十三章 空へ、未来へ 2
「ようこそ、ハラペコくん」
ジェッキンゲンが気さくに声をかけてきた。
「俺はアーチャ・ルーイェンだ。シャヌを連れ戻しに来た」
アーチャは真っ向からジェッキンゲンを見つめ、勇ましく切り出した。ジェッキンゲンの笑顔に驚きの表情が重なった。
「言ってくれますね。元々、彼女は私のものでした。それを、君が横から強引に奪っただけのこと。違いますか?」
アーチャが反論しようとするのを、ジェッキンゲンは空いている方の手を前に突き出すことで制止させた。ジェッキンゲンが指をパチンと鳴らすと、高価な皮生地があしらわれた椅子が二脚、床上数十センチの空間から突然現れ、音を立てて床に落ちた。ジェッキンゲンはグラスを丸テーブルの上に置き、その周りに丁寧に椅子を置いた。
「立ち話しは嫌いじゃないですが、ここは空の上です。乱暴な操縦のせいでせっかくのワインを台無しにしたくないですからね!」
ジェッキンゲンは椅子に座ると、足を組んで優雅にワイングラスを傾けた。アーチャは渋々とそれに従った。
「こんな格好で出迎えてしまったのはとても失礼でしたね。いえね、この後にシャヌを交えてのパーティを控えていたものですから。彼女が我が軍に戻ってきたという情報で上官たちが浮かれてしまい、私もいやおうなしに参加させられてしまうというわけです」
「めでたいやつらだな」
アーチャは苛立たしくあしらった。ジェッキンゲンが再びワイングラスを置いた。
「それにしても不思議だ。一体どのようにしてあの戦闘機を乗っ取ったんです? 警備は万全だったはずなんですが。地上にいる第三者が関わっているような気がしてなりませんね……誰なんです? 知っているのでしょう? 私にだけこっそり教えてください、さあ」
アーチャはだんまりを決め込み、そのことに関して何も喋ろうとしなかった。銃で脅されたって口を割るものか。
「こんなところで悠長に話してる時間はないんだ。今すぐシャヌに会わせてくれ」
「くどいね、アーチャ」
ジェッキンゲンの表情から笑みが掻き消えた。
「あれは私のものです。君にどうこう言われる筋合いも、権利も、皆無に等しいのですよ」
「お前たち国軍と一緒にいることを、シャヌは望んでいなかった!」
「だからアクアマリンからシャヌを救い出したって? その結果がこれだ!」
ジェッキンゲンがアーチャに勝るとも劣らないほど大きな声と強い口調で怒鳴った。ジェッキンゲンはワイングラスを引っつかみ、一滴残らずすべて飲み干すと、空のグラスを手に持ったまま厳しい表情で話を続けた。
「スタンバインが君をどうそそのかしたのか知りませんけど、思い上がりも程度をわきまえた方がいいのではないでしょうか? 君にシャヌを守るだけの力なんか、これっぽっちもありはしないのですよ」
「お前たちはどうなんだ?」
アーチャはひるむことなく言い返した。
「シャヌを守る以前に、実験の材料としてシャヌの魔力を悪用しようとしていたんじゃないのか? 人殺しの殺戮機械に絶対の力を与えるために、ドレイたちを使った生体実験を繰り返していたことくらい、海底にいた時からずっと知ってるんだ」
ジェッキンゲンの眉間にしわが寄るのをアーチャは見た。
「そうだよ、アーチャ……」
ジェッキンゲンの口調は急に柔らかだった。
「君がアクアマリンからシャヌを連れ出したあの日、私たちは極秘の実験を始めるつもりだった……シャヌを使った極秘の生体実験をね」
アーチャは半ば我を失いかけてジェッキンゲンに飛びかかっていた。その拍子にテーブルがなぎ倒され、ワイングラスが絨毯の上で跳ねた。アーチャがジェッキンゲンの胸倉を蝶ネクタイごとつかむと同時に、二人の見張りの兵士が反射的に銃を構えた。その筒の先端は、確実にアーチャの頭部を狙っていた。
「その物騒な物を下ろしなさい。弾の無駄遣いです。いざとなれば、この子にその程度の武器は通用しない……」
ジェッキンゲンの声は苦しそうに歪みきっていた。彼が何を言っているのか、アーチャにはちっとも理解できなかった。だが、ジェッキンゲンがそういう手に出るのであれば、こちらにも考えがある。
「お前が未来から来た犯罪者だってことは分かってるんだ。いい加減に化けの皮を剥がしたらどうだ?」
ジェッキンゲンの表情が凍った。銀色の前髪の奥に輝くその瞳には、アーチャのほくそ笑む顔が鮮明に映し出されていた。
「そうですか……分かりました」
ジェッキンゲンはアーチャの手を払いのけ、アーチャにしか聞き取れないような小さな声で言った。
「そこの二人、部屋の外を見張っていてもらえませんかね? その間、誰も部屋へ通さないように」
兵士たちは顔を見合わせ、いぶかしげな面持ちで部屋を出て行った。二人だけになると、ジェッキンゲンは倒れたテーブルを元に戻し、部屋の隅に転がっていたワイングラスを魔法で引き寄せると、そのままテーブルの上に置いた。側面にヒビが入っていた。