあらゆる種や実、植えた草はどれ一つ芽吹かず、成長しなかった。乾きひび割れた大地に、水はただ染み込んでいく。


 あの大地と水に意味は無い。私と似ている。


 少し経つと、どこから聞きつけたのか、四皇院の祭服を着た集団が物々しい様子で詰め掛けてきた。

 大賢者シェラハ=ジュエルウォールという物語の締めくくりを見届けるため、小屋に戻りその事を農夫に伝えた。農夫は泣き止み、我が子に母の最期の顔、安らかな寝顔を見せていた。


「四皇院かぁ……仕方ねぇべ。逆らっても殺されるだけだ。シェラハもずっと前から覚悟はしてたさ」


 私もシェラハを覗き込む。今さら思い出したが、私はこの瞬間、シェラハの安らかな死に顔に疎ましさ、ある種の嫉妬を覚えた様に思う。


 彼女は彼女の人生を颯爽と走り抜いた。ただただ世界の未来のために駆け抜けた。それが彼女にとって誇らしかったのだろうか? 辛かっただろうか? あるいは楽しくて幸せで、喜びの空に飛んでいく思いで死んでいったのだろうか?


 それが全く理解できない自分自身が疎ましかった。きっと私は私の知らない彼女の人生が羨ましく、味わったであろう生そのものを理解出来ない自分に劣等感を覚えたのだ。

 たぶん、そんな負け惜しみが口を衝いた。死んだ彼女を罵倒した。


「だから言ったのだ。こんなところを耕すなんてナンセンスだ、と」


 すぐにやってきた四皇院の司祭はシェラハの遺体だけでは飽き足らなかったらしい。まだ生後二ヶ月の赤子も要求した。私はずっと気配を消して傍観していた。


「その子を早く渡せ」

「自分の子を育てる権利くらいはあんだろ? あんた達にも人の心があるなら分かってくれんだろ? なあ?」


 背の低い四皇院の高官は声高く、誇らしげに喋っていた。


「その子には賢者の素質がある。こんなところでは才能どころか命が尽きてしまいかねん。これは四皇のご勅命だ」


 農夫は泣きながら懇願し続けた。


「勘弁してくれ。その子とシェラハが俺の全てなんだ」

「安心しろ。お前も疫病で死んだ事になる手筈だ」


 光の矢が二本、たて続けに農夫の頭を打ち抜いた。最強の勇者シェラハの夫はあっけなく、声も立てずに崩れ落ちた。

 数人が小屋の奥にずかずかと踏み込む。


「子供が見当たりません!」

「探せ! この家の中にいない筈がなかろう!」


 その時は私も何が起きたのか見当も付かなかった。小さな寝台で寝ていたはずの赤子は結局見つからず、結局四皇院は農夫を焼き、シェラハの遺体だけを持ち帰った。

 私は事の顛末をすっかり見届け、とっくに済んだ旅支度のまま外へ出る。農夫とシェラハの物語を振り返り、旅中でどう伝えようか、どんな音に乗せようか考えるうちに、一つの事に気がついた。


「そういえば一つだけ、ここに芽吹いた命があったな」

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