第14話 吟遊詩人と旧知荒野
乾いた荒野の砂埃を強風が吹き飛ばしていた。どこか懐かしい匂いがする。
「どこだここは」
懐かしい土地、古い記憶に残る風景を目の当たりにすると、深層に埋没したシーンをフラッシュバックする事がある。
ここがどこかさえ思い出せないのに、誰との会話だったかも曖昧なうちに、私はここで誰かと交わした言葉を反芻していた。
「だから言ったのだ。こんなところを耕すなんてナンセンスだ、と」
ここで誰かにそう言った記憶が確かにあるのだが、誰に対して何故そんなことを言ったのか、一向に思い出せない。上を見ても歯車どころか雲一つ無い。久しぶりに見る太陽は格別に眩しく、私は目を細めた。少し経って慣れ始めた目が捉えた景色は、荒れた大地に禿げた山々が見えるばかりだ。魔界樹からも世界樹からも遠そうだった。
ニケが失敗したとは思えない。何か良からぬ企みに巻き込まれて、この荒野に置き去りにされたのだろう。どう見てもセドゥンピアではない。
「今度はゲートから人が出てきた。あなたも私を殺しにきたんですか?」
後ろの声に振り返る。陽光を乱反射する金髪、優しそうなのに鋭い碧眼、私は脊髄反射的に叫んでいた。
「シェラハッ!」
「前にも同じようなことを……あなたは確か、レラにいた」
「ああ、あの時の」
レラを出た街道で私がシェラハと見間違えた男だ。そして私は思い出す……あの言葉は死んだシェラハの、満足そうに閉じた目に吐き捨てたのだ。
そして私がなぜこんな場所に流されたのか、ようやく理解した。
「私も見ましたが、シェラハ様にそんなに似ていますか? まるで生前を知っているかのような言い方ですね」
どこまでも柔和な物腰、どこまでも遠くを見る美しい目、そこに立っているのは見れば見る程、背の高いシェラハだった。
生きていた時のシェラハはこんなにも美しい瞳でいつでも遠くを見ていた。広くて遠い未来を描いていたからこそ、あそこまで苛烈で絢爛な激闘を繰り広げたのだ。
冷たく保存された今のシェラハの目は法石のそれだ。綺麗で永続的かもしれないが、未来を見てはいない。ただそこにあるだけで未来を変えたりはしない。もう出来ないのだから仕方がない。
「どうしたんですか、押し黙って」
「いや、なんでもない。敵でもない」
「敵でなければお茶の一杯でもお出ししますよ。せっかくこんな辺鄙なところまで来たんですから」
私はさらに辺りを見渡した。よく見ればここは確かに生前シェラハが開墾していた土地だ。昔よりは白い草木が目に入るが、どれも枯れたり萎れたり、辛うじて死から逃げ延びている様に見える。あの時と何も変わらない。
私はシェラハが死ぬその日まで、一緒に荒野を掘り返し、水を引き、種を蒔いていた。そしてそれはやはりナンセンスな行動だった。私が正しかったのだ。
「こんなところで、まだ開墾を続けているのか?」
「まだ? 続けている? ますます変わった物言いですね。立ったままでは失礼ですから、まずは家までいらっしゃいませんか?」
私はイライラした。その憤りがどこから立ち昇るのか理解できない歯がゆさが苛立ちを倍増させた。
「それでいいのか? お前を殺しに来た魔族かもしれないぞ。嘘をついているだけかもしれない」
青い瞳が私を優しく見据える。私はこのシェラハの眼が好きで、苦手だった。
「でもあなたは魔族じゃない、違いますか?」
私は何者でもない。何者にもなれない、下らないモノだ。その言葉が何故か言いづらくて、私は帽子で顔を隠した。
「魔族でないから人とは限らない」
「どちらでも構いませんよ。それに私、けっこう魔族を信用していますから」
結局、私は遠くのボロ小屋、シェラハが暮らした家を補修し続けたであろう土造りの家まで案内してもらった。
小さな机に積み重なった本を退け、彼は茶を出してくれた。白っぽく濁った苦い茶はあまりいい味ではなかったが、黙って飲んだ。至る所に積まれた本は、どれも古かった。
「不味いでしょう? ここからそう遠くない地域で採れた茶葉なんです」
「飲めれば問題ない」
「それで、どうしてこんな辺鄙なところへ?」
向かいに座った青年は声を聞かなければ男女の区別がつかないほど中性的な顔立ちをしている。その顔が少しだけ笑った。笑った事は分かるのだが、それ以上の事は分からない笑顔だ。それが私と彼の距離感だと思った。
「知らない」
「面白い人ですね。この前、同じ様にゲートをくぐって来た魔物は恐い顔つきで『お前を試しに来た』って言ってましたよ」
ニケにいっぱい喰わされた。ダンゲーテの次の弾が私というわけだ。
「ダンゲーテという名前だったはずだ」
「ええ、そう名乗っていました」
種族も性別も容姿も雰囲気もまるで違うのに、私はなんだかニケと話しているような、不思議な気分になった。『敵や味方』といった二元的な区別をしないあたりが似ているのだろうか? だがニケと違って、その顔をまじまじと見るのが憚られた。射抜かれそうな、見透かされそうな力が瞳にある。
「その男はどうなった?」
「どうやっても引いてくれなかったので、止む終えず殺しました」
まあそうだろう。彼がそれほどの実力者であることも、さほど不思議に思われなかった。
「粗暴な男だった」
「ええ、まさにそんな感じでした」
「生きるために戦うタイプだった」
「それはどういう意味?」
そう訪ねる一瞬の表情は無垢な少年のようだった。年齢を悟らせないような顔立ちをしている。きっと年を重ねても、顔のどこかに少年を宿し続けるタイプだ。
「大した意味はない」
また茶をすすったところで、男は吹き出した。心の底から、と言うより腹の底から笑い出した。『上品』に『大笑い』という、大きな矛盾を器用に孕んだ笑いだった。
「すっごく変な人ですね。いったい本当に何しに来たんですか?」
「本当に知らない。私が聞きたいくらいだ」
面倒なのでニケとの経緯を全て話そうとも思ったが、その途中でニケに真意を自分なりに推察する。
そうだ。ニケは確か恋人を欲しがっていたはずだ。私に見立てを望んでいるのか?
