十一章 美しき罠 2
「ワーオ! 嗅覚を誘惑する甘いカボチャの香りの出所は、やはりここでしたか!」
ファージニアスはいつも以上に上機嫌だった。というより、新たな朝を迎えるたびに段々と気分が高揚しているようだった。それは例えるなら、バースデイパーティーを指折り数えて心待ちにする子供を描き表したような、とても奇妙なものだ。
「まるで育ち過ぎた幼児だな」
鼻歌混じりで席に着くファージニアスを眺めながら、アーチャはボソッと呟いた。
「はい、ミルク」
シャヌは湯気立った熱々のミルクを人数分、テーブルの上に手際よく並べた。アーチャが一番にカップを手に取った。
「うまい!」
舌の先を軽く火傷させながら、アーチャが声を張り上げた。カップを大げさにテーブルの上に置く仕草は、元首領のヴァークスを真似たものだった。
「シャヌって、本当に料理が上手なんだなあ。ピゲ族の作る料理なんか足元にも及ばないよ。だってあいつらときたら、腐りかけの食材だって遠慮なしに鍋の中に放り込むんだもの」
「私ね、ジェッキンゲンの屋敷にいる時、よく厨房に出入りしてたの。なぜか分からないけど、彼、私が料理を作ることに関しては口うるさく言わなかった……だから、ある程度の料理なら私に任せて」
アーチャがラジオから流れてくるニュースに聞き入っていた夕方頃、階段を踏みしめるハイヒールの音が地下全体に響き渡った。アーチャはフィンが来たのだとすぐに分かった。
「こんばんは」
大きな褐色の包みを抱えたまま、フィンが明るく挨拶した。こうしてフィンと向かい合うのは、この街へやって来たあの日以来のことだった。
「ここもずいぶん様変わりしたわね。……あ、これ、差し入れね。今晩みんなで食べて」
包みの中の深皿には、思わず舌鼓を打ちたくなるような豪勢な料理が並べられていた。しかもアーチャの好物ばかりだ。
「他のみんなは?」
部屋にアーチャ一人しかいないことを再確認しながら、フィンが聞いた。
「アンジは外出、ファージニアスは自動車の整備、おじいさんは昼寝、シャヌは隣の部屋で読書してる。この地下の本棚から、面白い本を見つけたんだって」
空腹感を呼び覚ますような贅沢な料理を穴の開くほど見つめたまま、アーチャは淡々と説明した。
「ねえ、こんなすごい料理、一体どうしたの?」
めったにお目にかかれない豪華絢爛な料理から目を離すなんて、アーチャにとっては一秒たりとも我慢できない行為だったが、それではこの料理を持ってきてくれたフィンに失礼だ。アーチャは渋々と料理からフィンに視線を移した。
「色々あってね、これはそのお祝い。レッジと二人で用意したのよ。冷めちゃうとおいしくないから、早いうちに食べてね……あ、ダメダメ!」
つまみ食いしようとするアーチャの手をパシッと軽く叩きながら、フィンがたしなめた。アーチャはバツの悪そうな笑顔で手を引っ込めた。
「これはみんなで食べなきゃ。お祝い事なんだから、ちゃんと守らなきゃダメだからね。絶対よ!」
こんなご馳走を目の前にただよだれをすすっているだけなんて、それは、アーチャにしてみれば処刑宣告も同然の現実だった。
「分かった……守るよ」
アーチャは脱獄囚にでもなったような気分で了承した。
フィンが地下室を去った直後、アーチャは我慢できずに……シャヌのいる部屋へと一目散に駆け込んだ。焼けた肉の食欲をそそるような香りが充満するあの部屋にいると、フィンとの約束をものの一分で破ってしまいそうで怖かった。
「フィンさんが来てたの? 声が聞こえたけど……大丈夫?」
シャヌは読みかけの本を机の上に置き、妙にそわそわしているアーチャを不思議に思いながらそう聞いた。アーチャはフィンとのやり取りをかいつまんで説明し、もうそれ以上、料理のことを思い出さないようにした。
「でも、みんなで食べた方がきっとおいしいよ。せっかくのご馳走なんだから、みんなの帰りを待たなきゃ」
シャヌはずばり指摘した。
「ファージニアスはともかく、アンジの帰りなんか待ってられないよ。昨夜のあいつを見ただろう? 胃袋をパンパンに膨らませて帰ってきたんだ。きっと今日もそうに決まってる……自業自得さ」
アーチャの子供じみた意見に、シャヌは何も言い返せないでいた。仲の良かったアーチャとアンジの間に、わずかながらのゆがみが生じていることを、シャヌは一早く気付いていたのだ。