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十章  酒場の乙女  3

 部屋に明かりが灯った。


「やはりそうか」


 聞き覚えのあるガラガラという声がそう言ったかと思うと、アーチャとアンジの前に立っていたのは、四人のイクシム族だった。全員がこちらを見つめており、怯えるような表情と興味深げな瞳がランプの明かりに当たってオレンジ色に照らし出されている。アーチャは叫びそうになったが、ぐっとこらえた。


「やはりイクシム。そうか……まだ残っていたのか」


 天井に頭をこすらんばかりの大柄な男が、ランプを掲げ、アンジの顔を覗き込みながらそう言った。


「ですが父上、ここらではあまり見かけない顔です」


 恐々と顔を見合わせるアーチャとアンジを気にすることなく、イクシム族の会話は続けられた。今発言したのは、二番目に体格の大きい男だ。きっとこの大男の息子だろう。


「危険な方ではなさそうね」


 女の声が言った。アーチャはイクシム族の女性と対面するのは初めてだった。女性は男性と比べるとやや細身で、縮れた髪の毛が頭皮を覆っており、顔は男性と違って朗らかで優しみのある表情だ。だがやはり、イクシム族特有のゴツゴツとした地肌はそっくりそのままだ。


「母上、ヒト族もいます」


 トナと同じくらい小柄な子が、アーチャを指差してハキハキとそう言った。イクシム族の子供を見るのも、これが初めてのことだった。


「あ……あんたたち、ここに住んでるのか?」


 思いも寄らぬ出来事に、アンジの声は動揺を隠しきれていなかった。父上と呼ばれる大男が、ランプを手にしたまま二人に近寄った。


「そうだ。何十年も前から、私たちはシシーラに住んでいる」


 父親は鋭い牙を剥き出しにしてそう言った。母親がその脇から詰め寄った。


「けど、最近になってヒト族が戻り始めた。南のレウェイラ国の国民が、グレイクレイ国の支配政治から逃れるために亡命してきたの」


「そうして僕たちイクシム族は、居場所を失っていった」


 父親の後ろから、せがれの切ない声が聞こえてきた。


「“僕たち”って……まだ他にも仲間がいたってこと?」


 アーチャが聞くと、四人は躊躇したように顔を背けた。ヒト族をないがしろにしようとする他種族の態度はいつ見ても不快なものだと、アーチャは思った。

 だがしばらくして、屈託そうに母親が答えた。


「私たちは誰もやって来ないような廃墟を探し出して、そこで暮らさなければいけない。イクシム族は他種族との共存に適応しきれないから」


「そうして、仲間たちはこの街を去って行った」


 間もなく、父親が言葉を引き継いだ。


「我々は最後まで彼らを引き止めたが、ダメだった。ヒト族と環境を共にしなければいけない現実を、彼らは受け止めようとしなかったのだ」


 父親は天井のフックにランプを引っ掛け、部屋全体が明るくなるように工夫した。薄明るいランプの光に照らし出された父親の表情は、悲哀に満ちているように思えた。


「一時期は、我々もここを離れようと意を決したこともあった。だが、イクシム族は希望だけでは生きられない。ヒト族と違って、道理に背くようなことをしないからだ。道理に背いてまで、生きようとしないからだ」


 アーチャの苛立ちは一秒毎に高まっていったが、その怒りをこの場で爆発させるようなことはしなかった。この岩山のような大男に立ち向かったところで、返り討ちに遭うことは目に見えているからだ。おそらく、生きては帰れないだろう。

 男は更に続けた。


「同種族で争い、命を奪い合うことの何が生き様か? 私には分からぬ。無駄な争いに巻き込まれるくらいなら、ここでじっとしていた方が良策だ。この街なら軍の目も届きにくい。人づてに聞いた、海底のドレイ収容所という所に連れて行かれることもなかろう」


「だったら、何もするな」


 アーチャのその乱暴な言葉には、積み上げられたイライラをちょっとずつ開放させるという小粋な意図があった。しかもそれは、一家全員が一斉にアーチャを睨みつけた瞬間でもあった。


「誰かが犠牲になってから、後悔ってことをすればいい」


 四つの視線をかいくぐりながら、アーチャは最後まで言い切った。


「我々は、喧嘩をするためにあなた方の前に現れたのではない」


 父親はあくまでも冷静だった。


「ここが我々に残された最後の場所だということを分かってほしい。あなた方二人が廃墟を巡る姿を、我々は先ほどから確認していた。何か理由があるのかもしれないが、どうかこの周囲だけには近づかないでくれ」


