ビー玉遊び
おとうちゃんはね、兵隊さんに行ったの。
おかあちゃんはね、知らない男の人とどこかに行って、帰ってこない。
それっきりよ。
おにいちゃんは、三日くらい前から、座ったまんま、お目目をつむって動かない。
ハエがね、おにいちゃんのお顔のまわりを飛ぶのよ、ぶうううんって。
わたし?
わたしは、ひとりで、ビー玉遊びをしてる。
でも、雪路ちゃんが来てくれたから、ひとりじゃあなくなったの。
うれしい。
わたし、ほんとにうれしい。
ね、いっしょにビー玉遊びをしましょう?
それは雪路ちゃんは男の子だから、退屈だって思うかもしれないけど。
いいでしょう?
最近は、飛行機の、怖い音がごうごうして、あっちこっちで火の手があがるわ。
ぽ、ぽ、て。
人も燃えるの。
わたし、見たわ。
燃えながら川に転がり落ちてゆく人が、たくさん。たくさんよ。
わたしは防空壕に入ったり、お隣のおばさんに手を引かれて逃げたり。
だから、わたしは今でも生きてるの。
雪路ちゃん。
雪路ちゃん。
でもわたし、ほんとうは怖いの。
いつかわたしも火だるまになるんじゃないか。
いつかわたしも飛行機に穴だらけにされるんじゃないか。
いつかわたしもおにいちゃんみたいに顔にハエがたかるんじゃないかって。
夜は怖くて怖くて、歯の根も合わないくらい。
おかしいでしょう、こんなに暑い夏なのに。
ねえ、雪路ちゃん。
わたしをお嫁にもらってくれるって言ったの、ほんとう?
ほんとうにほんとう?
そう。
わたしが死んでも、お嫁にもらってくれる。
男の人は、みんな嘘つきだっておかあちゃんは言ったけど。
雪路ちゃんは、違うよね。
雪路ちゃんは、違うよね。
ねえ、悲しそうな顔しないで。
ビー玉遊びをしましょうよ。
ビー玉は、いいわね。まあるくってどこまでだって転がってゆけるわ。
怖い爆弾もなあんにもないところまでゆけるわ。
自由よ。
「ねえ、悲しそうな顔をしないで。ビー玉遊びをしましょうよ」
長年連れ添った妻が、うわごとに語る。
もうあと少しで、天に召されてしまう命が、その死の門をくぐる直前に、幼い日の出来事を、夢に見ているのだろうか。
私は妻の枯れ木のような手を握り、擦り、息をはあと吹きかけた。
今はあの日と同じ夏で、気温は暑いくらいだったが、妻の溶け出ようとしている魂の器が、少しでも長く温かに留まるようにと願って。
私は約束を果たした。
懸命に生き延び、働き、妻と二人三脚で生きた。
だが妻はもう先に逝くらしい。
「雪路ちゃんは、違うよね」
また妻のうわごとだ。
そう、私は違う。妻が逝った後も生き続ける。
あの戦禍。生き延びた私たちが添い遂げたのは奇跡のように今では思える。
日本中に、怨嗟と悲嘆の声が満ち、私たちをも呑みこもうとしていた。そんな時代に、私たちはつましくも寄り添い、生きた。
なあ、君。
君が今から行くところは、怖い爆弾も何もないところかい。
君が笑って安寧に過ごせるところかい。
私の流す涙には何の意味があるだろう。
哀惜か、狂おしい慕情か、はたまた別の、自分でもこうと名付け得ない感情か。
涙は自分でも不思議なくらい、絶え間なく流れてくるのだ。
君は私から水を攫って行こうとしているのだろうか。日照り乾いたようだったあの時代を今、夢に見ている君は。
あの時に言った通り、私は君が死んでも君をお嫁にするよ。
そうしてビー玉のように自由に転がってゆこう。
どこまでも。
「雪路ちゃん。自由よ」
そう、自由だ。
茫漠として流れる涙は、自由の妨げとなる堰を押し流すのだ。
弱まってゆく君の鼓動。
落ち続ける涙の雫。
ねえ、悲しそうな顔しないで。
ビー玉遊びをしましょうよ。