十三章 空へ、未来へ 3
「さて、ずいぶん興味深いことをご存知のようですね。どこからの情報ですか? まあ、大体の見当はついていますが」
「さっき、ファージニアスがみんな教えてくれたんだ。百十八年後の未来のこと、タイムトラベルのこと、お前のこと」
ジェッキンゲンは顔をしかめて舌を打った。
「いまいましい奴め……やはりあの酒場で殺しておくべきでしたね」
「一体どんな悪事を働いたんだ? シャヌと何か関係あるのか?」
アーチャは核心に迫った。ジェッキンゲンの鋭い眼差しが攻撃的にアーチャを睨んだ。
「あんまり図に乗らないでほしいですね。君がどんな立場であろうと、私が優位であることに違いはないのですから。それに、今は自分の心配をした方がいいのではないでしょうか?」
「さっきから何が言いたいんだ? 俺のことをさも知っているかのように話しやがって」
アーチャがジェッキンゲンを不気味と感じたのは、彼が妖美な風貌だからでも、鮮やかに繰り出される魔法を目の当たりにしたからでもない。アーチャ・ルーイェンという存在の過去から未来まで、そのすべてを把握しているかのような瞳でこちらを見据えてくるからだ。アーチャ本人さえ知らない何か重大なことを、ジェッキンゲンは知っているというのか?
「俺の何を知ってる?」
アーチャの声は自分でも気づかないほど微弱に震えていた。ジェッキンゲンの顔に再び笑みが広がっていた。
「君自身の記憶から失われた、想像を絶するような真実……そして、人々の記憶から忘れ去られてしまった血族の、本当の姿……」
視界に映るすべてのものがかすみ始めた。眺めているだけでイライラするようなジェッキンゲンの笑顔がよりによって三つに分裂して見えるなんて、それはアーチャにとって不快そのものだった。だが、もうそんな文句を言っていられる余裕さえなくなってきた。視界どころか、五感すべてがその機能を失いつつあった。
まただ……アーチャはやはりそう思った。
突然やってくる記憶喪失の予兆。呼吸さえも忘れてしまう苦痛。なぜこんなことが自分の身に起こるのか……まさか、ジェッキンゲンの言っていることと何か関係があるのだろうか? アーチャは考えようと努めたが、次の瞬間……。
それは銃声だった。アーチャのいる部屋のすぐ外から聞こえてきた。一発目と二発目、そして少し間を置いた三発目が聞こえたとほぼ同時に、兵士が一人、拳銃を構えたまま部屋の中に押し入ってきた。
失いかけていた意識が瞬時によみがえり、アーチャにとっさに語りかけてきた。彼は敵ではないと。その言葉どおり、アーチャはこの兵士に見覚えがあった。
「これは何事ですか! 今の発砲音は?」
ジェッキンゲンが勢いよく立ち上がり、今しがた部屋に入ってきた兵士に向かって狂ったように叫んだ。兵士はかぶっていた帽子を脱ぎ捨て、よりしっかりとジェッキンゲンを見つめた。銃口が怪しくキラリと光った。
「あなたはスタンバイン小部隊に入隊した新人の……確か名は……」
「ユイツだ」
ユイツは引き金を引いた。つい先ほど、通路で鳴り響いたあの発砲音が部屋の中で強く反響した時にはもう、その銃口から一発の弾丸がジェッキンゲン目がけて飛び出していた。しかし、弾丸はジェッキンゲンの高い鼻の数センチ手前でピタリと止まった。
ユイツはもう一度、今度は全身の力を込めて(アーチャにはそう見えた)引き金を引いた。一発目の発砲音の余韻に二発目が重なり、アーチャの耳はしばらく使い物にならなかった。だが、その二発目もやはり一発目と同じ運命を辿った。ジェッキンゲンの右目を貫こうと企てていた弾丸は、その数ミリ手前で無情にも短い人生を終えた。ジェッキンゲンの目と鼻の先で静止したままの二発の弾丸は、その場に恐々と漂い続けていた。
「反逆者か……考えが甘かったね」
死んだ弾丸が息を吹き返した。上下左右と小刻みに振動し、赤く発光を始めたのだ。ジェッキンゲンの醜悪な笑顔がユイツに微笑みかけると、その二つの弾丸は、世界最速の飛行速度を誇る戦闘機も顔負けの速さで持ち主の元へと帰っていった。アーチャは息を呑んだが、その時はもうすでに、弾丸がユイツの体を貫通し、背部のドアに食い込んでいた。
その光景に、アーチャは驚愕し、ジェッキンゲンは目を細めてニッタリと微笑んだが、当の本人は相変わらず拳銃を構えたままだった。やがて、ジェッキンゲンの表情がアーチャと同じになった。
「僕は不死身だ。今を生きる者たちの記憶として存在しているから」
ジェッキンゲンの目が丸くなった。ユイツの言っていることは、本人以外決して理解することのできない言葉だろう。それを“戯言”と認識するのは、ジェッキンゲンだけではないはずだ。そもそも、不死身の人間がこの世にいるはずがない。
「ユイツ……お前……どうしてここに?」
アーチャの言葉は切れ切れだった。ユイツがどのようにして弾丸を回避したのか、そのトリックを見つけ出そうと彼をくまなく観察していたためだった。ユイツの軍服には確かに弾丸の貫かれた痕跡が残されているが、どうも手傷を負った風には見えない。
「この世界に、本当に終わりの日が訪れるというのなら……僕のこの行為は全くの無駄と言えるだろう。だけど、誰かを助けるために投げ出せるその命が、何にも勝る勇気に値するとしたら、それは世界の破滅を防ぐ最大のきっかけになるかもしれない」
淡い光を放つユイツの瞳がアーチャを静かに見つめた。アーチャは椅子の背もたれにしがみついたまま、ユイツの顔をじっと見上げているしかなかった。グレア・レヴで感じたあの不可思議なオーラが部屋を包み込み、アーチャの意識を再びもうろうとさせた。
「そのきっかけを作り出せるのは、アーチャ、君たちだ」
「え、俺たち?」
アーチャはぼんやりと聞き返した。ユイツはキャビネットの中のワインに銃の照準を合わせた。ジェッキンゲンが慌てた様子で一歩踏み出し、アーチャがその動作に引っ張られるような具合に立ち上がった。その時既に、引き金は引かれていた。
ジェッキンゲンの叫び声と銃声が重なった。たそがれ時の雲を眺めているような、薄紫色の煙が部屋の一角を満たし始める頃には、アーチャの脳みそはその役割を半分も補いきれていなかった。その煙はアーチャの目の前から次第に薄れていき、やがて大切な何かを守護するように小さくまとまって、床の上でもくもくと漂い続けた。
三人の目が不自然な行動をとる薄紫の煙に釘付けになった。そしてアーチャは、煙の中からわずかにかいま見える煌びやかな光沢を見た……一生忘れることのない、翼から発せられるその神秘的な輝きを、その目ではっきりと見たのだ。