 父親は二人にというより、アーチャにだけそう言い聞かせているようだった。


「分かった」


 アーチャは素直に、しかしすげなく応じた。


「もう行こう、アンジ。行く宛てならまだある」


 一家を見つめたまま身じろぎもしないアンジの背中をポンと叩きながら、アーチャは振り返ることも、別れの挨拶も交わすことなく、その屋敷から足早に出て行った。

しばらくすると、アンジも中から出てきた。


「ずいぶん遅かったな。あいつらと話してたのか?」


「ああ。ちょっとな」


 ファージニアスたちの待機している車に辿り着く頃には、アーチャの機嫌はますます悪くなっていた。ヒト族を毛嫌いするような連中とアンジが仲良くするなんて、アーチャには許せなかったのだ。だが、それは仕方のない話だった。アンジが誰と会話しようがアーチャにその権限はないわけで、ましてや相手が同じ血の流れる種族なら、それはアーチャの横暴に過ぎない。


「どこかいい隠れ場所はありましたか?」


 期待するような爛々とした瞳でファージニアスが聞いた。アーチャはそっぽを向いた。


「全然ダメだね。ほんと、廃墟ってのは全然ダメ」


 アンジは言い返そうと口を開いたが、すぐに気を改めた。その直前にシャヌが割って入ったのだ。


「あの家で何かあったの? 他と比べてずいぶん長くいたみたいだし……」


 シャヌの心配そうな表情を見ていると、アーチャは、一人で気を荒立てている自分を恥ずかしく思うようになった。そして、詫びるような重たい口調で、屋敷の中で起こったことを一から話し始めた。


「アーチャが怒るのも無理ないさ」


 すべて話し終えた時、アンジが真っ先にそう言った。


「だがな、あれが俺たちの考え方だ。イクシム族は良いことも悪いこともしない。ただじっとしていたいんだ」


「アンジもそうなの?」


 シャヌが遠慮がちに尋ねると、アンジは腕を組んで考えに耽り込んだ。


「そうだな……俺だって本当は、同じイクシムの血が通う仲間たちと一緒にいたい。将軍のザイナ・ドロや、妙ちくりんのジェッキンゲン・トーバノアに敵対意識を燃やすなんて無謀なことだし、やっと戻ってきた自由を台無しにしたくない……」


「もうやめないか、こんな話」


 アーチャがルームミラーを覗き込みながら全員にそう促した。みんな押し黙ったが、その一言で空気が重くなったのも確かだった。


「それよりさ! カエマの母さんに教えてもらった、この女の人を訪ねてみないか?」


 場の雰囲気を和ませようと、アーチャはわざと明るい声を出した。全員の目線がアーチャの持っている一枚の写真に注がれた。


「確か、シシーラの酒場で働いているのよね!」


 アーチャの空元気に便乗するような調子でシャヌが言った。


「そういえば、裏に名前と住所が書いてあるって言っていましたよね?」


 ファージニアスが言った。アーチャは写真を裏返し、下部に書かれているマニカの字を見つけ、読み上げた。


「名前はフィン・ラターシア」


「名前はフィン・ラターシア?」


 アンジのオウム返しだ。


「どっかで聞いたことあるぞ、その名前」


 アンジが段々と興奮し始めた。そう言われてみれば確かに、アーチャにも心当たりがある。


「私にはまるで思い当たる節がないですね!」


 ファージニアスは両手を掲げて首を振った。


「それに、一度お目にかかった事実があったとしても、そんな美しい女性を私が忘れるはずないでしょう!」


「私も知らないけど……おじいさんは?」


 シャヌは眠たそうに目を瞬かせるじいさんに写真を手渡した。写真を見る前も、見た後も、じいさんの表情にはしわの数さえ変化は見られなかった。


「この顔は知らんが、フィンという名前なら記憶にある。確か……アクアマリンから脱走した唯一の人……」


 アーチャは驚愕しきった表情でじいさんを見た。アンジも、アーチャと似たり寄ったりな顔つきだ。


「まさか」


 アーチャは信じられないような真実をまっすぐに受け入れることができなかった。


「ジャーニスが言ってた……一年以上前、フィンっていう同じルーティー族の女性がアクアマリンを脱出したって……ジャーニスはフィンの行動に励まされたって……まさか、あのフィン?」


「アーチャ、目の付け所が違うぞ」


 アンジは平静を保っているつもりでいたが、その顔は興奮で輝いていた。


「何がすごいって、お前、じいさんがその話を知ってたことだろ。ジャーニスがフィンのことを語ったその時、じいさんはどこにいた? それに、じいさんは一度だってジャーニスに会ったことがないんだ」


 アーチャは背中がぞくぞくした。今までじいさんには驚かされっぱなしだったが、ここまでくるともう手に負えない。


「と、とにかく……ファージニアス、この住所まで向かってくれないか? 詳しいことはその途中で話すよ」


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