十五章 帰還 2
「どうしてそこまで未来のことに詳しいの?」
ユイツの透き通るような二つの瞳を覗き込みながらシャヌは聞いた。アーチャはあることをふと思い出し、顔を上げた。
「そういえばお前……えっと……今を生きる者たちの記憶として存在してるって、確かそう言ったよな? そのことと何か関係あるのか?」
アーチャは頭の中に断片的に残されていたユイツとの会話を探り出し、核心に迫るような仰々しい口調でそう聞いた。ユイツは腕組みし、石橋の末端にそびえる石柱に寄りかかって二人の方を見つめた。
「あの時、僕は自分のことを不死身だとも言った。つまり簡単に言うと、僕は実体じゃないんだ。かといって、ジェッキンゲンのように魔法体を作り出しているわけでもない。今君が言ったように、僕は人々の記憶としてのみ存在し、こうして君たちと会話している」
「つまり私が今目にしてるあなたは、“私の記憶の中の存在”っていうことかしら?」
シャヌは要領良く答え、ユイツを驚かせた。アーチャはやはり、ちんぷんかんぷんだった。
「詳しいことはまた次の機会ってことにしておこう。君たちにはいずれ、すべてを話す時がやって来るだろうから……さあ、もう行く時間だ。仲間が君たちのことを待ってるよ」
ユイツは橋のたもとにムーンホールを作り出してから、二人に向かって手を差し伸ばし、二人を中に招き入れようとした。アーチャはあと一歩というところで踏みとどまった。
「まずい……あの酒場の地下にまだ仲間がいるんだ。もし軍がやって来たら……」
「大丈夫。彼らなら七時間も前にもうそこを出たよ。軍が到着した時、地下室はもうもぬけの殻だった」
それを聞いて、アーチャは安堵するどころか、ひどく面食らった。
「七時間も前だって? そんなはずないじゃないか。だって俺たちが戦闘機から脱出したのは、ほんのちょっと前だぜ?」
アーチャの言葉に、ユイツはしまったと言わんばかりに顔をしかめた。
「そういえば、まだ教えてなかったね。君たちが未来で過ごしたわずかな時間は、こっちではその何倍にもなるんだ。近未来で“タイムラグ”と名付けられるこの現象は、言わば時間的なズレのことで、一直線上に存在する空間に対し、時間というものは複数の流れの中で互いに……これ以上は、専門知識があってもなかなか納得できない難しいところなんだけど、続きを聞きたい?」
アーチャは間違っても首を縦に振らないように気をつけたし、シャヌはためらいもせずに愛想良く遠慮した。
「この先はグレア・レヴというスラムにつながってる。僕は一度、ゼル・スタンバイン大尉のところに戻るから、ここでお別れだ……シャヌ、これを」
ユイツが背嚢からおもむろに取り出したのは、一冊の本だった。アーチャもシャヌも見覚えのある、あの本だ。
「ヘインの見た世界……どうしてこれを?」
本を受け取った矢先、シャヌはとっさに聞いた。
「その本の記憶が僕に教えてくれた。『私は長い時間をかけてたくさんの人の手を渡り歩いてきたが、まだその時は来ないのだ』と。だがこうも語った。『旅の終わりも近いだろう』と。だから、シャヌにその本を持っていてほしいんだ。その本の持つ些細な夢を、叶えてやってほしい」
シャヌは笑顔でうなずき、しっかりと本を抱いた。
「まだ意味の分からないことだらけだけど、その……色々とありがとな、ユイツ」
「さようなら、ユイツさん」
ユイツのパッとしない笑みに見送られ、アーチャとシャヌはムーンホールをくぐり抜けていった。その先はスラム街を一望できる小高い丘の上だった。眼下には、久しく見ていなかったグレア・レヴの荒涼とした町並みが青空と共に広がっている……はずだった。
「え……?」
アーチャとシャヌは同時に声を漏らし、まばたきし、目を疑った。そして、目の前に広がる真実をいつまで経っても受け止めることができず、その場で棒立ちしていた。
二人をすくみ上がらせていたのは、グレア・レヴを半分ほども飲み込む巨大なクレーターだった。隕石の襲来を受けたかのように、街の西半分が芸術的にえぐり取られている。
「どういうことなんだ?」
呆然と立ち尽くしたまま、アーチャは絶望的な声を発した。ユイツなら何か知っているのではないかと振り返ったが、そこにはもうムーンホールはなかった。こうしてはいられないとばかりに、アーチャは転がるように丘を駆け下りていった。シャヌがそのすぐ後を追った。
「アーチャ、止まって!」
アーチャは街の入り口手前で急ブレーキをかけ、砂埃を舞い上げながらシャヌを振り返った。シャヌは息を切らしながらアーチャに追いつき、クレーターの方を指差した。
「グレイクレイ国の軍隊が街を見張ってる……ほら、あそこ」
シャヌの言うとおりだった。クレーターの周囲には(近くで見ると、庭付きの豪邸がまるまる一軒収まってしまいそうなほどの大きさだ)暗緑色の軍服が群れを成していたし、崩れ落ちた家屋の影に見え隠れしているのは銃を構えた兵士だった。
「どういうことなんだ?」
外壁と屋根の一部分だけが残された廃屋の影にシャヌと共に身を隠しながら、アーチャはその言葉を繰り返した。
「カエマの手紙とはまるで状況が違う……それにあの穴はなんだ?」
アーチャはぶつぶつと独り言を呟き、崩れ落ちた外壁から額をちょこっとだけ覗かせながら、兵士たちの動きを細々と観察した。
「みんな無事だといいけど……」
シャヌのその一言で、アーチャは失いかけていた平常心を取り戻すことができた。シャヌの手を取り、瓦礫の山を崩さないように静かに立ち上がった。
「ルースター・コールズのアジトへ戻ろう。みんなが無事だとすれば、きっとそこにいるはずだ」