十六章 再び海底へ 1
東の空が柔らかなライラック色に染まり、連なる山々の輪郭が暖かな曙光に照らされると、まだうっすらとほの暗い闇の中から、グレア・レヴの廃れた街並みが美麗なシルエットと共に浮かび上がった。朝陽の斜光が建物と建物の間を縫うようにして入射し、多くの人々に朝の始まりを告げた。
太陽が東の山々の頂まで昇りきるそのずっと前から、アーチャはもう目を覚ましていた。アジトの外でひやりと冷たい朝風を全身に受け止め、不敵なにおう立ちをして街の方角を睨み続けているのには、心のどこかで妙な不安を覚えたからだった。
「何だろう? こんな胸騒ぎは初めてだ」
扉が開く音を耳にしながら、アーチャは呟いた。
「邪悪だねえ、こりゃ。奥歯がガタガタいってら」
それはアンジだった。長いゴツゴツした腕を胸の上で組み、その顔は今にも青ざめてしまいそうなほど強張っていた。
「アンジにも分かるの?」
アーチャはいぶかしげに尋ね、アンジが得意げに鼻を鳴らすのを聞いた。
「こんなまがまがしい朝は身に覚えがないね。世界中の生き物が恐怖で空を見上げている姿が、俺にははっきりと見えるぜ」
それがただの強がりでないことを、アーチャはちゃんと承知していた。アンジも、アーチャと同じ邪悪な気配を感じ取っているに違いない。これから起ころうとする恐ろしい危機を、敏感に察しているに違いない。
「ファージニアスは、ジェッキンゲンのせいで未来が変わってしまったって、そう言ってた。どう変わったのかは分からないけど、俺、このままじゃ世界が終わっちまうような気がしてならないんだ。その瞬間がすぐそこまで迫ってきているみたいで……俺たちには、未来なんかないんじゃないかって……」
「だったらどうする?」
アンジの口調は穏やかで、それでいて衝撃的だった。
「このまま黙って観察日記でも書いてるか? そんなのお前らしくねえんじゃねえの?」
アンジは、自由に大空を舞い、歌声のようにさえずる小鳥たちをまっすぐに見つめていた。
「俺は軍の奴らと最後の最後まで戦ってやる。イクシム族としてじゃなく、この世に生を受けた一人の人間として、世界の歴史に俺の名を刻み込んでやるのさ……」
アンジは急に口ごもり、小鳥たちからアーチャに目線を移した。アーチャは、そんなアンジの熱い眼差しをしっかりと受け止めた。
「俺がこうして決心できたのは、みんなお前のせいだ。お前さえいなけりゃ、俺は今ごろ、暗くて寒い海底の地獄で、間違った生き方を選んでたんだからな。だからお前も最後まで戦え。未来から逃げるな」
アーチャはすっかり説き伏せられてしまい、何も言い返す言葉が見つからなかった。言いたかったことを言い終わり、アンジは照れくさそうな表情でアジトへと戻っていった。アーチャはアンジのその大きな背中に、たくましい勇気を感じたのだった。