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十章  酒場の乙女  4

 酒場の西にある大きな空き地に到着したのは、それから五分ほど後のことだった。周囲は閑散としており、雑草の生い茂る荒地には枯れ木さえ生えていない。フィンが働いていると思われる酒場の中からは、炎のゆらめくような煌々とした明かりが漏れていて、それは中に人がいることを確信させる決定的な要素となった。


「まず、俺が一人で行って様子を見てくる」


「いいえ、私もお供しましょう」


 アーチャが提案すると、すぐさまファージニアスが反論した。アーチャは、それは嫌だなと思った。写真を見る限り、フィンはファージニアス好みの美女だ。今までの経験から、ファージニアスがじっとおとなしくしているとは思えない。


「えっと……」


 アーチャは言い訳するのに頭を働かせた。


「いきなり大勢で押しかけると目立っちまうだろ? 事情を話して、俺たちに手を貸してくれそうだったら、すぐ迎えに来るよ」


 なるべく早口で説明し、逃げるようにしてその場から立ち去ると、ファージニアスはすっかり観念したようだった。


「あいつ、どう見たって未成年じゃねえか」


 アーチャの後ろ姿に向かってアンジが呟いた。


「ファージニアスさん、やっぱりアーチャと一緒に行ってあげて。おねがい」


 アンジの言葉に不安を覚えたシャヌが、運転席のファージニアスに向かってそう懇願した。ファージニアスは笑顔でうなずき、車から降りた。


「アーチャを思うシャヌ嬢の気持ちを、私、決して無駄には致しません!」


 新兵さながら、ファージニアスは堂々たる行進でアーチャの後を追った。ファージニアスがアーチャに追いついたのは、アーチャが扉の取っ手に手をかけたその時だった。


「どうした?」


 腕を前後に振って大股で近づいてくるファージニアスに向かって、アーチャがうんざりした口調で尋ねた。


「アーチャ一人では心もとない。そう察したわけですね、ええ」


 ファージニアスが何を考えているのか、アーチャには理解することができなかった。ただ確かなのは、ファージニアスの表情はいつになく真剣そのものたということだ。次は、アーチャが観念する番だった。


「分かった、二人で会おう。……でも、邪魔だけはしないでくれよ」


 扉を押し開けると、その先はもう暖炉の炎に照らされた店内だった。レンガ造りの壁には戦場で戦う兵士たちの絵画が飾られ、張り合わせたような床板が小さな店内に敷かれている。店の奥にはバーカウンターと丸椅子があり、山高帽をかぶった座高の高い男が、カウンター越しに若いバーテンダーと会話している。優しい木の香りと、抱擁されるような落ち着く温もりがそこにあった。

 やがて、一人の女性がアーチャたちの前にやって来た。写真と同じ顔……フィンに間違いない。


「いらっしゃい! 席に案内するわね……」


「あなた、フィン・ラターシアさんですよね?」


 アーチャは確信を抱きつつも聞いてみた。フィンの足がその場でピタリと止まった。


「誰なの?」


 アーチャを振り向くフィンの顔からは、笑顔が抹殺されていた。振り向いたはずみで、金褐色のカールした髪の毛が一時的にその強張った顔を覆い隠した。


「俺はアーチャ。北のグレア・レヴからやって来た……グレイクレイの国軍から逃れるために」


 その瞬間、フィンはアーチャから何かを感じ取ったに違いない。自分の身に災いするような、不吉な何かを。

 フィンは何も答えず、赤いドレスをなびかせて部屋の奥のバーカウンターまで歩いて行った。アーチャとファージニアスは黙ってその様子を窺っていた。


「レッジ」


 客と楽しそうに会話していたバーテンダーの男に向かって、フィンは重々しく呼びかけた。二人はそのまま店の裏へと引っ込み、すぐに戻ってきた。男は客の方へ、フィンはアーチャたちの方へやって来た。


「席へどうぞ」


 フィンの顔に笑顔が戻っていた。アーチャたちが席へ案内されると、それとすれ違うようにして山高帽の客が帰っていった。というより、帰らされたようだった。


「フィン、鍵をしめて。今日はもう店じまいだ」


 客が店を出て行くや否や、バーテンダーの男が言った。扉に鍵をかけたフィンが戻ってきて、カウンターの向こう側に立って男と並んだ。


「私のことをフィンと呼ぶのは、昔の仲間だけ。ここではジュリーって偽名を使ってる……あなた方と同じ、軍から逃れるためにね。この人はレッジ。ここで一緒に働いてるの。昔からの同僚よ」


「ただの雑談なら客として来ればいい」


 レッジが言った。いつの間にか葉巻を咥え、いつの間にかマッチに火をつけていた。


「お前らは誰だ? 用件は? なぜフィンを訪ねた?」


 アーチャはレッジのひげ面とフィンの緊張混じりの笑顔を交互に見つめた。


「俺はアーチャ・ルーイェンで、こっちがファージニアス」


「初めまして、天女のように美しき酒場の乙女。クペルマ硬貨型チョコレートなどいかがでしょう? あなたのお口に合うこと、請け合いですよ」


 アーチャは、予想通りの展開に物も言えなかった。ファージニアスがフィンにチョコレートを手渡す光景を、ただ呆れ顔で見つめていた。


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