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九章  記憶の中の英雄  5

 アジトに戻ったアーチャたちは、ユイツの言ったとおり、シャヌが帰ってくるのを待つことにした。誰もが半信半疑だったが、アーチャにとって、これがシャヌと再会することのできる最後の術だった。


「にい、馬車がこっちに来るよ」


 カエマが指で指し示す方向を、その場にいた全員が目で追った。町の広場へと続く一本道の上をこちらにまっすぐ向かって来るのは、つややかな茶色い毛並みに覆われた一頭の馬で、天蓋付きの大きな馬車を豪快に引っ張っている。


「あのけばけばしい馬車は間違いなくグレアのだ。こんな大事な時に……」


 馬車馬は容赦なく砂埃を舞い上げ、アーチャの数メートル手前で急停止した。


「グレア、着いたよ。ルースター・コールズのアジト前だ」


 手綱を握っていた無愛想な表情の女が、馬車の中にいるグレアにそう呼びかけた。すぐに中から扉が開き、グレアのもう一人の仲間が出てくると、それに続いてグレアも馬車から降りた。グレアの優越そうな表情を見ていると、アーチャは、いつも以上に見下されているような気がしてならなかった。


「お前が街に帰ってくるなんて、珍しいじゃないか」


 腕組みをしてこちらをじっと見据えてくるグレアに向かって、アーチャはボソボソと言った。


「話しを逸らそうとしたってダメだよ」


 グレアの口調は冷ややかだ。


「昨夜のあれは何だい? 神聖な舞台の上で見苦しい仲間割れを起こしたかと思えば、滅びたはずのマイラ族を巡って乱闘騒ぎ。直後に国軍どもが乗り込んできて、会場は大混乱。審査どころじゃなくなって、今年の大会は優勝チームなしだ。ついでに、ルースター・コールズの参加は永久に認可されないとの伝言を預かってきたよ」


「へいへい」


 アーチャのすげない返事が、グレアの癇に障ったのは確かだった。だが、グレアが思い切り舌打ちしても、今のアーチャにとってはどうでもいいことのようにしか思えなかった。


「そんな皮肉を言うためだけにここまで来たってわけ? あんたたち、かなり悪趣味だよね」


 苛立ちを隠そうともせず、アーチャは乱暴に言い放った。しかし、付き合いの長いグレアにとって、そんなアーチャの胸中はまるでお見通しだった。


「ところで、トワゴから帰る途中に誰かの落し物を拾ったんだけど、これ、誰の物か分かるかい?」


 アーチャはしかめっ面でグレアを見た。馬車の中から何かを引っ張り出そうとしている。グレアは道中で何を拾ったのか? さっぱり見当もつかないアーチャたちは、グレアから片時も目を離すことをしなかった。そして、その答えは直後に明確となった。


「シャヌ……?」


 まさかと、アーチャは目を疑った。だが、馬車から降り立った人物は紛れもなくシャヌだった。あらわにされた翼が陽射しに当たって照り返り、アーチャの目にチカチカと刺激を与えた。こんな神秘的な輝きは、この世に二つとして存在しないはずだ。


「無事だったんだな」


 アンジが嬉しそうに声をかけた。


「おかえりなさい、シャヌ!」


 狂ったように跳ね回りながら、カエマが甲高い声でそう言った。


「みんな、あなたの帰りを心待ちにしてましたよ! そうですよね、アーチャ?」


 ファージニアスが聞いた。


「あ、ああ……」


 みんなのように素直に喜ぶことが、アーチャにはできなかった。昨夜のことを後ろめたく思っているのも確かだが、今はただ、シャヌが戻って来てくれたという安堵感に浸るだけで精一杯だったのだ。


「森の中でうずくまってるのをあたしが見つけたんだ。アーチャ、この子と何があったのかは知らないけど、女の子一人を夜道に放り出すなんて、男失格だね」


 グレアの言っていることはごもっともで、アーチャは言い返す気力さえ湧いてこなかった。


「グレアさん、アーチャは全然悪くないんです……悪いのはすべて私です」


 シャヌはそう言って、アーチャたち一人一人をしっかりと見つめた。


「みんな、迷惑かけてごめんなさい……」


 それからしばらく、誰も口を開こうとしなかった……いや、そこにいるみんなが、アーチャの言葉を待っていたに違いない。誰よりもシャヌのことを思うアーチャの言葉を……だが、アーチャはみんなの期待を裏切るかのように、だんまりを決め込む一方だった。


