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十五章  帰還  5

 たそがれを告げるオレンジ色の斜光がアジトの中を照らし出し、半ば小人たちの縄張りと化していた台所を明るく染め上げた。アーチャ、シャヌ、アンジは、かろうじて居間と呼ばれる空間に陣取り、今後のことについてあれやこれやと討論していた。アーチャが、「ゼル・スタンバインが何らかの行動を起こすまで待とう」という意見を述べた直後、アジトの扉が開かれ、カエマとマニカが埃まみれのみすぼらしい布袋を抱えて中に入ってきた。アーチャはテーブルの上の雑貨類を床に払い落とし、二人が荷物を置ける空間を用意してあげた。


「他の人たちもアジトに来るようにって誘ったんだけど、みんなお尻が石にでもなっちゃったみたいに動こうとしないのよね」


 重みで悲鳴を上げる布袋をテーブルの上によっこらせと置きながら、カエマが言った。それにマニカが続くと、アーチャの視界は埃と荷物でいっぱいになった。


「避難って言ってもだぞ、ずいぶんと大荷物だよな……」


 荷物が圧迫するせいで、アンジの体は布袋と壁の間に挟まれて苦しそうだった。


「あら、食器棚を諦めたんだから、これくらい大目に見てよね」


 マニカが本当に残念そうな表情で言った。


「あ、ここ破けてるわ。後で縫ってあげる」


 シャヌがそう言った。布袋を突き破ってひょっこり顔を出していたのは、角張った小さな額縁のようなものだった。


「シャヌって、裁縫もできるんだね。感心しちゃうなあ」


 今晩の料理を思い浮かべながら、アーチャは一人、心をゴムボールのように弾ませてウキウキしながら言った。


「本で読んだことがあって、一度やってみたいなあって、ずっと思ってたの。アーチャには、いつか服を作ってあげるね」


 アーチャは段々と頬が紅潮していくのが分かった。うつむいて「ありがとう」と言う自分の姿をこっけいに思ったアンジがニタニタ笑うのを、アーチャはなるべく見ないようにした。


「これ、お父さんの写真立てよ、ほら」


 木製のツヤのある写真立てを布袋から慎重に引き抜きながら、カエマは自慢げに言った。だが、目の前に掲げられたその写真に写る人物を見て、アーチャとアンジは言葉を失った。そして、誰かが時を止めたかのように、二人は写真を見つめたままピクリとも動かなくなった。アクアマリンでのかつての惨劇が、二人の脳裏をすさまじい勢いで通り過ぎ、こちらを笑顔で見つめ返す写真の人物と重なって、それがより鮮明なものとなった。

 カエマとトナを両腕でしっかりと抱き上げる男の……ジャーニスの笑顔が、そこにあった。


「どうかしたの?」


 カエマに声をかけられ、アーチャとアンジはほぼ同時に我に返った。アーチャは、写真立てを手に持ったままこちらを心配そうに見つめる、カエマのその純粋な瞳を見つめ返した。まだ何も知らない、その“純粋”な瞳を……。


「にい、もしかして、お父さんのこと知ってる?」


『他のメンバーはどうしたかって? みんな死んだのさ! 俺を残して、みんな勝手に死んじまった!』


 アーチャの心の中で、アーチャ自身が叫んでいた。


『人が死ぬってこと、まだよく分かんないから……』


 記憶の中のカエマが、目を潤ませてアーチャに訴えかけてくる……悲しみに浸るその瞳が、カエマ自身と奇妙なほどうまく重なり合った時、アーチャの元にようやく声が戻ってきた。


「ジャーニスは……死んだ。海底のアクアマリンで……数週間前に……」


 アーチャの声はか細く、わずかに震えていたが、部屋にいる全員がしっかりとそれを聞き取った。死刑宣告も同然の一言を、アーチャは口にしたのだ。


「やだ……」


 数十秒の沈黙が、数時間にも感じられた時、カエマは涙で声を詰まらせた。


「やだ……やだやだやだ……やだー!」


 叫びながら、カエマはアジトを飛び出していった。ジャーニスの写真をしっかりと握りしめたまま……。その瞬間、マニカがその場に膝からくず折れ、シャヌがカエマの後を追ってアジトを出て行った。


「アーチャ……本当なの? あの人の最期を見たの?」


 かろうじてテーブルの縁にすがりながら、マニカは聞いた。アーチャはコクリとうなずいた。


「ジャーニスは海底から脱出しようと必死だった。もう一度陽の光を浴びたいって、家族に会いたいって、そう言ってた。俺は、俺のことをいつも気遣ってくれたジャーニスに、何もしてあげられなかった」


「……いいえ」


 驚くことに、マニカの顔にはうっすらと笑みが広がっていた。


「あなたは、ジャーニスの思いを受け取って、私たちの元へこうして持ち帰ってきてくれた。ありがとう、アーチャ」


 アーチャはこぼれ落ちそうになる涙を袖でぬぐいながら、何度もうなずいていた。おりしも、上の階からファージニアスたちがトナを連れて下りてきたところだった。カエマの声を聞きつけて、心配になったに違いない。


「お母さん、どうしたの?」


 母親の泣き顔を不安そうに見つめるトナをしっかりと胸に抱き寄せながら、マニカは声を押し殺して泣いた。アンジは暗い面持ちで席を立ち、ファージニアスを押しのけて二階へ上がっていった。


「マニカさん、これを」


 アーチャは首からずっとぶら下げていた、ジャーニスからもらった懐中時計をマニカに差し出した。マニカは苦しそうに顔を歪めていたトナを離すと、震える指先で懐中時計を受け取った。


「あなたたちがシシーラに向かってここを発つ時、アーチャの首にかけてあったこの時計を見て、もしかしてって思ってたの。これは、ジャーニスが大切にしていた時計だったから……でもどうして? どうしてあの人がアクアマリンに?」


「どうしてって……ルーティーとの混血種だったからじゃないの? ルーティー族の多くは、アクアマリンで軍の機密工作に関与してたはずだよ」


 マニカはかぶりを振った。


「そんなはずないわ……だってジャーニスはルーティーじゃないもの」


 例のごとく、アーチャの頭の中は糸と糸が複雑にからまるようにごっちゃになってきた。ジャーニスがルーティー族でないとすれば、軍をあざむくほどの知能指数は先天的なものだとでもいうのか?


「あっ、そっか!」


 後方でずっと話しを聞いていたフィンが、やにわに大声を張り上げて両手をパチッと叩いた。


「私がまだ地上で勤務していた時、同僚からちょっとだけ聞いたことがあるの。ルーティー族が誕生するきっかけになった……つまり、ルーティー族の源として選ばれたヒト族の天才がいるって……きっと、それがジャーニスだったのよ」


「ジャーニスが自分のことをヒト族だと言わなかったのは、愚かな種族を作り出すきっかけになった、自分自身への戒めのためだったのかもしれないな……」


 アーチャは呟き、生気の消えかかった眼差しで懐中時計を眺めるマニカを見た。そして、他国侵略のためだけに使われるルーティー族を創り出すため、その血を強引に使われることになったジャーニスの悔しい思いを、その心にしっかりと感じたのだった。


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