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二章  惨劇の始まり  1

 時計を見ると、六時を二分ほど過ぎていた。聖地には相変わらずひと気が無く、ジャーニスの言っていた労働開始時刻までには、まだ時間の余裕がありそうだった。湖のほとりで今後の生活を案じているのも悪くないが、見渡す限りの穴という穴から誰かがこちらを覗いていると思うと、一秒だってこんな所にいるのは御免だった。アーチャは仕方なく、目が覚めたあの細長い窮屈な部屋に戻ろうと決心した。

 しかし、すぐに考えを改めた。案の定、通ってきた通路を忘れてしまっていた。忘れたというより、初めから認識していなかったのかもしれないが、今や、ジャーニスのいる部屋の位置すら定かではなくなっていた。どこを見ても穴だらけの風景が広がるばかりで、その場でじっと考えれば考えるほどより複雑化していく。

 その時、静まり返った聖地に一組の足音が聞こえてきた。音は段々と大きくなり、こちらに近づいているのは確かなようだが、どの穴から聞こえてくるものなのか、さっぱり見当がつかない。アーチャの緊張は一気に高まっていった。


「そこで何をしてる?」


 アーチャは急いで振り向いた。赤い軍服を着用し、その上から褐色の丈の短いマントをはおった、背の高い凛々しい顔立ちの男が、アーチャの立っている湖の岸辺に向かって、段々と歩み寄って来るところだった。金色の頭髪とマントが、一歩前進する度になびいた。


「そこで何をしてる?」


 兵士はもう一度聞いた。ここに来て目覚めてから、ドレイ服を着ていない人物を見るのはアーチャにとって初めてだった。おそらくこの人がジャーニスの言っていた、“血に飢えた野獣”に違いない。アーチャは、何もやましいことは無いとばかりに兵士と向き合った。


「道に迷ったんだ」


 アーチャは自信たっぷりに、しかもやたらと強気になって答えた。将軍の操り人形たちより貧弱な存在であり続けるなんて、アーチャには我慢できなかった。


「お前の番号は?」


 兵士は聞きながら、アーチャの全身を上から下まで丹念に観察していた。また、それはアーチャも同じだった。純粋なヒト族らしく、その身なりから兵士であることにまちがいはないようだが、アーチャは、この男から全く敵意を感じなかった。どちらかと言えば、ジャーニスのような穏和な性格の持ち主のようにも見て取れる。

 それになぜだか、この兵士とは初対面の気がしなかった。ずっと前に、どこかで会ったことがあるような気がする……。


「俺の番号?」


 様々な思いに耽りながら、アーチャはいぶかしげに尋ねた。


「服の襟に書いてあるだろう。……違う、前ではない、後ろだ」


 アーチャは襟を前までたぐり寄せて番号を探した。兵士の言う通り、子供の落書きのような汚い文字で、『812』という数字が黒インクのようなもので書き記されている。

 アーチャが数字を読み上げようとしたその時、またどこからか足音が聞こえてきた。今度は、重たそうなズシンズシンという足音が折り重なって聞こえる。


「ゼル・スタンバイン少佐!」


「問題でも? 何か大きな問題でも?」


 暗緑色の軍服を身にまとった二人組みの巨漢が、我先にと転がるように走って来た。二人はゼルという名の兵士の前で急ブレーキをかけたが、一人は前につんのめり、一人はそれに足を取られて無様に吹っ飛び、しばらくそのまま動かなくなった。


「何か大きな問題でも?」


 巨漢の一人がもう一人の巨漢を助け起こしながら、まるで何事もなかったように清々しく尋ねた。二人は軍服から土埃を払い落とすと、横に整然と立ち並んでゼルからの命令を待った。

その時、アーチャはこの二人が双子であることにようやく気付いた。脂っこい肌、額の赤いニキビ、押しつぶれたような鼻、分厚い唇。そのどれもが、まるで鏡で照らし合わせているかのようにうり二つだ。


「この812番を北25の部屋まで案内しろ。だが、どうやら新人らしいから、一からちゃんと教えてやってくれ」


 ゼルはきびきびと命令を下し、マントをひるがえして足早に立ち去っていった。ゼルが右手奥の通路に姿を消すまで双子は敬礼を続け、アーチャはその後ろ姿を目で追った。やがてゼルの姿が完全に見えなくなると、双子のどちらかが突然アーチャの頭をわしづかみにし、ズルズルと引きずり始めた。アーチャはあまりの痛さにその手を振り解こうともがいたが、その力は凄まじいものだった。ついに、いつもの悪い癖が口を突いて飛び出した。


「手を放せ! 放しやがれ! このデぅ……アイタッ!」


 アーチャは通路の暗がりまで投げ飛ばされ、岩壁に後頭部を強打してのた打ち回った。たんこぶが更に肥大し、激しい痛みで頭が割れそうだった。


「こんなに威勢の良い奴は初めてだ。こりゃ今日から楽しめそうだぜ」


 痛みでヒーヒー喘ぎ続けるアーチャを片手で摘み上げながら兵士は言った。アーチャは殺気立った目で睨みつけてやったが、双子の四つの瞳はアーチャの怒気を掻き消してしまうほど冷たく、残忍だった。脂肪でたるんだまぶたが瞳に覆いかぶさり、より一層目つきが悪い。


「あの生意気な若造の命令どおり、ここでの“ルール”ってやつを、死なない程度に一からみっちり叩き込んでやる。812番、今日から俺たちはお友達だぜ」


 アーチャは何も言い返すことができない自分が悔しくて、ただ拳を握るしかなかった。

 スタンドに引っ掛けられた帽子のようにブラブラと漂いながら、アーチャは間もなくして、元いた部屋に戻ってきた。オレンジ色のランプの明かりで照らし出された部屋の様子が、そのかすんだ視界に入るとほぼ同時に、アーチャは道端に投げ捨てられる空き缶のようにポイと部屋に放り込まれた。中にいた数名がひそひそとざわめいた。


「よく聞け、カスども!」


 狭い出入り口で押し合いへし合いしながら、双子がだみ声を揃えて叫んだ。


「労働開始は十分後だ! それまで俺たちのお友達が逃げ出さないよう、ちゃんと見張っててくれよ!」


 そう言い残し、ゲラゲラと下品な笑い声を発しながら双子は行ってしまった。

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