第1話 吟遊詩人と法石炭鉱
王都から遥か田舎の『ディケティア』。この廃れた炭鉱の町が私は好きだ。
200年ほど前、先先代の魔王が猛威をふるった時代、魔族に対抗する生命線だった特需の『法石』を産出する鉱山がこの辺りで見つかると、人や獣人、妖精が押しかけて、この町は雑煮みたいにごった返して煮え立った。
しかし近年は赤茶けたボロボロの煉瓦とそれに蔓延る青い苔が佇むだけで、ささやかな観光収入と未だに法石ラッシュの陶酔を忘れきれない高齢者で辛うじて成り立っている。
法石鉱山は枯れてしまったのだ。
私が初めてこの町を訪れた200年前、往来を行き交う町娘は舞い踊り、鉱夫は賭場に臨むような怪気炎でツルハシを掲げて洞窟に出入りしていた。その頃はまだ煉瓦の朱色も毒々しく、私は躍起に浮かされた人々や町が好きになれなかった。
私はやかましい所が嫌いだ。
だから食い扶持が減り、人や活気が減るにつれ、だんだんディケティアを気に入った。私は吟遊詩人なのに、大抵人気のない場所と時間を選んで弾いている。
「お兄さん一人っきり? 昨日も一人で弾いてたよね?」
「友達がいないものでな」
何の気なしに楽器を奏でているとこの町では今は珍しい若者、やせ細った少女に話しかけられる。一昔なら考えられなかった好待遇だ。
「でもすごく上手。たまに旅芸人とか流しの音楽家? みたいな人が来るけど、あなたのが一番綺麗な音色」
「これしか取り柄がないんだ」
私は綺麗という褒め言葉があまり好きではなかった。よく言われるからだろう。何となく社交辞令のような印象を受ける。
「とっても練習したんだね」
「いくら練習しても人気は出ない」
「そんな悲しい曲ばっかり弾いてるからじゃない?」
「そんなに悲しそうか」
私は手にした弦楽器を調律してみたが、音は全く狂っていなかった。
『悲しい』、『寂しい』。
相手が人間だろうが魔族だろうが、私は最高の曲を弾いてきた。だが言われる感想は概ねこの類だった。
しかし私はどうしても『悲しい』という感情を理解できない。それを理解できたら、私はもっと人を魅了するメロディーを奏でる事が出来るだろうか? 逆に『楽しい』とか『嬉しい』という感情を理解するべきだろうか?
自分にない感情を考えたり理解する事は大変難しい。
「うん、すっごく悲しい」
「ではこの町か侘しいのだろう。この町を音にしていた」
私は言い訳がましく吐き捨てて彼女を見た。よく見れば、どこか見覚えがあった……つい最近、この町で見たような気がした。
「君はどこかで……そうだ、ヴァレスティだ。久しぶりだなヴァレスティ」
「やだな、お兄さん。私ヴァレスばあちゃんじゃないよ。何? なんかのいたずら?」
魔族も人間も寿命は短い。この前出会ったばかりのヴァレスティはもう子を産み、その子がまた子を産んだらしい。
「……いや、人違いだった」
「すごい偶然だね。ばあちゃんの名前珍しいのに。しかも顔が私にそっくりだったの?」
「ああ、とても似ていたよ」
言われて思い返せば、ヴァレスティに出会った頃のこの町にはまだ活気があった。確か彼女は廉価な剣や盾を鋳造する仕事をしていたはずだ。ついこの前見たような彼女の青い瞳が私の楽器を見つめている。
「その楽器、なんて名前? 見た事ないな」
「名前はない。私が作った」
私が弦を撫でると音が流れた。ややもすると悲しいのはこの楽器の音色そのものかもしれない。
「ねえ? 楽器作れるの?」
「これ以外は作った事がない。音色くらいはわかるが」
それを聞いた途端、娘は目を輝かせて私の腕を引っ張った。希望を見つけた人間に特有の反応だ。低級な魔族にはほとんどその光が見られない。
「ねえ吟遊詩人さん! ちょっとこっちきて!」
そう誘われて袖を引っ張られ、連れ込まれたのは町工場だった。鉄や呪物を放り込む炉が水色の煙を噴き上げている。やはりそこはヴァレスティの住んでいた長屋の一角だった。
「おうアニスティ。誰だその男は?」
そう言って鉄仮面を被った体格のいい男が仮面を上にはけた。
「ねえパパ、この人楽器を作れるんだって! だから私の楽器の音、調整してもらうんだ!」
「お前まだあれ捨ててなかったのか」
工場の隅の木箱に隠されていた管楽器を取り出して、少女はさらに目を輝かせる。私は楽器が作れるとは一言も言っていないし、引き受けてもいない。
「ママが作ったこの楽器、ちゃんと音が出るようにできない?」
先端が花弁の様に開いた銀色のそれを私は吹いてみた。音は出るが難しい。音色が安定しない。だがアニスティと呼ばれた少女はその音色で満足したらしい。
「うっそ!? 信じられない! どうやって吹いてるの? 壊れてなかったの?」
「少し壊れている。それに音階の調律も必要だ。改良は出来るだろうが……」
「ホント!?」
少女アニスティはもう楽器が直ったかの如く、パッと表情を綻ばせで私の腕をとった。
