九章 記憶の中の英雄 1
ヴァークスとピゲ族のいなくなったアジトで、アーチャは、何をするでもなく、居間の食卓テーブルに突っ伏してただほうけているしかなかった。
アーチャにとって、『ルースター・コールズ』は唯一、自分という人間を肯定してくれる存在だった。それにも関わらず、首領のヴァークスは何者かに殺され、ピゲ族は骨だけを残して消滅してしまった。やり場のない悲しみと怒りが混沌とし、心の中で音を立てて混ざり合っていく……。
だが、アーチャを無気力にさせた決定的な出来事は、何よりも、シャヌを失ってしまったことに違いなかった。昨夜はシャヌのことが心配で、一睡もできなかった。仲間を亡くした上、守るべき大切な人を守りとおせなかったことは、アーチャからいつもの快活な動力源を抜き取るのに十分すぎるほどの効果をもたらしていた。
「シャヌ、今ごろどうしてると思う? 一人で泣いてると思うか?」
窓からの陽光さえ届かない部屋の片隅で寡黙に立ち続ける甲冑に向かって、アーチャは尋ねかけた。甲冑が兜から覗かせる無の視線は、アーチャではなく、壁掛けの丸時計を見つめていた。無論、応答はない。
「昨夜から、ずっと考えてたんだ」
アーチャは一方的に話し続けた。
「シャヌはあのまま、ジェッキンゲンと一緒に暮らしていた方が良かったんじゃないかって。俺が余計な情けさえかけなければ、シャヌは今ごろ……」
シャヌは今ごろどうしていたのだろう? アーチャはふと考えた。シャヌを地下に置き去りにしておくことが、賢明なやり方だったと言えるだろうか? それが正解なのだと、胸を張って言えるだろうか?
「俺は、後悔したくなかった」
アーチャはテーブルの上で拳を握った。
「シャヌをあの地獄から救い出すことに、何の迷いもなかったから……シャヌのためなら何でもできる気がしたから……だから、絶対に後悔したくなかったんだ」
「つまり、自分は断じて悪くないってわけだ」
アーチャは喋るはずのない鎧の騎士に命が宿ったのかと思い、胃の奥がひやりとした。だがその声は、二階から下りて来たアンジのものだった。
「一人でぶつぶつ言いやがって、一体誰と話してたんだ?」
壊れかけの椅子にドカッと座り込むなり、アンジはいぶかしげに尋ねた。
「俺のことを崇拝してくれる、鎧と兜ですべてを覆い隠した無口な兵士さんとだよ」
皮肉を込めた親指の先端を甲冑に向かって突き立てながら、アーチャは所在なげに答えた。その指先にあるものを見たアンジは、すぐさま首をかしげた。
「なあ、アーチャ。シャヌがいなくなちまって、寂しい気持ちはよく分かる。だけど、頭までおかしくなっちまったらあのじいさんと一緒だ」
気の毒そうな視線をアーチャに向けながら、アンジはささやかにそう言った。
「外へ行かないか?」
「行かない」
アーチャは無愛想に断った。
「狩りをしに森へ行こうぜ。朝から何も食べてねえんだ」
「行くもんか」
アンジはとうとう、ため息だけをそこに残し、外へ出て行ってしまった。だが、いざアンジがいなくなると、アーチャはますます不安になってしまった。
「俺って、つくづく情けない男だろ、兵士さん?」
甲冑がコクリとうなずいたように見えたので、アーチャは思わず顔を上げた。更にその直後、扉が音を立てて勢いよく開いたので、アーチャは椅子から飛び上がるほど驚いた。
「にい!」
カエマが……喜びに瞳を爛々と輝かせ、肩で息をするカエマが、扉を開け放った張本人だった。
「何だ……カエマか」
アーチャは立ち上がったまま、意味の無い冷や汗をかいたことで後悔した。
「帰って来てたんなら、どうしてすぐに教えてくれなかったの?」
床に散乱するたくさんの『拾い物』を慣れた感じで踏み越えながら、カエマは喜びと苛立ちの入り混じった声でそう聞いた。
「アンジの姿が見えたから、おじいちゃんを引っ張ってここまで走って来たの。それで、シャヌは見つかった?」
「ああ……」
椅子に座り直しながら、アーチャは後ろめたそうに答えた。
「見つけた……けど、ここにはもういない」
カエマを直視していたわけではないが、彼女が動揺を隠しきれない表情でアーチャを見つめていたのは明らかだった。
「それ……どういう意味?」
「シャヌがそうすることを選んだ」
アーチャはテーブルの脚を呆然と眺めたまま、呆然と答えた。
「それじゃあ、今シャヌはひとりぼっちなの? 場所は? 探しに行かないの?」
「うるさい……」
アーチャはカエマからの質問攻めを静かに制止させたが、今のカエマには全く通用しなかった。
「ねえ、にい、どうしちゃったの? いつものにいらしくないよ。それに、小人たちは? ヴァークスだってまだ帰って来てないんでしょう? ルースター・コールズはどうなっちゃったわけ?」
「うるさい!」
二つの拳をテーブルの上に振り下ろし、同時に甲高く怒鳴りつけるアーチャの姿を目の当たりにすると、さすがのカエマも二の句を継げなかった。アーチャの狂乱じみた血眼と目が合った瞬間、怖いもの知らずのカエマは戦慄した。
「他のメンバーはどうしたかって? みんな死んだのさ! 俺を残して、みんな勝手に死んじまった!」
そこまで叫んで、アーチャは途端に我に返った。今にも泣き出しそうなカエマが、潤んだ瞳でまっすぐにアーチャを見つめていた。
「あ……ごめん」
アーチャが謝ると、カエマはうつむきながら首を横に振った。
「人が死ぬってこと、まだよく分かんないから……」
愚かなことをしてしまったと、アーチャの心は自責の念で満たされた。まだほんの五歳の女の子に八つ当たりし、『死』という言葉を用いて乱暴な発言を繰り返してしまった……。
「カエマ、本当にごめ……」
その時、また扉が開いた……というより、勢いが強すぎて、頑丈な扉が蝶番ごと吹っ飛んだ。