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二章  惨劇の始まり  2

 アーチャはうずくこぶをなだめるようにさすりながら、上半身をゆっくりと起こした。アーチャのすぐそばに座り込んでいた二人から、非難がましいささやき声が発せられた。声の調子から、どうやら男と女らしい。

 アーチャは顔を上げてその二人を見た……ノッツ族だ。先ほどは気付かなかったが、以前、写真で見たとおりの姿形をしている。こげ茶の肌に、黄緑の長髪、小さな黒い瞳、骨張った全身。アーチャは十七年間のびのびと生きてきたが、ノッツ族の実物を見るのは生まれて初めてだった。自然豊かな国のへんぴな村にある大きな森に、集団でこっそり隠れ住んでいるという噂を聞いたことがある。だが、人目を避けて生活する種族なんてものは、珍しくも何ともない。このたぐいの種族から言わせれば、むしろ、他人に私生活をさらけ出すヒト族の方がどうかしている。


「なあ、お前たち、ノッツ族だろ? 自分たちの髪の毛だけを食べて生活してるって、本当か?」


 アーチャは四つん這いになり、ゆっくりと近づきながら出し抜けに聞いた。二人は急いで顔を見合わせ、アーチャと目を合わせないようにした。他の種族と接しにくいという気持ちはアーチャにも良く分かるが、何も目線まで逸らすことはないだろう。


「なんだよ、返事くらいしてくれても……いいじゃないか」


 アーチャは二人の顔を覗き込んだせいで、言葉が喉で詰まるところだった。ノッツ族の顔は、よく見ると、ヒト族とはかなりかけ離れていた。顔のすべてのパーツが真ん中に集合し、鼻はやすりで削られたように低い。穴だけがそこに存在しているかのようだ。しかも、男女の区別をつけることは極めて難儀だった。髪型も一緒だし、眉毛の濃さも一緒、全身は二人揃って枯れ枝のように細い。おそらく、同族の者たちにしか理解できない領域なのだろう。


「あなた、彼らのお友達になった。だから私たち、あなたとはお話しできません」


 その横顔に向かって怒鳴りつけてやりたかったが、アーチャはとっさに我慢した。ネズミが喋れたら絶対にこんな声だろうと確信させるような高声だ。きっと女性だろう。そんな乱暴なことはしたくない。


「あいつらと接点を持ったのは俺だぜ? お前たちには関係ないじゃないか」


「彼らのお友達、みんな死んだ」


 今度は男の声が言った。アーチャから見て左側に座っている方だ。


「死んだって?」


 アーチャは聞いたが、二人は顔を見合わせたまま硬直してしまった。よほど答えたくない質問だったのだろう。


「態度が悪い人は、みんな彼らのお友達。そのお友達のお友達は、同じ扱いになる。……結局、みんな殺された」


 しばらくしてから男は言った。どういうことなのか、アーチャはやっと理解できた。


「つまり、俺と関わる奴らはみんな殺されるってわけだな……ばかばかしい」


 アーチャはもう、その二人を見ていたくなかった。興味本意で近づいたアーチャの自業自得だが、ノッツ族の連中があそこまで心配性だったなんて思いもしなかった。部屋の奥まで歩いて行く途中、ひそひそ声で話す二人の会話がアーチャにまとわりついてきた。


「……あの人も、……も、みんなそう。この部屋は……ばかり……」


 それにしても、兵士たちに目をつけられたドレイが殺されてきたなんて、とても信じたくない話だ。他種族を好まないノッツ族の作り話でありますようにと、アーチャは心から願った。

 ランプの明かりさえも届かない部屋のずっと端の方まで進み、アーチャはドカッと腰を下ろした。手を大きく左右に投げ出すと、何かにぶつかった。足だ。太い、ゴツゴツした両足が、アーチャの方に向かって無気力に投げ出されている。仰向けで、腰より上は裸だった。ピクリとも動こうとしない。アーチャはできるだけゆっくり、ひざ、腹、首へと目を動かしていった。本来顔のあるべきところに、一着のドレイ服がかけられている。

 アーチャは小さな悲鳴と共に立ちあがり、ずるずると後ずさりした。こぶの痛みも、ノッツ族のことも、今後のことさえも、頭から綺麗さっぱり吹っ飛んだ。

 そこで横になっていたのは……死体だった。


「ここへは近づくな」


 どこからか聞き覚えのない低いしゃがれ声が聞こえ、アーチャの心臓が更に跳ね上がった。目を凝らしてよく見ると、死体の脇に人が座っている。正座をして、死体をじっと見つめているようだった。


「何だって?」


 アーチャは間の抜けた声で聞いた。心臓はまだ激しく鳴りっぱなしで、心は動揺を隠せていなかった。


「ここへは近づくな。去れ」


 男は座ったまま、アーチャの方を見向きもしないで静かにそう言った。


「だって、どう見たってそれ……その……つまり……生きてないじゃないか……」


 アーチャは男を気遣って言葉を濁らせた。それに、こんな光景を目の当たりにして、黙って立ち去るつもりもなかった。


「一体何があったんだ?」


 男は突然立ち上がると、アーチャにぐいぐい詰め寄った。アーチャは男が近寄った分だけ逃げるように後退した。すると、ランプの明かりに照らされ、男の素性が明確になった。男は、ヒト族でもノッツ族でもない……イクシム族だ。

 イクシム族はおそらく、とても人目につきやすくて、その見た目だけならこの世で最も恐れられる種族だろう。顔はヒト族に近いが、輪郭が大きすぎるせいで首がなく、横に大きく裂けた口の中には鋭利な牙が生え揃い、頭部には針金のような太い毛が四、五本だけまばらに伸びている。全身が岩のようにゴツゴツしていて、ゴリラのような体格だ。ドレイ服を着ていてもはっきりと分かる。

 このイクシム族の場合、背はアーチャより頭二つ分ほど高い。これでもまだ小柄な方だ。


「どこの馬の骨かは知らねえが、俺たちに近寄るな! 目障りだ! とっとと消えろ!」


 男は声を落として怒鳴ったが、窮屈な部屋のあちこちに反響して何倍にも大きく膨れ上がった。アーチャはその怒声に押し出されるようにしてその場から遠ざかった。誰からも相手にされない自分が情けなくて、その悔し紛れにジャーニスからもらった懐中時計を眺めるしかなかった。六時十五分……もうそろそろ労働開始の時間だ。ふとあたりを見回すと、ノッツ族の二人もいなくなっていた。


「おーい。もう行かないとやばいんじゃないのか?」


 アーチャは暗がりに向かって呼びかけた。返事はなく、歩み寄って来る気配も感じない。アーチャはとうとう苛立ち始めた。廃墟となった建物を好んで隠れ住むイクシム族を親友にしようとも思わないが、アーチャはどうしてもあの男を見捨てることができなかった。それに、ヒト族を理由もなく遠巻きにしてうじうじしている奴は許せない。


「おい! 聞こえてるんだろ? さっさとしないと俺まで厳罰なんだぞ! おい……」


 アーチャのおせっかいがあだになった。無視して行ってしまえば良かったと、今頃になって後悔してももう遅い。遠くの方から、二人分の陽気な鼻歌が軽やかな足取りと共に近づいて来る……まちがいない、“あの二人”だ。


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