「嘘を吐くのは得意じゃない」
「直して!」
「断る。私は旅を続けるんだ」
「えー、ちょっとくらいいいでしょ? そんなに急ぐ旅なの? 目的地は?」
「目的は……無いが……」
詩人、特に私の様な遠方秘境の語り草を好んで歌い継ぐ吟遊詩人としての特質か、一所に留まらない事が習慣化していた。誰かが引き止めなければ雲のように彷徨い続ける。こんな事を始めたのは……いつだったろうか? もう思い出せないほど昔の話だ。
「お願い。ママの形見なの」
結局、私はアニスティに根負けし、しばらく工場の地下の一角を借りて楽器を打ち直した。熱しては成形し、だれにでも安定した音が出せるシステムを考えた。
数日後の深夜、金槌を振るっている私をアニスティの父親が訪ねてきた。
「あんた、ただの吟遊詩人じゃなさそうだな」
「そうだな、つまらない吟遊詩人だ」
「こんな田舎町になんの用だい? 聴かせる相手もいないだろ?」
「人混みが苦手なんだ。うるさい所も」
だが不思議と、今響かせている金槌のけたたましい声はうるさく感じない。
「寝ないで大丈夫なのかい? 食事もしてない時がある」
「だから痩せている」
私には魔族にも人間にも無い奇妙な特性がたくさんある。寝ないでも大丈夫だったり、食事をしなかったり、死ななかったり……そうだ。私が旅を始めた最初の目的は、私自身が何者かを探すためだった。
「変わった男だ」
「平凡ではないかもしれない」
私は一心不乱に槌を叩き続けた。システムを考えるのは楽しい。そこに答えと終わりが存在するものは美しいと私は考えている。だから死なない私、終わりのない私は美しくない。永く生きすぎた自分自身に辟易しているのかもしれない。
私は私が嫌いだ。
火は美しい。一瞬に咲き誇る火花の一つ一つが鉄の性質を伝え、叩く金槌の音は最適な厚みを教えてくれる。だから金槌と金属が織りなす音も美しいのだ。
10日ほどかけて完成した管楽器は思いの外複雑に入り組み、迷路みたいにうねっていた。私はそれを吹いてアニスティに聴かせた。
「すごい……でもやっぱり悲しい音色になるのね」
「これも悲しいのか」
「とっても悲しいよ」
やはり楽器ではなく私の奏でる音色や曲調に原因があるらしい。
「そんなに言うならお前が楽しい曲を吹いてみろ」
アニスティはどうも管楽、というより音楽全般の才能がなかった。いくら教えても音の理解が遅く、てんで形にならなかった。寂れた炭鉱の町に相応しい、鉄の不協和音だ。
「音楽の才能は無いようだな」
「でも私の音の方が楽しそうだよ」
「楽しい不協和音……か。ナンセンスだ」
「吟遊詩人さんって、言いたいことズバズバ言うよね」
馬鹿にした訳ではなく、悲しい協和音と楽しい不協和音、どちらがナンセンスか真剣に考えてみたが結論は出なそうだった。私は楽だからしたい事をして、聴かせたい音を奏で、好きなように放蕩する人生を送っている。旅を始めた頃は自分自身が何者かを探すために放浪していたはずなのに、今となっては手段が目的になってしまった。
「だがアニスティ、お前には絵の才能がある」
「こんな炭の絵じゃ一リルにもなんないよ」
私は壁にかかった一枚の絵を見た。そこには炭で擦って描かれた、美しい老婆が長椅子に座っていた。年老いても色あせない、私の中で鮮明に残るとヴァレスティの笑顔だ。
「悲しいだけの私の音楽でも、毎年千リル稼げる」
「年に千リルじゃ暮らしていけないよ」
千リルあれば、人間の一ヶ月分の食糧くらいは買えるだろう。私は食事をしなくても死なないので問題がない。楽器作りと酒代、それにシャワーを浴びたくなった時の宿賃に費やすくらいだ。
「暮らしていくための才能ばかりではない。そんな才能の方が稀だ」
「それはそうかもしれないけど」
「芸が身を助ける事もある」
「じゃあお礼に吟遊詩人さんの絵を描いたげるよ!」
「礼なら必要ない」
私はディケティアで二週間近くも空き家に住み、アニスティにパンや水をもらっていた。いらないと断ったが、聞き入れてもらえなかった。別に描いて欲しくもなかった。
「餞別だよ。それに私の絵の練習でもあるから。せっかく才能あるって褒められたしね!」
「では好きにしろ」
私は坂道に立っていたのだが、カンバスと炭を持ってきたアニスティは色々と指図した。
「そんな風にぼーっと突っ立ってても描けないから!」
「どうしろと?」
「吟遊詩人なら歌わなきゃ、弾かなきゃ」
「何がいい?」
「なんでもいいよ、あ! 足組んで! その方がバランスいいから」
蒼い空の下、遥か西に法界の中心でありその象徴、世界樹の青いシルエットが霞んでいる。思い返せば、先代の魔王を倒した勇者もあの万丈の巨木の麓にある王都レラの出身だった。私は思い返しながら坂道に座り足を組んで先代の魔王の戯曲を調べに乗せた。