「一人で抱え込むなんて体に毒だぜ。どうして、もっと俺たちを頼ってくれないんだ?」


 アーチャが何も言わないならと、アンジが真っ先に沈黙を破る結果となった。


「本当は、誰かに甘えていたい」


 静かにそう答えるシャヌの瞳が、アンジではなく、アーチャを見つめているということは、アーチャ自身が一番よく分かっていた。


「だけど、誰かが私を助けようとする度に、その人の身は危険にさらされてきた。私のせいで誰かが傷つくなんて、そんなの耐えられない……」


「ばかばかしいね、そんな考え」


 グレアのその一言は、シャヌのすべてを否定するかのような痛烈なものだった。


「あんたさ、自分をおとぎ話に出てくるような“悲劇的な女の子”か何かと勘違いしてるわけ? この世の仕組みなんてまだ何も知らないガキのくせして、誰の力も必要としないで生きていけるわけないでしょ」


 グレアが右手を不意に振り上げたので、シャヌを殴るのかと思ったが、そうではなかった。シャヌの肩の上にその右手が乗った時には、グレアの表情に笑みが広がっていた。いつも他人をさげすむような笑い方しかできないグレアが、こんな優しい笑顔を見せることもあるんだと、アーチャは心底驚いた。


「グレアさん、私……」


 グレアは首を振り、シャヌにそれ以上続けさせようとしなかった。なぜだか、グレアにはシャヌの言いたいことが分かっているようだった。


「あんた、幸せ者じゃないか。こんなにたくさんの仲間に見守られてさ」


 シャヌはもう一度アーチャたちを見た。シャヌをマイラ族としてではなく、一人の人間として認めてくれる、そんなアーチャたちを、シャヌはもう一度見つめ直すことができた。そんな彼らに対して、心から「ありがとう」と言うことができた。

 シャヌの笑顔に背中を押されるように、アーチャはとうとう一歩前へ踏み出した。


「シャヌはさ……自分の中に、英雄がいる?」


「英雄?」


 シャヌはしばらく考え込んだ。


「よく分からないけど……アーチャの中には、英雄がいるの?」


「ああ、いるよ」


 アーチャは意気揚々と答えた。


「俺は、十年前に両親が死んで、それからずっとこのスラムで生きてきたんだ。だけどちょうど一年前、スラム救済団体のベルネップボランティアってのがやって来て、その一員に扮装して悪行を繰り返していたヴァークスたちに拾われたんだ。その時まで、俺はずっと一人だった」


 十年前に起こった事件の真相を語る瞬間が、とうとう訪れた。辛酸な過去を明かすことにためらい続けてきたアーチャにとって、これは苦渋の選択だった。だが、アーチャもシャヌと同じで、もう分かっていた。信頼できる仲間たちを目の前にして、隠す必要のある過去や、心の悩みなどありはしないのだということを。


「十年前のある日……」


 アーチャは、静ひつな声でゆっくりと切り出した。


「俺たちの住んでいた村が敵国の兵士たちに襲撃された。村中に火が放たれて、みんな殺された……俺の両親も……みんな殺されたんだ。だけど、その大勢の兵士と戦った男がたった一人だけいた。熱い炎の中、兵士たちに一人で立ち向かって、全員やっつけちまったんだ」


 車の後部座席でぼんやりと空を眺めるじいさんを横目で見つめながら、アーチャは続けた。


「ついさっき、じいさんがゼルのことを英雄と言った。それで、分かったんだ。その男が誰だったのか……俺が英雄と呼んでいたその男が誰だったのか」


 アンジが息を呑んだ。


「まさか、ゼル・スタンバインが?」


 アーチャはアンジに向かってコクリとうなずいた。


「十年も前の記憶なんて曖昧だけど、これだけは確かだ。あの時、俺を助けてくれたのは間違いなくゼルだった。アクアマリンで初め会った時から、どうしても初対面のような気がしなかったんだ。ゼルが俺のことを覚えているかどうかは分からないけど、俺の中では、彼は英雄なんだ。……つまり、何を言いたいのかというと……英雄とか、尊敬する人とか、頼れる仲間とか、そういう特別な存在を思い続けることで、心の支えになってくれたりするもんなんだ。と、俺はそう信じてる」


 アーチャを見つめるそれぞれの瞳からは、アーチャが抱く揺るぎない意思を尊重するかのような、力強い眼差しが注がれていた。


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