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十三章  空へ、未来へ  8

「アーチャが私を必死になって助けてくれたことも、今までの話も、みんな分かってる……これから何をしなければいけないのかも、みんな分かってる」


「面倒な小芝居なら、もうたくさんだ!」


 通路の暗がりからジェッキンゲンがよろよろと現れ、出し抜けに吠えた。ユイツが一歩前へ踏み出し、アーチャとシャヌの肩をつかんでドアの方へと押しやった。吹き荒れる風が渦となってアーチャの前髪をかき上げた。


「行くんだ、二人とも! もう時間がない!」


 ジェッキンゲンの前に立ちはだかるユイツの果敢な姿は、アーチャの心にしっかり焼きつくほど印象的なものだった。ユイツは、本気でアーチャとシャヌに空へ飛び立ってほしいに違いない。ヒナが巣立ちするのと同じように、この大空へ向かって羽ばたいてほしいと、心からそう切願しているに違いない。


「どこへ行こうというのです?」


 あざけるような口調でジェッキンゲンが聞いた。だが、アーチャたちを見つめるその大きな二つの目玉は、動揺を隠しきれていなかった。上へ下へ、右へ左へ……黒い瞳がぐりぐりと動き回り、呼吸も荒い。


「さあ、シャヌ。私のところへおいで、さあ。もう部屋に閉じ込めたり、薄暗い海底に連れて行ったりしないから。さあ、こっちへおいで……さあ!」


 シャヌの毅然とした表情は、決して首を縦に振ったりしなかった。アーチャはジェッキンゲンを睨み返すシャヌの剛毅な横顔を見た。ジェッキンゲンの不気味な笑い声が響き渡った。


「なぜ死に急ぐのです? その飛べない翼で、どうやって空を舞おうというのです? 理解できない……私には、ちっとも理解できない!」


 ジェッキンゲンの醜悪に満ちたしかめっ面は、そこにあったはずの美形な顔立ちを、原型も留めないほどに覆い隠してしまっていた。


「私は、私自身を恐れていた」


 シャヌはジェッキンゲンだけでなく、その場にいる全員に語りかけるような口調で言った。アーチャは、シャヌの勇敢な眼差しをしっかりと見た。


「私は、私に宿る魔力を恐れ、自分がマイラ族であるという真実から逃げ続けてきた。戦争の兵器として使われるこの血を、憎いと感じたこともあった。でも、その度にアーチャがそばにいてくれた……たくさんの仲間が励ましてくれた……一人じゃないんだって、気づかせてくれた。だから、私はもう何も恐れない」


 シャヌがジェッキンゲンに背を向けた時、アーチャはシャヌの微笑みを……天使のような優美な微笑みを、見た。


「私の中の英雄は、ずっとアーチャだった」


 怒りや悲しみ、喜びでさえも、その瞬間、アーチャの中から消えてなくなったような気がした。アーチャの心に眠る『ゼル・スタンバイン』という名の英雄が、決然たる面持ちでアーチャを見つめるのは、ユイツと同じ、この空へ飛び立ってほしいと願っているからなのかもしれない。


「だから私、アーチャと一緒なら絶対に飛べる。一人ではできなかったことが、アーチャとならできる気がする。行きましょう、アーチャ」


 アーチャの腹はもう決まっていた。自分のことを心から信じてくれるシャヌを目の前にして、ためらうことも、尻込みすることもありはしない。信じる思いが勇気につながることを、アーチャは知っていたのだ。シャヌがそうだったように。


「俺もシャヌを信じる。だから、絶対に帰ろう。みんなのところへ」


 アーチャはシャヌの手を取り、開かれたドアの向こうに際限なく広がる、夜明け前のほの明るい空をしっかりと見つめた。


「アーチャ、シャヌ」


 高まる緊張感の中、ユイツが弾むような声で二人の名を呼んだ。アーチャとシャヌが振り向くと、ユイツは笑みを浮かべた口元でこう言った。


「見てくるんだ、未来を。東の光が導いてくれるその時に」


 ユイツの発言を怪訝に受け止めながらも、アーチャとシャヌはもう一度空を見た。ライラック色に染まる空に断片的な雲が重なり、川の水が流れるようにアーチャの視界から遠ざかっていく。


「怖くない?」


 空に向かって歩を進めながらアーチャは聞いた。より強くアーチャの手を握り返すシャヌの手は、わずかに震えていた。


「ううん、大丈夫……大丈夫」


 自分に言い聞かせるようにシャヌは言った。背後でジェッキンゲンが何やらわめいていたが、アーチャの耳にはもう届いてこなかった。風はますます高らかにうなり、緊張のせいで頭の中は空っぽだった。

 つま先がドア枠に触れた時、二人は顔を見合わせた。


『この空の向こうに未来が待っているとしたら、それはどんな未来だろう?』


 飛び立つ間際に、アーチャはふと考えた。人のために願うこと、信じることを忘れた人間たちに……そして、無意味に戦争を繰り返し、平和を望もうとしないこの世界に……明るい未来など存在するのだろうか? 存在していいのだろうか? アーチャたちを待っているのは、廃れた未来なのではないだろうか?

 ユイツは、それを確かめさせるためにこの道を選択した。アーチャとシャヌは、互いに信じ合うことで勇気を得た。空へ飛び立つ勇気を、未来を知るための勇気を。


「行くよ!」


「うん!」


 次の瞬間、二人はもう空の中だった。

 真実が未来で待っているのであれば、こちらから出向いてやればいい。苦難の中にその真実が埋もれているのであれば、手を使って掘り返してやればいい。

 そんな強い意思を糧に、アーチャはほんの少しだけ歩むことができた。この空と未来へ、ほんの少しだけ。


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