十二章 百十八年後の使者 4
「兄の魔法によって気を失った私が目を覚ましたのは、シシーラの街のそばにある空軍基地でした。私たちは滑走路のそばに停車していた輸送車の荷台に乗せられていて、そこに乗り合わせていたのは私たち三人だけです」
「レッジと、アーチャと一緒にいたあのおじいさんは、軍の方から連行を拒否したのよ。イクシム族のアンジっていう子も無事のはずよ。だからアーチャ、安心してね」
フィンは落ち着きを取り戻したようで、アーチャに詫びるような口調と笑顔でそう言った。アーチャにはそれだけで十分だった。
「私が見た限りでは、輸送機は全部で二機用意されてあって、小型の方には私たちが、大型の方にはジェッキンゲンとその部下たち、それにシャヌ嬢が乗り込みました。グレイクレイ国の国軍は、首都にある軍事基地を拠点として活動していると聞きましたから、おそらく、今そこに向かっているのではないでしょうか? どちらも旧型の“200−ヘガ”という戦闘機でしたので、スピードはあまり出ないはず……私の計算だと、出発してから八時間後には到着する見込みです。ようするに、あと二時間というわけです」
アーチャは半ば唖然としてファージニアスの話を聞いていた。
「今、戦闘機って、そう言ったのか?」
アーチャは恐々と聞いてみた。ファージニアスは笑顔でしっかりとうなずいた。
「だったら、逃げ場がないじゃないか。……空か……そう言われて見ると、何だかこの部屋が宙に浮いてるような気がしてきた」
アーチャはその場にべったりと座り込んだ。こんなにも長い間地上から足を離していたのは、生まれて初めてのことだった。
「例えここから出られたとしても、俺たちはもう完全に軍のブラックリスト入りってわけか……アンジは今頃どうしてるかな」
それを聞いて、フィンの顔いっぱいに笑顔が広がった。
「やだ、どうかしてた! 私、無線機を持ってるのよ! レッジと連絡が取れる!」
アーチャもファージニアスも驚いてフィンに詰め寄った。フィンは金褐色のふわふわした髪の毛の中に指先を差し入れ、まさぐりながら何かを探し始めた。やがてフィンが取り出したのは、光沢のある赤い小さなヘアバンドだった。フィンは得意げにヘアバンドの裏側を二人に見せつけた。
「レッジは軍から課せられていた研究のかたわら、こういった電子機器の設計、開発にも力を注いでいたの。エンジニアとしても活躍してたくらいよ。ちょっと待って……周波数を……」
フィンは爪の先端でしぼりを器用に回しながら説明した。
「この無線機はもしもの時のためにって、レッジが持たせてくれたものなの。彼ってすごいでしょ? ……レッジ、聞こえる? こちらフィン。聞こえたら応答して」
アーチャは期待に胸を膨らませた。外と連絡が取れれば、ここから脱出するためのヒントが手に入るかもしれない。そうすれば、シャヌを助けに行ける。
やがて、小型無線機からかすれ声が聞こえてきて、その瞬間、緊張で固まっていた三人の表情にまた笑顔が戻った。
「こちらレッジ。ずっと君の声を待っていた」
レッジの声は、まるで嵐の中で発せられているかのように聞き取りづらかったが、その口調からは彼の嬉々とした思いをはっきりと捉えることができた。
「なあレッジ、そこにアンジはいるのか? おじいさんは?」
アーチャは横から威勢良く割って入った。
「その声はアーチャか? ああ、みんな無事だ。そっちの状況は?」
「どこかに閉じ込められてるみたいなの。ファージニアスが言うには、おそらく200−ヘガの戦闘機だろうって」
「ファージニアスが?」
レッジの声がくぐもった。
「訳は後で話すわ……その時があるならだけど。とにかく今は、ここから出ることを考えなきゃ。もう軍の下でこき使われるのは絶対にいや」
フィンの表情が急に険しくなったのをアーチャは見た。またすぐにレッジの声が聞こえてきた。
「脱出方法ならもう考えてある。成功確立は至極低いが……だが、何もしないでいるよりはマシな判断だ。君たちが輸送機に乗せられているという大方の予想はついていたから、こちらでいくつかの作戦をストックしておいた。まず確認するが、君たちが乗っているのは確かに200−ヘガだな?」
「間違いありませんよ」
ヘアバンドを覗き込みながら、ファージニアスが自信たっぷりにそう言った。レッジの「よし」と言う声と重なるようにして、アンジのわめく声が聞こえてきた。
「こちらでその輸送機の詳細を調べてみる。五分だけ……いてっ! アンジ、じいさんを見張ってろ! すまない。五分だけ時間をくれ。それじゃ、一旦切るぞ」
「ありがとう、レッジ」
無線機から最後に聞こえてきたのは、アンジがじいさんを説教している怒鳴り声だった。心の隅の方に幾らかの不安が残されたが、今はレッジにすべてを任せるしかない。
「そういえば、さっきから気になってたんだけどさ」
アーチャは改まった口調でファージニアスに言った。
「ファージニアスの目的は、ジェッキンゲンを捕まえることなんだろう? だったら、俺たちを眠らせたり、あんな小芝居を演じたりした理由は何なんだ?」
ファージニアスの口元に馴染みのある小さな笑みが浮かんだ。
「私の計画を順調に遂行するには、アーチャ、君の存在はあまりにも大きなものでした。君をあのまま眠らせずに軍を呼び寄せていたら、君はどうしていましたか? シャヌ嬢を守るために、我を忘れて兄たちに立ち向かっていったのではないでしょうか?」
アーチャは気まずそうにうなずいた。ファージニアスの推測は大当たりだった。
「あからさまな悪役を演じたのは、フィンやレッジに私という存在が味方であると確信させるためで、それに応じた都合の良い芝居が必要だったのです」
アーチャは段々と訳が分からなくなってきたが、フィンは納得したような表情で何度もうなずいていた。
「正直、私は焦っていました。兄を捕まえるための計画はいくつも用意していたのですが、その機会が訪れるたびに何らかの狂いが生じた。その真相は分かりませんが、兄を捕らえようとする私の行動に、運命が反発しているような気がするのです。そのことで、私は危機感を察していました。強引にでも計画を実行しようと、こうして荒業に出たわけですが、やはり運命は私に味方してくれませんでした。まさに最悪の結果です」
「俺たちがこれからどうなるのか、本当に分からないのか?」
アーチャの声は緊張で上ずった。ファージニアスはゆっくりと首を振った。
「まったくもって見当がつきません。本当なら、この計画は成功するはずでした……いえ、正確には、どの計画にも誤りなどなかったはず……私の知らないうちに、未来は大きく変えられていた……今この瞬間でさえ、例外ではないのです」
「あなたの計画を邪魔する何らかの原因を突き止められれば、解決の糸口を見つけたも同然なのに……」
フィンは悔しそうに言った。
「この世に、時間ほど複雑で奇妙なものはないでしょう……少なくとも、百十八年後の未来では、ですが」