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十四章  歌と光と霧と……  1

 全身が風を切り、アーチャとシャヌは冷たい雲の中を下へ下へと落ちていった。厚い雲を抜けると、視界いっぱいに青々とした大海原が広がった。それはまるで、地球全体を眺めているかのような感銘的な光景だった。東の空は朝陽で染まり、空を、海を、そしてアーチャたちを抱擁するように照らし出した。

 その暖かな曙光に包まれながら、アーチャは光り輝くシャヌの翼を見た。シャヌは翼を羽ばたかせようと試みたが、地球から天へ伸びる目に見えない無数の手が、アーチャたちを暗黒の世界へ連れ込もうと強引に引っ張っていった。


「がんばれ、シャヌ!」


 より強くシャヌの手を握りながらアーチャは言った。シャヌの懸命な表情が、段々と近づいてくる青黒い海面をまっすぐに見据えた時、アーチャの耳には確かに聞こえた。それは全身が風を切っていく音とは違う、別の音だった。

 風を捉え、空に抱かれるような心地よい感覚が全身を包み込んだ。翼が左右に大きく広がり、世界中の空をどこまでも駆け巡ろうと嬉々として羽ばたいた。その生き生きとした羽音を、天空へ優雅に舞い上がる翼の歓喜の声を、アーチャはしっかりと聞いた。


「……シャヌ」


 アーチャは声にならない声を発した。


「飛んでる……飛んでるよ! 飛べたんだ! シャヌ、君はやっぱり飛べたんだよ!」


「私……飛んでる……この翼で」


 シャヌは自分の言っていることと目の前の現実が、未だに信じ切れないようだった。アーチャは東の空に向かって歓声を上げた。


「ついにやったんだ……ほら、見て!」


 アーチャは自分自身を指差した。アーチャの背中にも翼が生えたのだろうか? 空気よりも軽々と浮き上がり、まるで重力を感じない。シャヌの翼の力が、繋ぎ合わせる手と手を通じてアーチャにも伝わったのだろう。


「アーチャがいてくれたから……私一人じゃ、絶対に無理だったはずだもの」


 アーチャはシャヌの顔を覗き込み、今しがた蒼白だったその顔面に満遍なく笑みを広げた。


「俺だってそうさ。シャヌがいたから空を飛ぶことができたんだ……俺たちは互いに信じ合えた。そのことが、勇気につながった」


 二人は顔を見合わせ、突拍子もなく大きな声で笑った。それは、様々な思いが頭の中で交錯し、一時的な混乱を招いたからなのかもしれない。緊張と恐怖から開放され、心の中が雲一つない青空のように晴れ渡ったからなのかもしれない。いや、もしかしたら、ただ嬉しいだけなのかもしれない。


「見て、アーチャ……太陽が」


 アーチャは朝陽の射光が輝く東の空を見た。そして、別れ際に発したユイツの言葉を思い出した。


「見てこい、未来を。東の光が導いてくれるその時に……東の光って、きっと朝陽のことだったんだ……シャヌ、下を見て!」


 アーチャは眼下に広がる海面に向かって指を差した。アーチャが見たもの……それは霧だった。海とアーチャたちの間にふわりと漂うその霧は、切り取られた綿菓子のように白く、その甘味を武器にこちらを誘発してくるようだった。

 アーチャは息を呑んだ。


「ユイツは空間と空間をつなぎあわせる不思議な力を持っていた……時間と時間をつなぐ力が存在する可能性だってゼロじゃない……」


「それってつまり……今と未来が、あの霧の中でつながってるってこと?」


 霧の上空で旋回しながら、シャヌが不明瞭な答えを口にした。この世のすべての哲学者を一つの部屋にかき集めたって、こんな会話を始める人物は誰一人としていないはずだ。そんなことは、アーチャとシャヌが一番よく理解していた。


「ばかな考えだってことは承知してる……けど、ユイツの言っていた“未来”ってのを本当に見られるとしたら、それは俺たちが探し求める答えにつながるはずだ。シャヌとじいさんがこの時間の流れに存在する理由……俺が失ってしまった過去……そして、これからの世界の在り方。その答えにつながるはずだ」


 旋回しつつ、シャヌは徐々に高度を下げていった。霧はすぐそこまで迫ってきていた。


「私、見てみたい。未来とその答えを」


 手を伸ばせば届きそうなほどすぐそこに、向こうの景色さえ窺えないほど濃い霧が立ち込めていた。陽光が射し、散りばめたスパンコールのようにキラキラと照り輝くその美しい姿は、人々を魅せるには十分すぎるほどの誘発効果をもたらしていた。


「行こう、シャヌ! 未来へ!」


 その手招きに誘われるように、二人は霧の中へと飛び込んでいった。途端に視界は完全な闇に閉ざされ、二人は意識を失った。


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