「ところで、妻か恋人はいるのか?」
「伴侶も恋人もいませんが、でもどうして? あなたって発想がとても唐突ですね」
稀に言われる事だが私はあまり気にしていない。赤の他人同士の発想が、全て枠組みに収まる方がおかしい。ニケの方がよほど話が飛ぶ。
「さっきの続きだが、なぜこんな痩せた土地で開墾をしている」
「また話が飛んだ。私は質問に一方的に答える立場なんですね」
「私に質問があるなら答えるが」
「ではまず、あなたのお名前は?」
名前は無い。そう答えようと思ったが、昔シェラハにもらった名前を思い出した。気に入ってしばらく使っていたが、彼女の死後、使うあてもなく忘れた名前だ。
「いつか、リュートと呼ばれていた」
私はこの名前で、彼に自分の事を気づいて欲しかったのかもしれない。彼が私の名前を知っているはずなんかないのに……私のカップに茶を注ぎながら、彼はまた笑った。
昔からそうだがどうも彼、というよりシェラハの前では、私は私の心を上手く取り扱えない……彼の前では私の心は動かされているのか? そう思えば貴重な体験だ。
「そんな名乗り方って初めて聞きましたよ。リュートさん」
「私も名乗るのは久しぶりだ」
そういえば、私はあまり名前を聞かれない。ニケに名乗った事はあるが、呼ぼうとはしない。もっと以前にも違う名前があったが、もう忘れてしまった。
「私の名前はコトルです。ご明察の通り、大賢者シェラハ様の末裔……と教わりましたが、本当のところは知りません」
末裔どころか時間と空間を凍結して保存されていた双子かもしれない。
「この土地については何も教えたくないようだな、コトル」
「別にそんな事はありませんが、なぜそんな事を聞きたいんですか?」
ふと、殲竜に『会話が下手ではない』と言われた事を思い出す。私は気の利いた言葉のやりとりが出来ているだろうか。
「興味本位だ。シェラハといいコトルといい、こんな痩せた土地に挑み続ける理由が分からない」
「妙ですね。シェラハ様がここで畑をやっていたなんて事、今では誰も知らないはずなんですが」
先ほどから喋りすぎている事には気付いていたが、別に遠慮はしなかった。私は知り合ってまだ間もないこの勇者、今はただの農夫かもしれないが、とにかく彼の行く末を知りたくなっていた。またあの輝き、火花のように儚く尊い物語が見られるかもしれない期待感に想いを馳せていた。
それと同時に、なぜか私の奥底に得体の知れないわだかまりが募る。
「そこは重要じゃない」
「あなたにとってはそうかもしれませんが、私にとっては重要かもしれません」
こんな会話をしていればこんな展開にもなる。私は心のどこかでそれを期待していた。信じてもらえない事を話すのが嫌だった。それなのに、彼に嘘を吐くのが憚られた。
「私はシェラハの開墾を手伝っていたんだ」
「やっぱり! そうだと思いました!」
十中八九否定されると思った言葉に、なぜかコトルは嬉しそうに確信した。それもとびっきり。
「信じるのか?」
「信じますよ。むしろあなたが最後の糸口かもしれない!」
「まさか、まだ灌漑しているわけでもあるまい」
「ええ、外の川を見ましたか? 水を引くまでに何年かかったかも分かりませんが、とにかく水はあるんです」
灌漑は私も大きく貢献した作業だ。
「こんなところを耕すなんてナンセンスだ」
私はまたこの言葉を繰り返している。繰り返せば繰り返すほど、それが負け惜しみの様に自分に返ってくる。だがシステムとしては間違っていない。
『雑草の一つも芽吹かない広野に水をひき種を蒔くなんて、ナンセンスだ』
「もし知っているのなら教えていただけませんか? なぜシェラハ様はこんなやせ細った土地で農作をしていたのか」
「知らないでやっているのか」
「最近分かってきました。でも確証が欲しいんです」
「私も詳しい理由は聞いていないが……」
ずっと一定だったコトルの声がわずかに昂ぶっていく。私は自分の過去を遡行しながら、何か大切な記憶を求めて話し出した。
偉大な勇者=大賢者シェラハが死ぬまでの数ヶ月、私はここで暮らしていた。




