十二章 百十八年後の使者 5
その時、フィンが握り締めていたヘアバンド型の無線機からレッジのくぐもった声が聞こえてきたので、三人は一斉に寄って集った。
「こちらレッジ。フィン、応答してくれ」
「こちらフィン。どう? 何かつかめた?」
「十年前のものだが、200−ヘガの戦闘機マニュアルがまだ残ってたんだ。軍が他人に知られたくないような機密情報が満載だ。それで、いいか、ここからが重要だ。時間がないので一度しか言わないから、みんなよく聞いてくれ」
フィンが無線機のボリュームを上げ、アーチャとファージニアスは頭髪がくっつくほど額を寄せ合った。
「まず、今君たちが乗っている輸送機の内部構造だが、人を閉じ込めておけるような大きな部屋はたった一つしかない。ドアはカードキーと暗証番号で二重にロックされていて、おそらく、イクシム族が十人束になって体当たりしても開かないだろう。そこで、俺が今からドアを制御してる内部コンピュータにハッキングをかけ、ドアロックを解除する。パイロットは必ず異変に気付くから、再びドアが閉まる前にその部屋から出るんだ。部屋の向こうは狭い通路になっていて、右に行って扉を開ければそこはもうコックピットだ。ここまでで何か質問は?」
「ハッキングって何だ?」
アーチャがとっさに聞いた。
「つまり、俺の手元にあるコンピュータを操作して、戦闘機内にあるコンピュータの一部を乗っ取り、こっちで遠隔操作するのさ。200−ヘガは戦闘機だが、性能の悪さが理由で実用性がないと判断されたほどだ。そんなポンコツをハッキングするなんて俺にとっては朝飯前だ」
心なしか、無線機から聞こえてくるレッジの声は、アーチャが今まで聞いた中で一番生き生きしているように思えた。
「では次の説明を始めるぞ。とにかくその部屋から出たら、パイロットに奇襲をかけろ。見張りの兵士がいると仮定しても、相手は多くても三人といったところだろう。フィン、まだあれを持ってるよな?」
フィンはドレスの胸元に手を入れ、首から紐でぶら下げてあった小瓶を取り出した。フタはコルクになっていて、フタの裏側には小さな針が付いていた。針は小瓶の中の透明な液体に浸っており、それはとても怪しげな姿だった。
「何それ?」
アーチャが小瓶を指差しながら聞いた。フィンはまた申し訳なさそうな表情でアーチャを見た。
「手術にも使われる、結構な麻酔薬よ。アーチャにはこれくらいやらなきゃダメだって、彼が……」
アーチャはファージニアスを呆れ顔で睨んだ。
「おいおい……ここまでするか? ふつう」
「ヘイ、アーチャ。私は今回の計画を確実なものにしたかったんですよ! 大目に見てくださいよ!」
アーチャは言い返そうと口を開きかけたが、それはレッジに阻止された。
「雑談はそのくらいにしてくれ。軍のやつらに、いつこの電波を拾われてもおかしくないんだ。時間がないってことを全員認識していてくれなきゃ困る」
レッジのその言葉で、部屋の中はシンと静まり返った。レッジはそのことを悟ったかのように、また続きを話し始めた。
「その麻酔薬を使って兵士たちが意識を失ったら、君たちが今いる部屋にでも閉じ込めておけ。カードキーがどこかにあるはずだ。そこまで済んだら、あとはその戦闘機をかっぱらって帰還するだけだ。操縦方法は俺がマニュアルを見ながら指示する。ハッキングには時間がかかるが、どうせポンコツの詰め合わせ戦闘機だ。コンピュータ内の端末も似たり寄ったりだろう。準備ができたら追って連絡する。それまでイメージトレーニングでもしていていくれ」
レッジの最後の一声は、緊張のかけらさえ窺えないほどウキウキしているのがアーチャにも分かった。
「きっと彼、嬉しいんじゃないかしら」
沈黙した無線機を眺めながら、フィンが静かに言った。
「自分を物のように扱ってきた国軍たちを相手に戦えるんだもの」
「同僚を何人も失い、恨み辛みも大きいのでしょう」
ファージニアスがしみじみと言った。二人が会話している間、アーチャはずっと黙ったままだった。もしこの作戦がうまくいっても、シャヌを救い出せるわけではないのだ。アーチャにとって、それが一番の気掛かりでもあった。そんなアーチャの気持ちを悟ったように、ファージニアスが声をかけてきた。
「シャヌ嬢のことが気になるのですか?」
アーチャは壁伝いにへたりこんだ。
「俺、またシャヌのことを守ってやれなかった」
どこか遠くを見つめるアーチャの瞳は、虚無感で満たされていた。
「シャヌを守るって、いつも言葉だけだった……」
「……アーチャ!」
ファージニアスはアーチャの前までやって来たかと思うと、突然叫んだ。アーチャもフィンもびっくりしてファージニアスを見上げた。
「くよくよしていても、シャヌ嬢は決して助かりませんよ。こうなってしまったすべての原因は私にあります。今度は私にも手伝わせてください……そうでもしないと、みんなに合わす顔がありませんからね」
「私にも手伝わせて」
フィンが明るい笑顔で言った。
「この輸送機を手に入れたら、シャヌの乗ってる戦闘機に乗り込んでやりましょうよ! ……そんなこと、出来るかどうか分からないけど」
アーチャはにっこりして二人を見つめた。微かな希望の光が、アーチャには見えた気がした。
レッジから連絡が入り、部屋全体が張り詰めたような緊張感で膨れ上がったのは、それからすぐ後のことだった。
「こちらレッジ。作業が予想していたより早くに終わりそうだ。準備の方を頼む」
「了解」
フィンが答えた。緊張からか、その声には喉の奥が震えるような響きがあった。三人はアーチャを先頭にして勇ましく立ち上がり、扉が開くのを待った。レッジの計画は本当にうまくいくのだろうか? アーチャは行く末を案じたが、すぐにその必要はなくなった。扉はスーッと横にスライドすると、左右に広がる通路が真っ先にその姿をさらけ出してくれた。どうやら、レッジの言っていたハッキングが成功したらしい。アーチャたちが急いで部屋から飛び出した、その時だった。
アーチャは思わず身をすくめた。けたたましいほどのサイレンが機内中に響き渡り、ドアの上にある警告ランプが赤く点滅し始めた。右手奥の扉が音を立てて開き、中から緑色の軍服に身を包んだ小柄の兵士が一人、慌てた様子で飛び出してきた。