十六章 再び海底へ 2
昼下がりの午後。アーチャたちは言い知れぬ不安を抱えたままアジトで息を潜めていた。アーチャは、街の中央に潜伏する軍たちの様子を調査しようと単独で行動したものの、状況は昨日とまったく変わっていなかった。兵士たちは警戒心を絶やさずに銃を構え続けており、いかにも頑丈そうな装甲車が列を成してクレーターの周囲を取り囲むその姿は、まるで壁そのものだ。ロープを使ってクレーターの中に入り込もうとする兵士は数え切れないほどで、小型掃除機のような珍しい機械を使って露出された地中を丹念に調べまわっていた。
「もどかしいわね」
フィンがキッチンの周りをうろうろしながら言った。
「まったくだ……俺なんか、相棒たちがいなけりゃ何もできやしない」
壁にもたれたまま、レッジが力なく続いた。レッジの言う“相棒”が、シシーラの酒場の地下にあるコンピュータたちであることは明白だった。
「マニカさん、カエマの様子は? あれからどう?」
フィンとレッジが、街に巣くう軍隊をどうこらしめてやるかで議論を始めたかたわら、アーチャは椅子にぐったりと腰掛けるマニカに向かって小声で尋ねた。
「昨夜から一言も口を利かないの。今、二階でシャヌさんと一緒にいるわ」
アーチャは床に散乱する“拾い物”の上をひょいっとまたぎ、天井からぶら下がるタペストリーの下をくぐり抜け、階段を飛ぶように駆け上っていった。寝室で向かい合って座っているシャヌとカエマを見つけ、アーチャはそっと近づいた。
シャヌはカエマの手を取り、様々な慰めの言葉をかけてカエマを元気付かせてあげようとしているみたいだった。
「ありがとう、シャヌ。あたしならもう平気」
アーチャは二人のそばに座り、シャヌと一緒にカエマを見つめた。カエマの瞳は、あくびの涙さえ枯れ果ててしまったようにやつれて見えた。
「昨日はごめんね、にい。心配かけちゃったよね」
カエマの声はかすれ、喉はガラガラだった。アーチャは後ろめたい思いで胸がいっぱいになった。
「俺の方こそ、ごめん。もっと早くに気付いてやれれば良かったんだけどな……」
コッファに殺められるジャーニスの最期の姿を痛烈に思い出しながら、アーチャは言った。カエマは顔をうつむかせたまま弱々しく首を振った。
「二年前……軍の研究室で働いていたお父さんから急な手紙が来たの。訳があってしばらく帰れなくなるって……あたしたち家族はまだ名も無かったこの街へ移り住み、お父さんの帰りを待ち続けたわ」
胸の痛みに苦しみながら、アーチャはカエマの話を黙って聞いていた。薄汚れたドレスの裾を見つめながら、カエマは続けた。
「あたしは、心のどこかでこう思ってたの。お父さんは死んじゃったんじゃないか、もうあたしたちの所へは帰ってこないんじゃないか……って」
カエマは顔を上げ、アーチャをまっすぐに見つめた。
「あたしこの前、にいに『人の死についてよく分からない』って言ったけど、本当はちゃんと分かってた。けど、信じたくなかった……信じるのが怖かった」
アーチャにはカエマの気持ちが良く分かっていた。十年前に両親を失った深い悲しみは、今も尚、アーチャの心にしっかりと刻み込まれている。だが、他人の死を受け入れるにはそれなりの時間を要するし、それは自分一人で乗り越えなければならない試練でもある。
「いつかこう思えるさ」
アーチャは明るく言った。
「お父さんはカエマの心の中でずっと生きていて、心に残った深い傷跡を、孤独にも打ち勝てる強い力へと変えてくれるんだ、って。この十年間、俺はそうして生きてきたんだ」
カエマの顔にわずかな笑みが戻った。これからを生きていこうというカエマの屈強な意思が、その笑顔にかいま見えた気がした。
「あ、そうだ」
シャヌは立ち上がると、窓際の肘掛け椅子の上に置いてあった本を手に取り、戻ってきた。
「もう読み終わったから、この本、あなたにあげる。すごく面白いから、最後まで読んでね!」
カエマは本を受け取り、表紙の金字を指でなぞった。カエマの瞳の中で『ヘインの見た世界』がキラリと輝き、じっとカエマを見つめた。本はその運命どおりに、シャヌからカエマへ手渡されたのだった。
「あたし、がんばれるよね……例え一人になっても、これでもうがんばれるよね」
カエマのたくましい表情をしっかりと見つめながら、アーチャとシャヌは力強くうなずき、顔を見合わせて笑った。
ジャーニスが心から願った『家族に会いたい』という思いが、今この瞬間、叶えられたんだ……アーチャは、カエマの決然とした表情に重なるようにして映る、ジャーニスの優しい笑みを見たのだった。