十五章 帰還 1
アーチャとシャヌは岸辺に生い茂る草花の上から起き上がり、辺りを見回した。そこはシシーラの街の一角だった。アーチャたちがしばらくの間過ごしたフィンとレッジの酒場が、橋の向こうに広がる空き地の中にたたずんでいるのが見える。
「知らせないと……軍がやって来るその前に……」
虚ろな声でそう言い、アーチャは酒場へ向かってよろよろと歩き出した。軍隊がシシーラに向かっていることを、まだアンジたちは知らない。
だがアーチャには、その目に映るすべての光景が幻影のような気がしてならなかった。未来を見つめていた今しがたの自分の意思に、じいさんの面影が乗り移っている気さえした。
「アーチャ、大丈夫?」
シャヌの声は、ずっと遠くの方から聞こえてくるやまびこのようになってアーチャの耳に届いた。アーチャはろくに返事もせず、ただ橋の向こう側を目指して漠然と歩き続けるだけだった。
橋を越えた道の脇に、誰かが立っている……アーチャはその人物を見て、無意識のうちに走り出していた。ゆるいアーチを描いた石橋の上をこちらに向かって歩いてくるのは、紛れもなくユイツだった。
「あれはどういうことだ!」
ユイツと顔を見合わせるなり、アーチャは出し抜けに怒鳴った。ユイツは無表情のままアーチャを見つめ続けたが、シャヌの姿を見つけるなり、その口元に笑みを浮かべた。
「見てきたんだね、未来を」
ユイツは二人に向かって微笑んだ。
「あれが未来だって?」
アーチャは尚も怒鳴り続けた。
「あんなものが未来なはずない……あってたまるかよ」
ユイツに何を言っても動じることはなく、その真剣な眼差しでアーチャを見つめ返すばかりだった。抑え切れなかった苛立ちが徐々に静まっていく。
「おじいさんがいた……俺たちと行動を共にしてるおじいさんが……」
アーチャの声は消え入りそうだった。ユイツは一度、大きくうなずいた。
「君たちが見たものを、もっと詳しく聞かせてくれないか?」
ユイツは落ち着き払って要求した。
「未来を見てる時、私たちはおじいさんそのものだった。おじいさんが見るもの、聞く音……全部知ることができたわ。そこで私たちが見たのは、おじいさんの住んでいた街が突然消えてしまう光景……気づくと、海底のドレイ収容所にいて、そこにはアーチャとアンジが……」
シャヌはそれ以上続けなかった。アーチャの横顔に再び困惑の色が戻りつつあったからだ。
「……街が突然? そうか……君たちは未来と過去を同時に行き来したんだね」
ユイツのその言葉でアーチャはますます困惑した。アーチャにしてみれば、それはまるで、異国の言葉でペラペラとまくしたてられているかのような恐ろしい感覚だ。
「かいつまんでですが、一から説明します」
二人の怪訝な表情を見兼ねるように、ユイツはそう言った。緑の軍服が空に漂う草原のようになって、アーチャとシャヌの前を右往左往した。
「まず、君たちは未来へ行く際、タイムホールと呼ばれる霧状の入り口を通過したはずです。これは僕が作ることのできるムーンホールよりも、遥かに高度な技術と魔力が要される魔法なんだ」
「あの霧はユイツが作り出したんだろ?」
アーチャは自信を持って聞いたが、ユイツは首を横に振った。
「僕じゃない。ムーンホールを発生させたのは、シャヌ、君だよ」
シャヌは必要以上に目を瞬かせて、ユイツをまじまじと見た。
「そんなはずない……だって、作り方を知らないもの……」
「最初は誰もが無知さ」
ユイツは淡々と続けた。
「君は純粋だった……何も知らなかったから。だから未来を見ることができた。君の中に眠る勇気と自信を、アーチャと一緒なら呼び起こすことができると、僕は考えた。君がその翼で空を飛ぶことで、真の魔力が開放された。朝陽という特別な光が魔力に力を注いだ。結果、未来を見たいという二人の純粋な心が、タイムホールを生み出すきっかけとなった」
ユイツは足を止め、片時も目を離すことなくアーチャとシャヌを見つめた。
「五十三年後の未来。ヒト族は、日常で当然のように目にする“光”に着目した。そして、光こそが魔力をもしのぐ絶大な力を秘めているということに気付き始めた。“フラッシュ”と呼ばれる破壊兵器が作られたのは五十八年後。実験が繰り返され、対人用に実際に使用されたのは六十年後……つまり、君たちが見てきた未来は、その六十年後の世界だと断言できるだろう。そして今から百十年後、タイムトラベルを実現可能にした力の源こそ、その光なんだ。けど、ジェッキンゲンがフラッシュの開発技術をこの時代に持ち込んでしまったせいで、また歴史が変わってしまった……」
アーチャの心臓が一気に脈拍を上げ、体中を巡る血液が熱を帯びたように感じた。未来の中で見たあの光が……大都市を一瞬で滅ぼしたあの光が、アーチャの記憶の中で無数に光り輝いている。目を固く閉じても、それは同じだった。
「街を壊滅させたのも、ジェッキンゲンやファージニアス、おじいさんをこの時代へ送り込んだのも、みんなその光ってわけか……」
アーチャは目をつむったまま、わずかにいきり立ってそう言った。